"Alma" ver.0.8β
CIRQUE DE BLANCA #2 MAIN ACT

作・白神貴士

**********************************

人形のシーレが浮かび上がる。

シーレ
「1918年10月…妻のエディットがお腹の赤ちゃんと一緒にスペイン風邪で死んじゃった。
 その三日後に…僕もスペイン風邪で死んだ。
 まだ28歳だったのにね。
 それからはずっと此処に座って昔の想い出と戯れたり
 昔の知り合いがどんな人生を送ってどんな老人になっていったのかを眺めてたんだ。
 芸術の都ウィーン…僕の夢と野望の舞台…
 そこにはクリムトがいてココシュカがいて見たこともない画を描いていた。
 シェーンベルグがいてマーラーがいて聴いたこともないような音楽を奏でていた…
 あんな街は他に無かった…どの国にもどの時代にも… 
 そうだ…今日はみんなにアルマとココシュカ…
 アルマ・マーラーとオスカー・ココシュカの話をしよう。」

シーレの「死と乙女」、ココシュカの「風の花嫁」が活人画で浮かび上がる。

シーレ
「ココシュカは僕を嫌ってたという人もいる…でも僕は彼が好きだったんだ。
 彼の画はとても刺激的で素敵だったし
 彼の『風の花嫁』にヒントを得て、この画を描いたくらいだもの。
 でも…あれは彼にとって特別な作品だったから…
 彼の一途な恋を僕が茶化したように思われたのかも知れない。
 『風の花嫁』に描かれていたのはココシュカとアルマ…
 アルマ・マーラー…ウィーンが生んだ不世出の音楽家マーラーの
 恋多き未亡人…美しきミューズ!」

シーレと活人画消える。
浮かび上がるのは、クリムトと「接吻」のポーズでキスをしているアルマ

アルマ
「初めて本物のキスをした相手は画家のグスタフ・クリムト…彼が35歳で私が17歳…
 でもそれを日記に書いたのが間違いだった…母に見つかってしまったの…」

クリムトと引き離されたアルマ、ピアノの前に座らされる。
楽しげにピアノを弾くアルマ。
だが、そのピアノ教師もまたアルマを胸に抱いて…

アルマ
「音楽家のツェムリンスキーは私の才能を認めてくれた…そして私に夢中…
 最後の一線の手前まで、私たちはあらゆる事を楽しんだ…
 でも彼は貧しくて醜かったの…」

アルマ、ズボンを下ろそうとしているツェムリンスキーの前から逃げ出して…
そこへ立ちふさがった男…手紙をアルマの服に押し込む。
次から次へと…服に入り切らなくなったら脱がせて下着の中へも。

オーケストラが流れる。

男、さっと客席に向かい指揮棒を振る。
曲を凄まじい早さで演奏し終えて向き直り、巻紙をアルマの顔に巻いてしまう。
取り外した下着の下から現れた彼女のポストに、
ズボンから取り出したラブレターをゆっくりと差し入れる。
教会の鐘が鳴り響き、男は"MAHLER"と書かれた巨大な封筒にアルマを押し込め
WIFEと書かれた封緘を貼り付ける。

アルマ
「やっと私はふさわしい男に出会った…それはもう一人のグスタフ…
 グスタフ・マーラー…彼は私を妻にして深い愛を注いだ…
 子供も出来た…けれどマーラーは私の才能には興味がなかったの…」

マーラー、霊感が湧いてピアノに向かい作曲に取りかかる。
ようやく封筒を抜け出したアルマ、股間からヘソの緒で繋がる赤ん坊にびっくり。
取り外してタオルでくるみ、ピアノに向かう。
マーラー隣に座って一緒に弾こうとするアルマを、娘の世話をしろと押しやる。
赤ん坊を腕に抱き乳をやるアルマ…力無く座って鬱ぎ込んでしまう。

