2007年11月13日〜2008年03月02日柏屋ぴよぴよ日記 逆順になってます
2008年03月03日 02時19分24秒  NOGGYさん最後の舞台 & 東京公演ミーティング

14時から天神山文化プラザでSOFT GEARの公演「ドライブイン・カリフォルニア」(作・松尾スズキ)を観る。ほむらんさんが受付でした。お嬢さんも元気に走り回っていた。客席にも猫奴さんやIぱさん、つりちゃんさん、WHITE NOISE以来のF市さん、アートファームのO森さんなど多士済々。

物語はナレーター/狂言回しの役回りを担う少年を、鹿児島へ結婚して行ってしまうNOGGY嬢が好演。客演の女優陣も、キャラが立っているSG男優陣を相手に勝るとも劣らぬ熱演で面白かった。

終演後NOGGYさんに小さな座布団付桃太郎人形をささやかな餞別として差し上げる。拙作「信長2003」での奇蝶役ありがとうございました。岡山を忘れないで鹿児島で幸せになってね。

家に忘れていた改訂版「独裁者?供彗翹椶鮗茲蠅傍△辰董?17時から天プラの休憩コーナーでYぞう氏、力さんと東京銀座の「1&2演劇祭」に向けてのミーティング。

Yぞう氏の正式参加決定。有難し。後はスケジュール決定、情宣、練習等…プロフィ−ルが早めに必要との事で、二人の撮影をする。

私も含めて「カタギ」には見えない3人組だなあ…と思った(^Θ^;)

2008年03月02日 01時57分43秒  倉敷にて

土曜日はヤフオク関連の振り込みなどして、倉敷の「桃太郎のからくり博物館」勤務。

しおりーな嬢とのコンビは初めて。
お化け屋敷の時も感じたがにこやかに笑顔を絶やさず、実にしっかりとした仕事の出来る女性である。
岡山有数のバンドのメンバーとしてのステージでの勇姿とは、また違った一面か。人間力があるタイプの方ですね…尊敬してます。

午前中はお客様の出足が遅かったが、最終的には結構良い仕事はしたと思う。

ご両親の用事の間なのか、兄弟三人で入館のお子さま達が、『鬼ヶ島の洞窟探検』に躊躇されてたので、桃太郎ヘッドを被って先導…暗い中、視界が悪くて苦労したがお子さま達には喜んでもらえた…のが一番グッジョブかな。

何かの学会が有ったらしく団体割引も。多人数ほど盛り上がるのも、この施設の特徴かも…グループのお客様は「からくり」や「鬼ヶ島」で仲間の反応も楽しめるからかな?

帰りに商店街のスペースで雛飾りを観る。牛車や御殿、様々な道具など豪華…庶民の私はこういうお雛様には今までお目に掛かった事が無いなぁ…。

akira君のお父様からありがたいメールが…。東京公演も頑張らねば。

2008年02月28日 04時27分37秒  独裁者?驚?稿

脱肛ではありませぬので念のため。

7月東京一人芝居公演に向けて、以前書いた台本に手を入れてました。

3部刷って日曜のミーティングに備える。

「はりこのトラの穴」にも上げて置く。

2008年02月26日 04時10分31秒  シャクティ

ヤフオクで落札したネパールの仏像、ブッダ・シャクティーが届く。

ブッダに女体が絡みつく…世に言う歓喜仏の一種。

タントラの世界…我が国では後醍醐帝が修した真言立川流が有名だが、こちらの歓喜仏は象頭のガネーシャ2体が四つに組んだ立ち姿…あまり色っぽい物ではなく、立川流の凄まじい修法に似合わない大らかな姿。

パート前に中銀ATM→〒ATMで今月の引き落とし準備。

安物を買い集めるくらいしか脳内快感を生み出せない生活が長い。

脚本を書け、映像を撮れ、音楽を作れ、舞台を作れ

人の相談に乗っている時か、病んでいるのは己自身…と天の声

然り。

カルマの命ずる儘に四肢を踊らせ 虚空に印形を切り結ぶ

心は真の罪(Sin)

しんしんと 白き粉雪 降り積もれ

我が心身を 深々と埋め…

2008年02月24日 00時43分04秒  横須賀の旅・拾遺

品川から京急線で横須賀中央までの列車の旅だった訳ですが、この路線の駅名には興味を惹かれる物が多いのです。

青物横丁、大森海岸(と言えばモースの見つけた貝塚)に始まり、雑色(中世の官廷に属する賤職身分の呼称)、生麦(江戸末期開国後の生麦事件の場所)、能見台、追浜(おっぱま)、金沢八景、金沢文庫という駅名も趣がある…

中でも、二つの駅名に心が騒いで、(時間もあったので)横須賀中央から式場プラザ・ヨコスカまでの道すがらにあったネット&マンガ喫茶に入って検索した。

一つは「安針塚」元は「軍需部前駅」という名前だった物が、国土防衛上みだりに情報を明かすのも如何な物か?という事になって「三浦按針(ウィリアム・アダムス)」の墓が近くにあるから…と改名したとのこと。

