地震のこと
▲その朝は何事もなく開けたのだが…
▲楽屋ではドレリハに向けてメイクをしている時にそれは起こった…
▲MAKOTOシアター2F控室から見た工事現場…工事中断のミーティングか?   ▲怯えるお母さん    ▲大丈夫だよとお父さん  

 岡山に居たらTV見て「凄いなぁ」とつぶやくくらいで済んでたのだけど、その時、私はMAKOTOシアター銀座に居た。

 楽屋から舞台へ降りる階段の下で「誰がこんなに乱暴に降りてきたのかな」と思った揺れがみるみる大きくなった…

 バトンに吊られた照明の灯体がゆさゆさと揺れる。「梁の下に」と舞台監督さんの指示。振れ幅の広い横揺れ…おさまるまで 随分の時間…これは大事だと思ったが、幸い灯体が落ちる事も無く、ホールに居たスタッフの人たちに続いて外に出る。

 高層ビルはまだユラユラと揺れていた。他のキャストが居る二階に上がると「お母さん」が怯えていた。「お父さん」として勇気付けて再び1階へ。

 照明のチェックでケーブルの抜けが見つかる…スタッフの方が嵌め、位置を直していると大きな揺れが…
賽の河原なのでと少し待つ事に。

予定していたゲネは1時間遅れで始まる。 余震は続いている。 控え室に戻りワンセグで信じられないような映像を観る。 都内の公共交通機関は止まっている…どうするか。

▲通行人にはヘルメットを被った方も…普段から地震対策が進んでいる東京ならではか。

 リハーサルとしてでもやりましょうとスタッフさんからのお話。 帰宅困難な状況、御自宅がどうなっているか判らない事態である。

 ソフトバンクは早々に通話回復を諦めた様だ。メールは辛うじて使える。 今回、飛び入りでスタッフ参加で東京在住経験のあるK島氏が買い出しに情報収集にと活躍して下さる…有り難し。

 19時からとにかく始める。お客様無し。

 我々が終わる直前に緊急地震速報の音。福島で地震。森さんの方は取り止めと演劇祭プロデューサー亀さんの判断。

 土曜の事は昼12時に連絡を取り合ってと決め、森さんやスタッフの方々が帰宅を試みる。舞監の根岸さんは市川なので、劇場ビルで様子を観るとの事。地下鉄が一部動き始めるが乗客殺到で止まったり、
車は大渋滞で50Mに10分といった情報…

▲食事になりそうな食品が消えたコンビニ。

 コンビニは食べ物が尽き、ほか弁もご飯が尽きたが営業している食べ物屋さんは多い。ただどこも満員で…結局、本格インド料理での晩餐となった。

 東京は交通以外は至って平和。だが東北は想像を絶す。未曾有の災害…忘れ得ぬ日となった。

 ワンセグの画面に釘付けでもあった3月11日の夜は地震どうこうよりRさんのイビキとの闘いに暮れ、12日の朝を迎えた。

 福島原発のニュースが気にかかる… 午前中の練習は体力維持の為休止し、私的には父親の演技プラン変更に浮沈を掛けた。結果成功。勿論9とお母さんの熱演もあり、ようやく役者に専念出来てそれなりの手応えあり。

 勝山の秘宝流玉取座長名で全員にお花と差し入れを戴く。有り難し。 「釈迦内柩唄」が終わってお客様のお見送りに出たが、持って来て下さったWさんには会えなかった。

▲玉取座長から戴いたお花

 夜の回はやや疲れが出たが、何とか終了。ここで重大な相談となった。

 この日TVでは原発の爆発映像などが流れていたが、岡山の劇団KのYさんから電話で「今後の原発の状況によっては、パニックが起きて東京を脱出出来なくなる恐れがあるので今夜の内に岡山を目指した方が良い」とのアドバイスを受ける…

 確かに、この時点では、原発事故の先行きは全く判らなかった…余震にしたって判らない。お願いして出演して戴いているキャストの方々を危険に曝す事が出来るのか…お客様の安全はどうなのか…政府発表は「安全だ」と繰り返すのみで、最早信じている者は居なかった。

 ピースアクトにとって演劇は目的では無い。メッセージを届ける手段なのだ。この時点で届けるべきメッセージは何かということだ。

 無念の撤退を決め、スタッフ・共演の方にお詫びして急ぎ東京を後にした…途中の交通がどうなるかも判らない。岡山で心配しながら待っている人の為、無事に役者を送り届けることを使命と考えて、福力代表に後事を託す。

 結果論としては翌日公演は可能だったのだが、あの時点での決断としては許して戴きたいと思う。

 この償いはどこかでさせて戴こうと誓って筆を置く。
 (白神)
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