アルマ
「そんな時、運命が若くて美しい建築家ワルター・グロビウスと私を…
 引き合わせてしまった 」

背を向けて作曲をしていたマーラー、書き上げた楽譜を手に姿を消す。
グロビウス、おずおずとアルマに近づき花束を渡す。
アルマ、娘を脇に置いてグロピウスと踊り、
足を腰に絡める。
二人は毛布の中へ。
やがて一夜が明け、グロピウス寝ているアルマを起こさぬように
ピアノの上に手紙を置いて去る。

戻ってきたマーラー、手紙に気が付いて封を開け、読む。
その肩が震え、アルマを失うかも知れないと云う恐怖に怯える。
そっと寝ているアルマの毛布を外し、
アルマを見つめる。
足先に口づけ、ひざから太股へと這い登り
グロビウスとの秘密を封じ込めた場所に、そっと唇を寄せる。
アルマゆっくりと顔を起こしマーラーと見つめ合う。

マーラー
「…アルマ…僕の第8交響曲を君に捧げるよ…」

暗転。

離れた位置で光の中にジークムンド・フロイトが椅子に座っている。

アルマ
「夫は10年間見向きもしなかった私の歌曲を業者に出版させると言いだしました。
 こんなに笑顔の夫を見たのはこの時が初めてだったかも知れません。
 彼は私の作品を賞賛し、自分の心が狭かったと詫び、
 古い楽譜を繰り返しピアノで弾きながら唄いました。
 しかし、10年もそうした創造の喜びから離れていた私にとって
 それはお墓に供えられた花を観るようなものでした。
 隠してはいてもグロビウスは私の心に住みついていて…
 それがマーラーの不安を掻き立てたのでしょう。
 彼はオランダでバカンス中だった精神分析学者のフロイトに会いに行きました」

フロイトを訪ねるマーラー。
別の光の中にはグロピウスとアルマの逢瀬が浮かび上がる。

マーラー
「グスタフ・マーラーです。」
フロイト
「フロイトです…早速ですがご用件を伺いましょう。」
マーラー
「妻を…失うのではないかという不安で…仕事が手に付かないのです…」

マーラー、自分の楽譜をフロイトに渡す。
そこには文字が書かれている。

フロイト
「『おお神様、なぜ私をお見捨てになったのですか!』、
 『あなただけが、その意味を御存知だ…ああ!さようなら私の歌…』、
 『君のために生き、君のために死ぬ、僕のアルマ…』」

マーラー頭を抱えてうつむく。

アルマ、何かに怯えて頭をもたげ、辺りを見回す。
首を傾げるグロピウスに。

アルマ
「何でもない…大丈夫…」

グロピウス、優しくアルマの髪を撫でる。

フロイト、マーラーの話を聴きながらメモを取っていた手を止める。

フロイト
「成る程…少し判ってきたかも知れません。
 あなたのお母様の名前は"マリー"とおっしゃるのではありませんか?
 あなたが最初アルマさんの名前をミドル・ネームのマリーで呼びたがったのは
 あなたがお母さんの面影を求めてらっしゃったからではありませんか?
 あなたのお父様は残酷な方でお母様を虐げ従わせていた。
 そのお母様の眉間にあったような苦悩の皺を…無意識のうちに
 あなたはアルマさんに求めていた…これが作曲を禁じ
 自分の世話や子育てに彼女をせき立てた理由でしょう。
 また、あなたはアルマさんとの年齢の差を気にしておいででしたが、
 実はそれがアルマさんにとってのあなたの魅力になっているのだと思います。
 あなたがお母様に憧れるのと同じように、アルマさんもまた
 彼女のお父様に憧れていると考えられるからです。」

マーラー、フロイトの手を両手で握りしめて涙ぐむ。
感謝しながらアルマの方へ。
グロピウス、こそこそと逃げ出す。

フロイト、観客へと向き直り

フロイト
「この診察はマーラーにとって切実に必要であったのだと思いました。
 アルマはマーラーの性欲の減退に対して我慢がならなかったからです。
 診察後、マーラーはリビドーを回復しました。
 彼の人生を検証している間に、私は彼の恋愛的特性、
 とくにエディプス・コンプレックスを発見しました。
 彼の心理学に対する理解力にも助けられましたが
 強迫神経症の症状について光を投げかける事が出来たのは、大きな収穫で、
 マーラーという神秘的な宮殿において
 深い井戸を掘り当てた様な気がしました…」