漂着したオランダ船に乗っていた航海士=水先案内人=按針だったアダムスは家康に取り入っていたイエズス会などのポルトガル・スペイン勢力がキリスト教を布教しては、その国を侵略していると説得、彼らを追い出して(鎖国)、(布教の意志のない)オランダが一手に南蛮貿易の権益を握る手助けをした。砲術指南・帆船建造などに能力を発揮し、家康の旗本として横須賀市逸見(へみ)に250石を拝領。56才にして長崎・平戸で病に倒れて死亡。

「我死せば、東都を一望すべき高敞の地に葬るべし。さらば永く江戸を守護し、将軍家の御厚恩を泉下に奉じ奉らん」との遺言を遺したのでここに葬られたとあるが…

明治38年(1905)改修のための事前調査が行われた際、三浦按針の遺体が葬られた形跡は確認できず、以来、墓というより供養塔であったと考えられている。

実は平戸の共同墓地にイギリスの方を向いた墓があったりするらしいが、按針を主人公に『インタビュー・ウィズ・バンパイア大江戸版』を構想している私に取っては…「確かに埋められたが遺体が無くなった」という解釈が出来るな…とほくそ笑む訳です。

ここも訪れたかったが、精進落としが済むと日も暮れてきたので断念。

代わりに電車を降りた駅は「黄金町」…数年前に新宿のTSミュージックでファンになった麻矢えみり嬢 
http://bijyo-meikan.com/strip/maya_emiri/index.html
のデビューした「黄金劇場」がここにあったはず…という記憶が蘇ったのです。
スケジュールを観ると麻矢嬢は3.1〜10の出演とニアミスながら残念。ですが踊り大好きで四季ミュージカル物など踊る(TSではライオンキングでした…)彼女が、どんな劇場で育ったのか興味があって、1時間の滞在可能時間(優しい受付のお兄さんが1000円割引してくれました)ながら入りました。お客さんも6人と少なく、踊り子さんも(かなりベテランの)1.5人分しか観られませんでしたが…ちょっと納得。

照明設備等も(一流劇場に比べると)十分で無く、踊り子人数も少なく、客席も狭い小屋なので、空間・時間を埋めて間を持たせるには芸(踊りに限らず)が必要なのです。良い設備が人を育てるばかりじゃないなぁ…と、ステージ(踊りの合間は見計らったのですが)途中で抜けるのは踊り子さんに失礼だし、ごめんなさいね…とも思いながら、再び京急に乗って品川を目指した私でした。

2008年02月23日 09時55分42秒  最初で最後のラブレター

亡くなった叔父は平成17年に重症肺炎との疑いで入院後、骨髄異形成症候群 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%A8%E9%AB%84%E7%95%B0%E5%BD%A2%E6%88%90%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4 と診断された。

意識の混濁もあり「一日看病休んでもいいから岡山へ行ってマクワウリを買ってこい」などと御家族を困らせた事もあったようだが、亡くなる前日に意識が明晰になり「これまで色々無理を言って済まなかった。感謝している。」という内容を叔母に宛てて書き残した。二度書き直し、書き直す度にしっかりとした字になった。

「悪いのは全部私…」と決して自分が悪かったと言わず何でも叔母のせいにした(まるで中尾彬のような)亭主関白の叔父からもらった最初で最後のラブレターだったという。

ちゃんとごめんなさいとありがとうを告げてから逝った「たけおじちゃん」…あなたはやっぱり最後までかっこよかったんですね。
そのかっこよさは、出棺の挨拶の最後に家族の名前をひとりずつ呼び、「みんなよくがんばった」と言ったあなたの長男にも受け継がれてますよ。

棺に入れてもらってた愛用のウクレレを奏でながら、安心してご家族を見守ってあげて下さい。きっとみんな素敵な人生を送るに違いないです…と、横須賀の街でそう思った私でした。

