第10章 6.9-2 さらば屋久島
河岸を海に向かってしばらく歩くと石で出来た説明板があった。・・『マヒルギ』はマングローブ林を構成 する低潅木のひとつで・・屋久島ではここだけに残っている・・北限は鹿児島県の・・うんぬんとある。視界に広がるのはマングローブ林の下三分の一という感じの70〜100cmくらいの木が並んでいる。砂浜の区切られている部分は決して広くない。昔はどこにでも生えていたらしいが水辺の開発で、遂にこの狭い一角だけになってしまったらしい。「マングローブ林」の画が撮れたらと思っていたが、少々甘かった・・・「部品」くらいかな。ビデオはバッテリーが切れている。デジカメの動画で撮るが、こちらもバッテリーが・・何とか撮りきったが、確認しようとすると切れてしまった。後は静止画が数枚撮れるかどうか・・・。 |
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確認をあきらめて栗生橋のバス停へ。傘を差して雨の中でバスを待つのは失した雨具の事も否応無しに思い出されて憂鬱だった。12:19発のバスはここが始点なので早目に到着した。中に乗っけてもらう。 「ちょっとバタバタしてたんで、お昼食べるからね。ゆで卵食べて。これアジシオ、殻はこっちに。」 「ありがとうございます・・。」 勧められて二つも戴いた。"おいしい"(と、ここは電波少年のナレーション風に)。2ヶ月前に鹿児島の路線から異動して、まだどこも見に行けてないという単身赴任の方だった。友達をたくさん作るのが趣味だという運転手さんと宮之浦に着くまでの時間、屋久島の良さ、昨日あったという大阪の児童殺傷事件、鹿児島県下の町村合併の事まで延々と話した。路線バスなのだが、乗客が少ない間は料金表の切り替えを忘れるくらい熱心によく話した。明日までいるのなら社宅で焼酎を飲みましょうと誘われたが、「いえ、今日帰りますので」と、そう答えた。永田に行く気はなくなっていたし、雨具がなくなったのも『今回はこれでいいよ』という天の声かも知れない、これはこれで筋の通った良い旅だった・・・そう思えた。運転手さんが携帯の番号を教えてくださった。「屋久島に来たら電話してきて」ということだ。自分の携帯に登録する。いつか、ゆでたまごのお礼もしたい。子供たちが乗ってくる。屋久島の子供たちは素直だ。とくに南部はそうだという。バスから降りた子供が手を振る。私にも振ってくれる。振り返す・・・なんだろうなあ・・・この気持ち。 途中、安房から隣の種子島の中学校野球部チームが大挙乗りこんできて会話はお仕舞いになったが宮之浦港の入り口で降りる時には「電話してね」と握手してくれた。「ありがとうございました」 雨もすっかりあがっている。近くのスーパーの土産物コーナーで安くて量のあるものを選んで港へ向かった。 鹿児島行きのトッピーは16:15発。15:15から搭乗手続きが始まるとの事でトイレに行き、売店で土産物を補充し12色ペンを買って、待ち時間の間に今朝テント畳んでからここまでの事をメモする。そして・・屋久島を離れる時がやってきた。 |
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トッピーTAKE OFF!(こうアナウンスしていたのです)・・左斜め後方からの陽を浴び、海は青く穏やかで所々に白い波頭が見えるくらい。デジカメのバッテリーも切れてしまったので、この景色は胸に焼き付けるしかない・・・。青い水平線と太陽のきらめき・・地球は丸い。 昔、ブギーシアターという劇団のゲリラ的パフォーマンスでクァラパラ共和国というのをでっち上げた。東シナ海に浮かぶ南洋の楽園、素朴な人々の棲む平和で文化に溢れた島、人と人とが助け合い、心配しあって生きる島。・・・それは一面日本列島の原風景であるはずだと思っていた。 私が屋久島に訪ねたのはそれだったのかも知れない。自然を求めての旅は、自然にだけ出会ったのでは無かった・・温かい人の心に出会うための旅だったのだ。それは豊かな自然と暮らす人々、『友達をたくさん作るのが一番さ』と語る運転手さんのような人々、のんびりとバスが止まってから両替をする人々。ここでは何も急ぐ必要はないのだ。追われる必要はないのだ。 世界遺産に指定され観光客が増えて、屋久島にもビジネスの波が迫っていることは皮肉な話だが、屋久島にはまだ、旅人の頬を濡らすだけのものが残っている。私は"原屋久島"を幻視しよう。 トッピーの座席でメモを書いていて涙が止まらない。みんな当たり前のことを当たり前にしているだけだ。じゃあどうして都市では出来ないのだろう・・・昨日、大阪では小学生が何人も刺殺されたという、今日はキャッチボール相手を刺した小学生がいたという・・なぜできない?愛し合って生きる事が、人と人が認め合って生きる事が・・縄文jの昔に帰れと言っても一笑にふされるだろうが、真に幸福な世の中を望むなら・・・と、思わずにはいられない。せめて日本全土を今の屋久島にできないだろうか?自給自足と観光で経済を成り立たせるのだ。山や海を徹底して自然に返す、美しい島ジパングを取り戻し、文化や芸術を養い輸出し、観光客を招き、世界中の人々に、そうした暮らしの素晴らしさを教える国に生まれ変わるのだ。 "演劇としての思想"という発想から生まれた"密林主義者"としての私は今、鮮明なイメージとバックボーンを得た。 豊かできれいな水があること、あふれるほどの緑、豊かな森に囲まれていること・・これが、人間に与えるものは『安心』なのだ。海だって、あまりの透明さに流れ込む川のせいではないかと嘗めてみたほどだ。 本来そうあるべき環境の中にいる人間は安心している。生物として当然の事だ・・・それを失ってまで人間は一体何を手に入れようというのだ!・・・麻薬のように世界にはびこった『文明』の謎もまた解き明かさねば成らないことだが、"自然復興"がその特効的、かつ切迫した解決手段であることは間違いないのではないか? 経済の破綻も人口減少も当然の帰結、人類の種としてのブレーキだ。帰り道を探そう。それは昨日への旅ではない。楽園に暮らす明日への希望に満ちた旅なのだ。 一人旅の怪しい中年男を温かく迎えてくださった屋久島の方々、この旅を応援してくださった全ての方々に心から感謝して、この旅日記を終えようと思います。本当にありがとうございました。 **************************************** (2001.6.9 18:20 トッピー船上にて 白神貴士) |