マーラー、アルマを押し倒して
クシャクシャにした封筒を量産する。

アルマ
「思いも寄らなかった主人の変化を体験しています…
 彼の愛は終わりを知らないのです。
 マーラーはまるで病気の子供のように私を求めます…
 私はここに残って死ぬまで彼に人生の全てを与えようかとも思いました。
 …けれど、もし私があなたとの愛を選ぶとしたら
 一体どうなり、何が起きるのでしょう?
 …私を助けてください。
 何をしたらいいのか、どうすべきなのか…
 私にはもう何も判らないのです!」

手紙を読むグロピウス。思わずそれをクシャクシャにする。
それを背後から優しく取り上げてグロピウスを抱きしめるアルマ。

一方、マーラーは残された彼女の履き物に頬を擦り寄せキスをする。

アルマ
「マーラーが犯した罪…妻に禁欲を強制することほど最悪のものはないと私は、
 身体全体で、心や、心以外の場所で気付いたのです。
 私を早々に老けさせ、世間から隔離する事になった
 官能的快楽の剥奪…そして私の肉体の安定と平和への罪…
 今一人ベッドの中で自分自身を抱きしめています。
 あなたを感じられるくらいに激しく…
 あなたが私の隣に裸で横たわるときが来るのはいつでしょう…
 私たちの敵が睡魔だけになる…あなたが完璧に私の物になる時の為に生きてます。
 私のワルター…あなたの子供が欲しい。     あなたの"妻"アルマ」

アルマ、ゆっくりと歩いて…履き物を抱きしめ丸くなっているマーラーに近づく。

シーレ
「グロピウスを深く愛しながらもアルマはマーラーと別れない…
 アルマとマーラーの関係はすっかり逆転していた。
 王様と侍女は女王様と奴隷に姿をを変え
 マーラーは、常にアルマのことを第一に考えるようになり。
 アルマはNYフィルの音楽監督・希代の作曲家を足下に従えていた。」

音楽が一変し激しく派手な曲に。

アルマ、マーラーを足蹴にして服を剥ぐと目隠しを巻いてM男に…
自らも服を脱ぎ仮面を着けて女王様ファッションに、M男を責める。

もう二組の女王様とM奴隷のコンビが…
よく観ると奴隷姿はヒトラーとムッソリーニにも似ている。

そこへ原始人が現れ彼らを棍棒で惨殺し見得を切る。
前髪をかき上げるのはオスカー・ココシュカ。
舞台はココシュカの演劇の場面へと転換している。

シーレ
「これまでアルマの半生を知っていただくのに時間を費やしましたが
 ようやくもう一人の主人公の登場です…彼が新進画家オスカー・ココシュカ、
 でもアルマと出会うのには、もうちょっと時間が必要です。
 これはウィーン分離派のクンストシャウ=国際展で彼が上演した演劇…
 しかし、必ずしも成功とは言えない観客の反応…騒動を巻き起こしました。」

観客席から悲鳴と怒号。猛烈なブーイング。パトカーのサイレン。
ココシュカ、当惑した面持ち、やがて物が投げ入れられ始め、脱兎の如く逃走。
マーラーとアルマが舞台に残る。

マーラーの目隠しを解くアルマ。
それをタオルのように水に漬け、絞って額に乗せるマイム。
フレンケル博士がやって来る。
マーラーを診察し、アルマを向いてそっと首を振り、
立ち上がり、一礼して去る。