2008年02月21日 04時13分02秒  叔父の死

横須賀の叔父(父の弟)が亡くなりました。

両親は新幹線で通夜から参加しますが、私は21日夜に高速バスで行きます。0泊3日再び。

叔父は終戦後に関東へ出て楽器店に勤め、やがてエレクトーンや電子オルガンなどの楽器の営業やメンテナンスに活躍。結婚して1男1女をもうけました。

家業の飴屋で頑張っていた典型的庶民の白神家では、行動力もありカッコイイ印象の叔父でした。

私の小学1年生のクリスマスにはキャデラックのオモチャを贈ってくれました。プラモをもらったり…嬉しかった。

岡山で横須賀で、色々話してくれました…人生のこと、音楽のこと。シンセ多重録音時代の私のテープを聴いて助言してくれたり…。

そういえば、私が初めて音楽に興味を持った時に手にした楽器は、叔父が家に遺していったウクレレでした。

ギターを買ってからも、しばらくは4本弦でウクレレ・チューニングにして弾いてたなぁ。

さよならして来ます。

2008年02月20日 04時38分27秒  還城楽とポケットサックス

還城楽という舞楽面のレプリカと、ポケット・サックスが届きました。

お面は額に青筋立てて怒ってます…ポケット・サックスは青筋立ててません…怖くてくわえられなくなります。

密かに練習している尺八もそうなんですが、口元で音階の微妙な調整が必要な楽器は、私のように音階許容幅の広い人間には向いてない部分もあるかも知れません。

まあ、まだ綺麗な音を出したい…という段階ですが。

奥様の二胡も到着しました…弦を張りすぎて早速切ったみたいです。

どうも私は(スケールの小さい)買い物依存症が治りません。心に何かが欠乏しているのだろうと思います。

2008年02月18日 03時37分51秒  夢幻月公演を観る。

日曜は14時前に天プラへ。

先ずは銀仮面団が練習中の第3練習室でF澤御大に追加分の秘宝流東山社中「マリアージュ」DVDをお渡しし、ホールの夢幻月「奇跡の笑顔」公演へ。

ファンタジー要素の絡むシリアスでコミカルな純愛物ラブ・ストーリーなのだが、冒頭でキキ嬢の演技に驚く。この女優さんは作品事に細部までキャラを作り込む方なのだが、最初別人に見えたほど。なかなか岡山ではここまで演じ分ける方は居ないなぁ…と、思った。

対照的に男を演じた真夏っちゃんは、同じタイプのキャラが次第に味わいを増して来る感じ。脚本のYぞう氏も二人に合わせて書いているのだろうなぁと思った。

Ip氏にも遭遇したので終演後にお話をした。F力氏も来ると言ってたのだが、来なかったなぁ。あ、シリウスさん御夫妻にも遭遇♪


奥様に頼まれていた二胡をヤフオクで落札。1.12に301円で落札し「3月になります」と言われていたミラーボールも今日到着&無事可動で一安心。

アメーバビジョンで故アーロン・ルッソの「アメリカ〜自由からファシズムへ」日本語字幕版を観る。

アメリカでは通貨を発行し管理しているのはFRB=連邦準備銀行と呼ばれる秘密のベールに隠された(一般国民には政府組織だと勘違いしてる人も多い)民間大手銀行のカルテルであって、ここが政府に金を貸して利子を取るという不思議なシステムで国や世界を牛耳っている…と言うことを、アメリカでは根拠になる法律が無いままに徴収され、FRBへの利子支払に充当されている「所得税」に反対する人々を調べていたアーロン・ルッソが明らかにして行く…というドキュメンタリー映画。

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=731004

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=731009

対テロ戦争を口実に米国民に施行されようとしているIDチップ埋め込みや逮捕・盗聴等の政府・警察権限拡大が911以前から準備され、何のために使われようとしているかも語られる。

米最高裁が「根拠が無い」とした判決が確定している「所得税」をうやむやのまま徴収し続けるIRSも良い根性だが、「そんなの関係ねえ」で通せる背後の『権力』の強大さは恐ろしい。

2008年02月16日 23時01分40秒  NHK-FM生放送

NHK岡山放送局ひかりの広場で2時間に渡っての生放送で行われた、EGリビング/スプリング・カムカム合同ライブから…一番インパクトがあった、

(タ〜ラコ〜の上野耕路の弟さんの)上野茂人作品3連発
「炊事節」「元旦風景」「ふとんが俺を呼んでいる」をyoutubeにアップしました。

http://youtube.com/watch?v=6JH9ZxI-h5M

赤田師匠は興奮しすぎて睡眠不足の感じが若干出てましたが、(黒瀬さんや、アナとのやりとりも含め、)何しろ楽しいライブでした。

これをきっかけに、お仕事が増加すると思いますよ師匠!

アナが「黒田さん!」と名前を融合させてましたが、カムカムの「赤と黒」スタンダール・コンビが岡山の音楽シーンを面白くさせてくれるのは間違いないです。

2008年02月15日 02時23分01秒  ディープな話をしたり、DVDを焼いたり…

水曜日は「Jさんの事を聴きたい」と言ってくれたミセスM綾と珈琲館で2H半ほどディープなお話をする…私も誰かに聞いて欲しい気持ちがあるのです。色々な作品の中にJさんからもらった物を表現する事は出来ても、もっと具体的な色々は、話す機会がなかなか無くて。

M綾はJさんが「私のお花畑」(=眺めているだけで気持ちがなごむという意味だと思います)と呼んでいた素敵に純粋で温かい人なのですが、結婚してからは子沢山の為、毎日忙しそうで、あまり会えなくなってました。

Jさんの事を気にかけ、忘れないでいてくれる貴重な方の一人です。

帰宅後、頼まれたJさん関係のDVDを焼く。来週、私がスマトラ・チャリティをお手伝いしたM穂さんと一緒にミーティングする事になったので、その時に渡そう。

もう1セット、秘宝流東山社中の「マリアージュ」DVDも製作。こちらはF澤御大に頼まれた物…木曜昼にお渡ししたら、もう1セットを頼まれる。

PC2台で焼いて、チェックはDVDプレーヤーで行う。

ジャケットもプリントアウトしてケースにセット。

後は、秘宝HPの更新残りである2007玉野の記事を製作中。

ちなみに…ヴァレンタインは奥様に3枚ほどチョコを戴きました。

2008年02月13日 13時26分30秒  東京から帰って…

■(故郷が出雲の)石飛さんが観たがって下さってたので、「朱砂之雄(1997)」生涯学習センター版をDVD化して、体裁を整えてプリント・アウトした脚本と一緒にメール便で発送