マーラー
「私が死んだ後…君はすぐ結婚相手を見つけるだろうね。
 こんなに若くて美しいのだもの。
 誰を旦那さんに迎えるのかな?
 ツェムリンスキー?ブルクハルト?クリムトは結婚したが目が無い訳じゃない。
 プフィッツナー?あの若僧…、それともロシアのピアニスト、ガブリロビッチか?
 もちろん判っている。名簿の1位はグロピウス…あのドイツの建築家だ。
 君がその気になればウィーン、パリ、NY、誰にでも求婚させることくらい簡単だ…
 けれど、こうして並べて比べてみると…やっぱり君に一番ふさわしいのは、私だな。」
アルマ
「そうね…今のところは。」

アルマ、スプーンで食事をマーラーの口に運ぶ。
マーラー手を伸ばし、アルマの髪を撫でる。
その手がパタリと落ちる。

アルマ後方に向かって

アルマ
「先生!フレンケル先生!」

フレンケル急いでやって来る。
脈と呼吸、瞳孔を調べて時計を見る。

フレンケル
「奥様…ご臨終です」

アルマ、マーラーの遺体にそっと頭を乗せる。
フレンケル、アルマに背後から寄り添い

フレンケル
「こんな時ですが…つまり…私と結婚して下さいませんか?」

アルマ笑う。大笑いになってゆく。
フレンケル、バツが悪そうに離れ、去る。
アルマの笑いが次第に泣き声に変わって行く。
暗転。

アルマ
「やっと自由の身になったのにグロピウスはベルリンに帰ってしまいました。
 私がマーラーと寝ていたと正直に告白したのがいけなかったのかも。
 生物学者のカンメラー博士に誘われて研究室で働きました。
 奥様のいらっしゃる博士は『君と居ると仕事へのエネルギーが湧いてくる』といって
 私に仲良くなる気がないなら、マーラーのお墓で自殺するというの。
 私は再婚を考えている人が居るのですと打ち明けて…ベルリンへ旅立ちました。
 再会…でも、引き合わされたグロピウスのお母様は私を魔女を見るような目で…
 ウィーンに逃げ帰った私は、義父のカール・モルの勧めで
 オスカー・ココシュカにポートレートを書いてもらうことになりました。」

ポーズをとっているアルマ。
熱心に描いているココシュカ。
服を脱いでゆくアルマ。
接近してゆくココシュカ…遂に絵筆をアルマ自体に走らせる…
更にココシュカが空中に描き出す様々なアルマ!

アルマ
「1時間も経たないうちに彼は私にプロポーズして…
 それからの3年間は私がかつて経験したことのない愛の闘争の日々だった!
 これほどの戦い、これほどの天国も地獄も私は味わった事がなかった…」

ココシュカ、アルマの身体中にハートをマークしてゆく…が、突然、
アルマへの愛が綴られたマーラーの楽譜に気付く。
凝視し、その1枚を黒く塗りつぶす!
アルマ、慌てて他の楽譜を胸に抱え、守ろうとする。
ココシュカの絵筆をかいくぐるアルマ、
果たせないと知ったココシュカ、
アルマに背を向けて自分の顔を黒く塗り、しゃがみ込む。
アルマ慌てて楽譜を隠し、ココシュカを抱きしめる。
ココシュカ、アルマに馬乗りになりその顔を赤く塗る。
アルマを立たせ、その身体を筆で罰して行く。
悲しくて泣き崩れるアルマ。
ハッと気付いて、その場を立ち去るココシュカ。
よろよろと立ち上がりココシュカの名を呼ぶアルマ。
ココシュカ、腕一杯の花束を抱えて来てアルマに浴びせかけ
その中で彼女を抱きしめる。
彼女を描き、愛し、描くのサイクルが生み出した絵画たちは
黒子によって空間に展示されてゆく…それはベルリンのグロピウスの目に届く。
グロピウス憤然と手紙を書き、それを紙飛行機に折ってアルマへと投げ、届ける。
アルマ、ココシュカに描かれながらそれを手にする。
「君とは絶交だ!」と書いてある。
アルマ意に介さずポイと捨てる。
ココシュカ絵筆を置いてアルマに飛びかかり激しい愛の行為…

アルマ
「私は以前購入したゼンメリンクの土地に
 ココシュカと住むための家を建てる事にしました。
 ココシュカのお母様は『息子に近づいたら殺す』と私を脅したけれど
 愛の嵐の中に居る二人は何も聞こえなかった。
 …1912年、ウィーンのフェスティバルで
 ブルーノ・ワルターがマーラーの第9交響曲を初演する事になり
 私はココシュカにも是非来て欲しいと頼んだのだけれど…」

客席で演奏を聴いているアルマとココシュカ…
ココシュカ、アルマの様子を伺って落ち着かない。

ココシュカ
「アルマ、例えそいつが既に死んでようが、
 僕は君の心の中に他の男がいる事に耐えられない…
 どうして、この死の舞踊に僕を招待して、
 僕たちに関係のない男が作った曲を奴隷のように聴いている君を
 何時間も眺めさせたりするんだ。
 君が僕と毎日逢う事を禁止するのも
 未だにあの男の思い出と一緒に生きているからだ。
 君は過去を捨てて僕との新しい人生を始めるべきだ。
 永遠に幸福な新しい子供時代を…」

ココシュカ、アルマの肩を掴み、すがりつき、揺さぶるが
アルマ、ビクともせずに聴き入っている。

ココシュカ
「君は今すぐ僕の妻になるべきだ。
 さもないと僕の偉大な才能はみじめに枯れ果てて消えるだろう。
 夜ごと魔法の薬のように君は闇の中で僕を蘇らせてくれる。
 昼間は連中と騒いでいればいい…僕は夜蓄えたエネルギーを
 日中の仕事で使い果たそう。」

ココシュカ、動き回りアルマに訴える。

ココシュカ
「アルマ、僕を信じて!
 君は女性…僕は芸術家。
 君は今、人生を捧げ甲斐の無い物に捧げていないか?
 僕を…運命を共にする僕を
 君に裏切られたままにしておくのかい?」

アルマ、ようやくココシュカを振り向いて

アルマ
「あなたが…誰もが認める傑作をかき上げたら
 あなたと…結婚してもいいわ。」
ココシュカ
「次の作品が僕の最高傑作になる。
 これ以上の物は描けないないだろう
 それはアルマ・オスカー・ココシュカ…
 君をうならせてやる。」

静止した二人。
暗転。

アルマ
「そしてココシュカは『風の花嫁』に取りかかった。
 冬、バレエ・リュッス…ディアギレフのロシア・バレエがウィーンにやって来る。
 ニジンスキーの踊る『ペトルーシュカ』…
 私はストラヴィンスキーの新しい音楽に魅了されオーケストラばかり見ていた…
 ココシュカはニジンスキーの踊る道化人形の優美な動きに魅せられ、
 何も聴いてはいなかった…」

『ペトルーシュカ』を踊るニジンスキー。

アルマ
「ペトルーシュカが、ムーア人に斬られて倒れるように
 やがてココシュカとの恋も命を失うことになる…
 しかしペトルーシュカが亡霊となって現れるように
 何もかも消えてしまいはしなかったのだ…
 …その日、風の花嫁ともども完成したゼンメリンクの新居に郵便小包が届いた。」

描き上げた『風の花嫁』の前で小包を手にするココシュカ。
それを奪い取り、包み紙を破って中身を取り出すアルマ。
それは…マーラーのデスマスクだ。
デスマスクを居間の壁に飾ろうとするアルマ。
血相を変えて阻止するココシュカ、
何度か攻防があって。

ココシュカ
「そんな陰気くさいデスマスクなんか納屋にでも飾って置け! 
 あそこにはいずれこの絵を掛けるんだ!」
アルマ
「あなたは私が大切にしている物は全部気に入らない!
 私の人生を創り上げてきた宝物を全て台無しにしてしまう!」
ココシュカ
「そんなガラクタが一杯詰まってるせいで、お前の心には片足も入れさせてもらえない!
 どこもかしこも過去の亡霊が巣くってるんだ!
 そんなに過去が大切なのか!今、お前の目の前に居るのは一体誰なんだ!
 じゃあ、お前が大切にしているそのお腹の中の物は
 俺の子じゃなくて
 マーラーの亡霊と寝て出来たガラクタなのか!」

アルマの両目に燃え上がる怒りの炎。

アルマ
「…そうかも知れないわ…」

アルマ、デスマスクを持って飛び出して行く。

ココシュカ
「アルマ」!