■秘宝HP。06玉野のDVから切り出した静止画像の加工をして記事作成。
 http://hihode.gozaru.jp/06tamano.htm


部屋を片付けて、久々に掃除機をかけ、布団を干し、切れた名刺を印刷し、パートへ通い、トイレで読書、買い食いし、stage6で日本映画の予告編を大量にDL…というような日常に戻る。

一息入れたら「独裁者」東京公演の準備に本格的に掛からねば…特に情宣関係が鍵。

2008年02月11日 11時07分03秒  0泊3日?

9日21:40に岡山発の夜行高速バスで東京へ-10日21:30東京発で岡山帰着という強行スケジュールの東京行きでした。

行き帰り共、周囲の方に気を遣ったF力氏のイビキは「マウス・テープ」で口を封じ、鼻呼吸にする事で当社比80%減に成功。まずまず大丈夫で一安心いたしました。

東京駅八重洲口のスタバで朝食を済ませ時刻まで雑談後、徒歩で銀座方面へ。出迎えて下さった(1&2演劇祭の実行委員にして拙作「担白」岡山初演時以来の再会の)石飛仁氏と3人で目的地へ。中央区京橋、鶴屋南北が「東海道四谷怪談」の初演時に楽屋に幽霊が出たとの宣伝を仕掛けた江戸中村座があった辺り、大江戸歌舞伎発祥の地の記念碑近くの細い通りに建つ古めかしい趣のあるビルが今回の旅の目的地「誠オフィス」です。

亀和夫代表取締役に案内して戴いて、地下にある劇場へ。小じんまりとして客席との一体感・温かみを感じる空間…秘宝・玉取座長の一人芝居版「寝盗られ宗介」なんかにもぴったりそうな劇場。照明・音響も十分な設備があるし稽古場兼楽屋が広くて便利そうでした。

近所のレストランで昼食をご馳走になりながら4人でミーティング。亀社長はアングラも大好きという事でテント劇団のディープな話題も。

亀社長は仕事に戻られ、3人は千葉の町立歴史民俗資料館の学芸員をやられている久野氏と合流して、そこから先は焼鳥屋→海鮮料理と河岸を替えつつ「飲んで語る」という(私にとっては経験の浅い形での)交流&打ち合わせへ。

まあ、飲んでも、飲んでなくてもそう変わらない私なので特に支障は無いのですが…花岡や出雲で石飛さんたちが進めている地元との交流の話、古代の歴史の話題…色々と楽しくお話し出来ました。

一方で観客動員などは、やはり基本的には劇団側が頑張らないとダメだろうと再確認。大変は大変ですが頑張って行こうとF力氏と努力を誓い合って東京を後にしました。

2008年02月09日 06時52分30秒  秘宝館昇天堂HPをリニューアル中…

http://youtube.com/watch?v=jIkAUwqvZ80

↑この動画は2006.3.21、岡山後楽園の能舞台で秘宝流東山社中が開催した"MARIAGE"のオープニングを飾る玉取将軍の踊りです。画質は良くないです。

↓実用的にはサイズを縮めて非常識な数を並べてしまいました。
http://hihode.gozaru.jp/06mari.htm

↑さすがに重いみたいです。

県の文化団体に名前を残していた秘宝館昇天堂一座も、座長も他県へ行っちゃった事だし、発展的解消という形で消える事になりました。

皆様、長い間のご愛顧ありがとうございました。

HPはアーカイブとして存続します。
今後の東山社中の活動はMOVE INFINITYのHPでカバーするつもりです。


ちなみにF力氏のプロジェクトの下見&打ち合わせの為、今日9日の21時40分には東京行きの高速バスに乗ります。

帰って来るのは11日の朝だと思います。

2008年02月07日 06時54分43秒  フラッシュ・サイトを仮アップしてみました。

色々HP製作のお勉強も兼ねて「悪の秘密結社」のHPの入り口周りを「A4DESK」のテンプレートで作ってみました。

未だ段々使い方が判ってきたかなって処で…深いところはほぼ既存の物にリンクしてます。

http://boogie.xxxxxxxx.jp/aku/

2008年02月06日 05時59分16秒  5日は私の、6日は奥様の誕生日でしたので

お昼に奥様が先日食べて美味しかったというヨーカドー近くのオムライス屋さんに連れて行ってもらいました。

確かにふわふわの玉子焼きはとっても美味しかったです。

お礼にとパート帰りに、パート先で50%OFFセールの中から毛皮襟のついた(何かオンワード系婦人物ブランドの、オムライス定食2セットに毛が生えた位の値段の、でも私の感覚では中々センスが良い)カーディガンを買って帰り、奥様がホカ弁パートから帰宅してから差し上げました。

マズマズは気に入ってもらえたのかしら?