後を追って飛び出して行く。
しばらくして帰ってきたココシュカ、
風の花嫁のキャンバスにナイフを突き立てようとして…
踏みとどまる。
床に崩れるココシュカ。

アルマ
「それからまもなく、私はココシュカの赤ちゃんを中絶してしまった。
 ココシュカはショックを受け、やがて彼には最もふさわしくない場所に
 逃げ出してしまった…戦場へ…第一次世界大戦が始まった。」

ココシュカ、馬に銃を持たされ運ばれて行く。
入れ替わるようにグロピウスが入ってくる。
難しい顔をして観客を睨んで居る。

アルマ
「ココシュカが騎兵隊に志願して戦場に向かった後、
 第一次世界大戦の開始1日目から従軍していたワルター・グロピウスが
 負傷して帰国したとの知らせで私はベルリンに向かった。
 私はオスカー・ココシュカから自由になりたかった。
 ココシュカとの事を問いただすグロピウスを説得する為に何度泣かされたことか…
 けれど、遂に私は勝利する。彼と結婚する事になったのだ。」

ベールを被ったアルマが現れる。
グロピウスと腕を組む。

顔に白い布を掛けられたココシュカが担架で運ばれてくる。

アルマ
「一時はココシュカが戦死したと聞かされた。
 私は彼のアトリエから、そこで発見されてはいけないもの…私の手紙と
 様々なポーズのデッサンやスケッチを取り返した。」

アルマ、ココシュカの担架から手紙の束を盗む。
それを後ろ手に持って、戦地へ帰るグロピウスを見送る。

アルマ
「しかし、ニュースは間違っていて
 ココシュカは頭に銃弾、肺に銃剣の傷を受けてウィーンに帰ってきた。」

ココシュカ、自分で白い布を取り除く。

アルマ
「戦地からずっと手紙を送り続けてきたココシュカ…
 でもお見舞いに行くことは出来なかった。
 機甲師団の大尉として前線に居て帰れないグロピウスに代わって
 私の心に入り込んだ人がいたのだ…フランツ・ヴェルフェル、
 当時、トーマス=マンと並び称されていた文学者で、
 軍の情報担当としてウィーンに滞在していた。」
 
アルマ、歩み寄ったヴェルフェルとキスをして毛布の中…
そこへ戦地から帰って来たグロピウス。毛布の反対側へ潜り込む。
そっと毛布から抜け出ようとしたヴェルフェルが
毛布から頭を起こしたグロピウスに気付いて再び毛布に隠れる…
といった艶笑喜劇が繰り広げられて…

アルマ
「ウィーンにいて私の噂を聞くのが辛かったのか、ドレスデンに棲むココシュカからは
 依然として手紙や贈り物が届いていた…いくらつれなくしても、返事を書かなくても。」

包帯姿のココシュカ、毛布の上にそっと手紙を置いて歩み去る。
暗転。

シーレ
「1918年は記憶しておくべき年だ。
 まず第一次世界大戦が終わった。
 2月にクリムトが死に、
 10月に私と妻が死んだ。
 この秋はスペイン風邪が大流行したのだ。
 身重になってもアルマは魅力的過ぎた。
 7月夏の夜…若い愛人のヴェルフェルが肉欲を我慢できなかったお陰で、
 長男のマルティンは未熟児として生まれることになった。
 そしてアルマとヴェルテルが生まれた子供の名前を相談する電話を
 グロピウスは立ち聞きしてしまった。
 彼は怒ったか?…いいや、彼はヴェルテルの存在を許してでも
 アルマを失いたくなかった。
 翌年、バウハウスの初代校長になったほどの人物が
 アルマの足下に身を投げ出し、泣いて懇願した。
 いやもう…しばらくアルマの方からは目を逸らしていよう…見ているだけで疲れた。
 マルティンが死のうがヴェルフェルと結婚しようが…もう勝手にしてくれ!
 それよりココシュカだ…可愛そうなココシュカはこの1918年をどう生きているだろう。
 ココシュカは寂しさに耐えかねて、あるものを
 ミュンヘンのヘルミーネ・モースに発注した。
 彼女は人形作家…細かい注文をつけ発注したのはアルマに似せた等身大の人形だ…」