「でも私じゃ似合わんわぁ…」と、やや気落ちした感じで「ありがとう…」を言ったので「こらぁ、哀しそうに『ありがとう』を言うなぁ!」と突っ込んで笑ってもらいました。

夫婦の年輪にはヒビや亀裂もありますが、何とか埋めてやって来れたのは「笑顔」のお陰だな…と思います。

もはや男女の甘さは無い(あまり接近すると嫌がられる)けれど、適度な間合いで遠赤外線を放射しあっているのも年齢相応かも知れませぬ。

2008年02月05日 04時49分19秒  

今日はパートから帰ってHPのリニューアルを進めました。

久々にDVDで映画の『嫌われ松子の一生』を観ました。
顔がくしゃくしゃになって涙が止まりません。

こんなに好きでこんなに哀しい映画は他に有りません。

きっとこれからも、泣きたくなったら観るのでしょう。

ああ涙が…止まりません。

2008年02月04日 04時06分08秒  朝晴れてても昼には雲が広がり夜に雪だったりした週に

さて、部屋もちょっとだけスッキリしたので、今週はパートから帰ったら、積み残し課題のHPリニューアルに掛かっておりました。

「BOOGIE STUDIO」「悪の秘密結社」をしっかりとリニューアルし、「秘宝館昇天堂一座」をスッキリとアーカイブにして、「東山社中」をシンプルに座長と連絡がつく形に作ろうかと…。

とりあえず、結構前に買ったままになっている『A4Desk』というどっちかというとビジネス・サイト向けのソフトで、悪の秘密結社HPを製作中です。

最近はHPが日記以外ほとんど更新出来てないので、この際しっかり作りたいと思ってます。


ヤフオクで、ちょい衝動的にDVDプレーヤーを買ってしまいました。

どうも、私が衝動的になれるのは3000円までのようです。

消費税・送料・代引き手数料でもう少しかかった訳ですが。

SDとかUSBとかのポートやDVDカラオケ用のマイク差込口×2とか付いていて、Div.Xのdiskも使えるとか、データとしてフォルダに入ってる物も再生してくれるのですが…AVC/H264とかmovには対応してないようで、現在の処は多機能もあまり役に立ちません。

普通にDVDプレーヤーは部屋に無かったので、まあ便利なのです。ブラウン管で見ると液晶と違って映像の切れが良いです。S映像にすると時に圧縮ノイズが気になるくらい。コンポジットで丁度良いかも。

こいつを設置する為に、数年前から死んでいるビクターの高性能S-VHSデッキとVHSテープ類を片付け、ついでに楽器も大半を倉庫部屋に移動したので、また少し部屋が片づきました。

VHS→DVDもそのうち買わないと。Vにしか残ってないオリジナル・コンテンツも結構あるんだなぁ。でもそんな作業をする時間があるのかしら?

まあ、そもそも誰が見るのだって話ですし、反文明人的に考えれば、口伝で良いのだとまで思い切れるのですが。

最終的にはネットに上げてDLしてもらって世界のどこかに残ってたら良いのかしら。他人が保存してくれるようなものでないとなぁ…。


他にしてた事は…大韓航空機828便(真由美)事件のネット検索をして韓国の雑誌を刊行してらした方関係のHPに巡り会い、米軍の半島上陸が、はっきりと敗戦を認め、従順だった日本への対処とは違う、ひどく荒っぽいものであった事に(戦勝国の仲間じゃなかったの?と)驚く。韓国が米国の戦略上の目的で作られて行った故の南北分断、というか(北朝鮮もまた)…とにかく、この辺りの事情は日本人はほとんど知らないんじゃないかしら。

そこで触れていたのも含め828便関係の中古文庫本2冊(どちらも送料別\1…!)をアマゾンで注文する。乗客の遺品ひとつ、死体ひとつ見つかってない航空機事故は歴史上、これと911しか無いのです。

真由美が猿ぐつわをされてタラップを降りてきたあの日が、韓国大統領選挙の前日だったというのも忘れていた重要な事実でした。


HPリニューアルはゆっくりとしか進みません…部屋が寒くて足下をヒーターで暖めると眠くなる悪循環。最近こつこつ地道な作業への集中力が減退してます。困った物です。

2008年01月30日 04時08分27秒  面が集まった…

月曜日、雪の降る夜に思い立って部屋のあちこちに収納されている仮面関係を裏の物置部屋に移動。その前にどの箱に何が入っているか判るように、全て画像に納めて番号を振りました。複数持っている物もありますので全部で80くらいあります…。

掲示板に画像上げてみます。

基本的にはpersona blanca用に、顔に被れる物、あるいは、そう加工出来る物を…と思ってるのですが、ヤフオクでは大きすぎたり小さすぎたりも…。まあオデコに付けるとかすれば何とかなると思うのですが。