ココシュカ、二人の男が運んできた大きな棺のような箱から
メイドのレザールと一緒に人形を取り出して、
用意してあった服を着せ椅子に座らせる。
その前に跪き、手の甲にキスをし…
抱きしめる。

シーレ
「ココシュカは天気の好い日は人形と辻馬車に乗り、街を乗り回した。
 オペラにも連れて行った。
 アルマと同じように扱ったが…何より違うのは人形が無口な事だった。
 ココシュカはアルマとの想い出を込めた戯曲『オルフェウスとエウリディケ』を
 戦争で負傷していた入院中から書き始めていたが、やっと完成した。
 1921年にフランクフルトで初演する事になり、アルマに電報を打った。」

ココシュカ
「どうか君の人生の最大の瞬間を見逃さないでくれ。
 この世の万難を排して、この世ならぬ傑作『オルフェウス』を観て欲しい。
 フランクフルトの劇場に最高の席を用意して待っている。
 2日の水曜日にアルマが僕の心からの愛人であってくれますように!」

シーレ
「ココシュカは変わっていない…アルマの胸は痛んだが、彼女にはヴェルフェルが居た。
 最高の席は芝居が終わるまで空っぽだった。
 可哀想に。乙女のようなココシュカ…」

ココシュカ、人形の膝に顔を埋めている。

シーレ
「1922年ココシュカはパーティを開いた。
 オペラ劇場の室内楽団が噴水の中の舞台で演奏し
 松明の灯りの中、ワインがあけられた…」

ココシュカ、メイドが運んできたグラスのワインを空け、
アルマ人形と踊る。
酩酊し混乱し取り乱し
アルマ人形をテーブルに乗せて
赤ワインを浴びせ
刀でその首を斬り落とす。

シーレ
「ココシュカの『オルフェウスとエウリディケ』は翌1923年、
 アルマの娘、アンナ・マーラーと同棲していた
 エルンスト・クルシェネクが作曲してオペラになり
 クルシェネクがアンナと結婚し離婚した後、1926年に初演された。
 けれどアルマがそれを観ることは…なかった。」

頭のない人形の死体に被さるように酔いつぶれているココシュカ。
暗転。

シーレ
「それから色んな事があった…二度目の世界大戦が起こり、
 ユダヤ人のヴェルフェル達はアメリカに逃れ、
 ウィーンはアメリカ軍の爆撃を受けた。
 ヴェルフェルの『ベルナデットの歌』はハリウッドで映画になったが
 彼は1945年、56歳で死ぬと次第に忘れられていった。
 アルマは『音楽・美術・建築・文学の未亡人』と陰で呼ばれるようになるが
 グロピウスは生きてハーバードに居て折に触れ会いに来たし、
 ココシュカも相変わらず手紙をよこした。
 1949年8月31日、アルマの70歳の誕生日にも…」

年を取ったアルマが手紙を手に現れる。

ココシュカ
「愛するアルマ
 君は今でも自由気ままに生きてるんだろうね。
 あの頃の君は、今『トリスタンとイゾルデ』に聞き惚れてたと思ったら
 次の瞬間には日記帳にニーチェについて殴り書きをしているといった具合だった。
 しかも君以外では僕にしか読めない様な文字で…
 僕だけがその字体の
 君のリズムを判っている。
 
 君の誕生パーティの準備をしている友人たちに、
 そんな馬鹿げた1日限りのお祭りじゃなくて
 生命が通い永遠に残る記念物をプレゼントしてくれるように頼むべきだ。
 
 それはアメリカの真の詩人…
 言葉、テーマ、リズム、抑揚を魔法のように操り
 繊細な視線の誘惑から最もエロティックな肉体の犯す罪までを知り尽くしていて
 僕の『オルフェウスとエウリディケ』を完璧に訳してくれる詩人だ。
 この戯曲に書いてある僕らの愛の福音、二人が作り上げた素敵なものたちを
 後世に語り伝えてくれる詩人…
 
 中世からこのかた僕らのような愛は存在しなかった。
 こんなに情熱的に心を通わせた恋人たちはいなかったもの。
 
 だからこそ君はこの素晴らしいプランのために
 年齢なんて忘れてしまわないといけないのだ。
 僕はいつ生まれたのかなんて覚えてないし
 思い出そうとも思わないよ。
 
 僕は楽しみにしている。
 翻訳された『オルフェウス』を演出して
 若者たちの人生を二人の恋の炎で照らしてやるんだ。
 
 吐き気がするほど退屈で陳腐で浅はかなこの時代が道を譲り、
 僕らの愛は舞台の上で永遠の命を生きるだろう。
 
 君の周りに居る連中の面白くもない顔を見て御覧。
 誰一人、生きることの戦い、その興奮を知ってる者はいない。
 快楽の、死の、頭に弾丸を撃ち込み、肺にナイフを貫き通すような
 あの歓喜を知る者など、どこにもいるはずがない。

 世界中で只一人
 君がその秘密を教えた恋人以外はね。

 覚えていて欲しい。
 この戯曲は僕らの産み落とした、
 たった一人の子供なんだ。

 では
 飲み過ぎに気を付けて
 悔いのない誕生日を

                       あなたのオスカー」

アルマ、手紙をゆっくりと畳む。

シーレ
「アルマはカリフォルニアからNYに移り、
 もっぱら『マーラーの未亡人』として暮らした。
 ブリテンは夜想曲を捧げ、バーンスタインと夕食を共にし、ショルティを迎えた。
 1963年のある日、ココシュカがNYに来て、アルマに会いたいと伝言を寄越した。」

アルマ、じっと考え、やがて首を振る。

シーレ
「アルマは悩んだ後、断ることにした。
 涙が出るほど逢いたい男だが、
 今も変わらぬ愛を持ち続けているココシュカから
 あの頃の…美しいアルマまで取り上げる事は出来なかった。
 すると電報が届いた」

アルマ、電報を取り出す。

ココシュカ
「愛しいアルマ、僕たちは『風の花嫁』のなかで永遠に結ばれている。」

アルマ、顔を覆う。

アルマ
「本当のことを言えば、マーラーの音楽は一度も好きになったことがない。
 ヴェルフェルの書いた物にも関心が無かったし、
 グロピウスの建築は判らない…
 けれどココシュカは…ココシュカはいつでも私を感動させてくれた。」

アルマ椅子に掛けたまま動かなくなる。
暗転。

シーレ
「1964年12月11日、85歳のアルマ・マーラー・ヴェルフェルは
 肺炎でこの世を去った。」

シーレが自分の描いた女達の活人画(額縁ショー)に囲まれている。
アルマ人形の切断された頭を持って

シーレ
「人間てのは不思議な物だ。
 美を愛を永遠な物に封じ込めたがるくせに
 結局は変わらない美しさより、
 何時醒めるともわからない恋
 儚く脆い生命に惹かれているんだ。
 …君は僕と一緒においで。変わらない世界へ…
 儚く脆い人間達の残した永遠の夢のかけらが
 キラキラと輝きながら
 この青い星を見守り続けているところへ…」

女達も画から抜け出してシーレと一緒に去ってゆく。

幕。






引用・参考書籍:「アルマ・マーラー-ウィーン式恋愛術-」Francoise Giroud 山口昌子訳(河出書房新社)
   「わが愛の遍歴」Alma Mahler-Werfel 塚越敏・宮下啓三訳(筑摩書房)
wikipedia等数多くのインターネットの各サイトも参考にさせて戴きました。