皆様、どこかで素敵な仮面がタダ同然みたいなウマイ話が転がってたら、教えて下さいませ。よろしくお願いいたします。

2008年01月28日 01時49分34秒  土日は追っかけ気味

土曜昼は奥様と天プラ展示室でのギャラリー・コンサートへ。
日曜はスプリング・カムカムの出石町ピエニでのライブへ。

燃ん生師匠夫妻の追っかけでは無いのですが…

普段、あまり行けないのでタイミングが合った時には行っておこうと思いました。

クラフト展の素敵な作品群をバックに「南の薔薇」「薔薇はあこがれ」と歌詞・メロディの良さを教えてもらった天プラも、ウクレレやマトリョミンの音色と架空先生と燃ん生師匠の掛け合いが楽しかったカムカムも、しっかり楽しめました。

大人の科学のテルミンを作らなきゃ…と思いました。
後、年末から持ち越しの部屋の片付けも…

土曜の夜〜日曜の朝は大阪ノクチのダイジェスト版作って、プロモ用の「悪の特選映像集ver.2.0」DVDにヴェスタイト、いわとわけなどと一緒に構成。

ダイジェスト版はDiv.x版をstage6に。wmvをニコ動にあげたのだが…WMVとFLVの相性が悪いのを忘れていた…上げ直そうかな。

日曜昼はY端さんとMT。彼の置かれている状況が想ってたほど悪くない事が判った。貯金も生命保険もあるし、月々しっかり稼いでいるし…ただ彼の訴える空虚感は、どうも仕事の状況が主因かも…と思えた。


F力氏から東京の石飛仁氏からの情報を教わる。

日にち的にも負担金的にも昨年のより楽になる様だ。

ただ1時間を何で埋めるかを考えねば…

2008年01月26日 02時44分49秒  和食でミーティング

パート前、AM11:30に某NPO時代などに沢山想い出のある旧TOPOS裏の公園で待ち合わせ。ちょっと早めに着く。ハトの群に忍び寄って飛び立たれ、ブランコを漕いでいると待ち合わせ相手のYうぞう氏が到着。

すぐ近くのDANKという名の和食のお店で1200円の日替わりを戴きながらミーティング。

「独裁者」の新しい版の台本を渡して、テーマや演出などについて色々とお話しを。金土日で5回という公演回数も一つのネック…ダブル・キャストも一つの方法か…

いずれにしても、もう少し詳しい情報をF力氏に入手してもらわねばならないし、Yうぞう氏の返事は彼の公演後に聞かせてもらうことにしてパートへ。

夜になって「ノクチルカ・シンチランス」大阪公演のネットに流せるようなダイジェスト版の作成に掛かる。 少し余裕が出来たのと、昨日の新年会で大朗読のI本氏がpersona blancaのファンを増やしてくれている事など判明したのに力づけられて…。

近々には岡山公演が出来るような体制を作りたいのは確か…。

ヒッキーのままでは居られないかな、やっぱ。

2008年01月25日 03時34分02秒  今年はOOたかさん?いわとわけ音楽祭の新年会

パート後、一旦家に帰ってから20時に「ときわうどん」へ。
いわとわけ音楽祭の新年会。

馴染みの皆様に混じってマビキ団の河原氏が参加。皆様へのご紹介や皆様の紹介を担当。面白そうなバンドの情報も教えて戴きました。マビキ団のペパーでのライブ記録を上映中、リハがあって後ろ髪を引かれながら、退出されました。

リビング新聞の事業部門のIさん来場。昔、学生時代に、かなりなお芝居を書いて広島の大学でやられたらしいです。いつでも脱いでくれそうな頼もしいオジ様(私より一歳年下とのことですが)です…宮崎学をカワイイ感じにしたようなお顔も親しみを感じます。

燃ん生師匠のひげにも初遭遇。色々な突っ込みはありますが、なかなか似合ってるかも…イチローのヒゲと同じでベビーフェイスな師匠は必要性を感じる部分があるのかも。スーツ姿が若干の怪しさも醸し出してましたが…。

今年のいわとわけ音楽祭ゲストは、OOたか静流さんのasian wingsになるのかも!昨年cozy+さんが出演されてるユニット、縁があるのですね。私も、そういえば昔、サウダーヂでのおお○かさんのLIVEビデオの増感処理を頼まれた事がありました。

ま、岡山によく来られているという事なんですね、きっと。

ふと時間を見ると24時を過ぎていたので慌てて帰宅して、待っていた猫さんに夜食を上げました。珍しくビールとワインを多少飲んだので若干気持ちよくなってました。

2008年01月24日 02時35分25秒  台本進行…ver.0.8β完成

「独裁者・完全版」の執筆を進めた。

一応入れたい内容は書き終えた。

後は金曜日にYぞう氏と打ち合わせ、引き受けてもらえるようなら、彼に合わせて微調整をすることになる。

劇中歌の一つとして「王様バンドショー」(イカ天にも出場した友達のバンドです)の名作『ボーンズinUSA』を使いたいという思いが沸々と湧き起こる。

ビデオが不完全なのしか手元になく、歌詞やコードを訊いておいた方が良さそう。誰か覚えててくれるかな?

2008年01月20日 18時19分44秒  雪男

今日は桃太郎のからくり博物館勤務。

朝、家を出るときは雨だったのだが、列車の窓の向こうで雪に変わった。

倉敷についてからは雨と雪の間を行きつ戻りつしていたが、気温の低下と共にしっかり雪になった。雨男だと思っていたらついに『雪男』になってしまいました。

15時半くらいに帰館した気象予報士でもある住宅館長によれば、冬型が崩れて温かい湿った空気が入った処へ南岸に低気圧が発生。これに吸い寄せられて寒気が舌のように瀬戸内地方まで伸びるという、『60年に一度』の大雪が降る気象条件らしい…

大雪と言っても(県中央部では60cmくらいの可能性があるらしい)県南では10-15cm、ヒートアイランドである岡山市などでは最大でも一桁くらいだが、何しろ雪が積もらない晴れの国にとっては一大事の降雪量なのだ。

館長は盛んに予報士仲間で連絡を取り合ったり、嬉しくて夕べ寝ていないという…ちくわ演奏も上の空だったとか…(笑)

明朝は銀世界かも!

ただし、低気圧の移動と共に寒気は去って雨が降り、雪は溶けてしまうとの予想。一瞬の幻に終わるのかも知れません。

2008年01月19日 03時47分50秒  悪魔を哀れむ歌

ストーンズの名曲ではないのである…倉敷芸文館アイシアターでの転機与砲公演を見ていて浮かんだフレーズ。

四つのお話の狂言廻しとして登場する悪魔はヘマばかりして魔王に怒られているのである。

後半の方が好み度高し。最後のオチはちょっと深かったかも…

19日(土)も13時〜と17時〜あります。
アニメとか戦隊物とかお好きな方には特にお勧めです。
私の皮膚であるぴよ吉着ぐるみもうら若き女子の内臓を得て嬉しそうでした。

行きはパート帰りに駅から山陽本線でした。
帰りも鉄っちゃんのつもりでしたが、
○び氏が話したそうだったので乗せてもらいました。
有り難し。

2008年01月18日 05時59分34秒  一仕事去って二仕事

パートが終わってからF力氏とカレー屋さんでコーヒー飲みながらミーティング。

未だ茫洋とした平和コンサートの企画と、結構機関のない東京一人芝居作戦の話。

東京は、銀座近くの松井誠さんのオフィス・ビルにある小劇場での一人&二人芝居フェスに、以前私が書き下ろした「独裁者」を持って行きたいとの話。フェス実行委に故・塚越さん繋がりの石飛仁氏がいることから出た企画。

執筆時に珍しく当て書きしたY端氏が不調なので、やってもらえそうな役者さん探しが難しいと私…

「T君は?」「Tさんなら…最近ウェイトアップしてるし…」と電話を掛けて話しを聴いてもらう手はずに。台本が台本だけに引き受けてくれるとも限らないが。F力氏の説得にかかっているか…

私も台本をスケール・アップする羽目になる…早急に頑張らねば。

2008年01月17日 01時49分18秒  「みよりとことば」DVD完成

「みよりとことば」 のDVD製作作業をようやく完遂。

DVDあちらで焼き増すとのことで2枚セットを一部」のみ。
ケースとジャケット5部お願いされて、デザイン&プリントして挿入。

さあて、これで家仕事タスクから解放…と思いきやF力氏から相談色々…明日夜ミーティングとなる。前途多難の気配か…

2008年01月14日 00時41分56秒  引き籠もり日記 13日

編集が佳境… 「みよりとことば」18時分編集を半分終える。フェードが1コマ残っていたので再出力中。

座長のお正月来岡が結局無理そうなので、配送代行を引き受ける。N海嬢以外はメール便で発送したが…連絡がつかないので誰かに住所を聞かねば…

2008年01月14日 00時40分33秒  王女A

12日、「みよりとことば」18時本番の頭25%をPCがAVI出力している間に、天神山文化プラザに「王女A」を観に行く。

天プラ・ホールの幕類を全てかたして、ソデもホリ奥も舞台化していた。幕が無いと多目的ホールとかの公演に近い感じのスパルタンなヴィジュアルになってた。

廃墟風の柱数本と根本を埋める砂が主な舞台装置。

入ってきたのは一人の男と五人の女…一人の女が砂に吹き寄せられた紙片を読み、人々は口々に言葉を語り始める。

明確な「対話」はほとんどない、パフォーマンスに近い舞台。戦争、王女、侍女達、母、殺戮…といったイメージが言葉の端々から感じられる。

見終わっての私の印象は
『砕け散った破片から立ち上る蜃気楼のようにゆらりゆらりと見えてくる滅亡した王国の物語』
だと思った。

舞台上のポータブル・カセット・コーダーから流れる音声・効果音・音楽、舞台一面にまき散らされる端切れなども面白かった。

アフタートークで、王女Aはやんごとなき一家の愛子ちゃんのことだと知った。よく見るとパンフにも書いてあった。うーむ…そーなのかぁ?

岡山の観客はシャイなのか、作・演出の松田正隆氏のアフタートークで私以外、誰も質問しなかった。

「戯曲を書くときに観客を想定して書かれますか?」
「想定してますね…中略…(年齢とか一般のとかでなく)全く見知らぬ他者、日本語の分からない外国人の方にも感じていただけるようなものを、と想定して書いています。」

との問答だった。なるほど、その『感じてもらう何か』が主眼のお芝居だったのか…と納得した。

今回の最大の収穫は松田氏が「役者が舞台の上でセリフを喋る…という処から疑問を持って」作品を作って行こうとしていると語ったのを聞いたこと。そうでなくちゃ、と思った。

2008年01月09日 03時20分36秒  【記憶についての仮説】

(仮説自体はあくまで私的な思いつき・妄想的なものなのでご注意)

我々の頭蓋骨の中に収まっている『脳』という厄介な代物は、傲慢な科学という名の狂信を持ってしても、長い間、謎だらけの迷宮のような存在であったが、近年、少しは研究が進んできた。

昔は「脳は死ぬまでにその一割くらいしか使用されていない」などと、まことしやかに語られていたのだが、最近では、「結構使っている」ことが判明しかけているという…。

直感的には「使用されていない」と思われていたのは、大半が記憶の貯蔵庫、巨大な図書館か書斎のような部分だからじゃないのかなあ…と感じた。利用者が一人しかいない図書館は多くの時間、客観的に言えば「使われていない」ように見えそうだもの。

そして、その記憶容量は情報量過多な現代の人間が80年も生きてしまうと相当満杯になってしまうような気がする。

人の記憶という物は例えばMPEGの動画ファイルみたいに圧縮されているのではないかと思う。

mpeg圧縮の基本のひとつは前のコマと次のコマの間で動かない(変化のない)部分を書き換えずに済ませる。変化のあった部分だけを書き足す事でデータ量を少なくする事だが、人間の場合は例えば「概念」というか「桜」なら「桜」を膨大な量になる複雑な視覚情報のままではなく、記号のような、『昔から知っているこのような物』として言語的に置き換えてデータを減らしているのではないだろうか。

言語が未発達で経験・知識が少ない子供の頃に、一日の時間を長く感じていたのは、五感から入ってくる情報の中で未知の物の割合が多く、記憶のデータ量が多いためではないのかしら?

逆に脳の容量が溢れそうな老年になると、情報入力の時点で既にデータの解像度を落とし、簡素化し、省き、目新しい事、重要な事以外はスカスカの、粗い記憶しか脳に入れてないのでは無いかという気がする。

若い頃の事は昨日のように鮮明に思い出せるが、お昼ご飯が思い出せない…というような現象は、こう考えると説明が付きそうな気がする。

2008年01月09日 03時19分49秒  編集折り返し点

「みよりとことば」15時分の編集終了。
今回は2枚組になるのでDVDオーサリングまでやっておこう。
チェックが大変です。

後、半分…。
頑張ろう。

2008年01月07日 09時31分49秒  正月休み最後の日

7日昼前にケータイが鳴って「急病人が出たのでお願い出来ませんか?」と住宅館長の声。おっとり刀で倉敷へ馳せ参じました。

久しぶりの「桃太郎のからくり博物館」、所々変わってる展示を確認。正月休み最後の日曜という事で人出はさほどでしたので、桃太郎ヘッドを被り「動く看板」として頑張ってみました。

気候が丁度良いくらいでしたので連続長時間も可能でしたし、愛嬌50%増し(当社平常比)でやってましたので、入ってくださるお客様も結構いらしたのですが、一人小さい子で泣いちゃった子が…

感性の鈍った大人は「可愛い〜♪」とか騙されてくれるのですが、やはりイノセントな子供は本能的に邪悪さを感知してしまうのか…(爆)

キュレーターはほぼD氏に任せてたのですが、最後の方のアベックの方には自分で満足のゆく解説・接客が出来たかな。いつもながら、満面の笑顔で館を後にして下さるととても嬉しいものです。

帰宅後、それでも結構疲れていたのか、夕べは早めに沈没してしまった半日勤務の日曜日でした。

2008年01月05日 11時18分19秒  息子が結婚しました!

当人がmixiで公表したのでもう書いても良いだろうと判断いたしましたが

川崎にいる息子が素敵な女性と1月1日に籍を入れました。

息子の親会社の懇親会での初顔合わせはぴよ吉姿でした(^Θ^;)
12月の関東遠征であちらのお父様にご挨拶をしました。

「こんな父親だと断られるんじゃないか」とうちの奥様が心配してましたが、何とか大丈夫だったようです。

キック・ボクシングが縁でお付き合いが始まったというお嫁さんは「ミドルキックが重い」すらっとした美人で落ち着いた雰囲気のお嬢さん…奥手で心配していた息子ですが良い運に恵まれた様です。

この先の長い人生色々あるでしょうが、つつがなく幸せに暮らして欲しいと祈ります。

2008年01月03日 04時49分52秒  おみくじ

奥様と岡山駅から吉備線に乗り、備前一宮で降りる。

毎年お正月には、備前一宮=吉備津彦神社、吉備津=吉備津神社、備中高松=高松稲荷と三駅連続で初詣好適神社に隣接する「初詣専用線」と化す吉備線は流石に混んでいて、ワンマンカーでは降りるのに一苦労。

人出も無茶苦茶に多くない吉備津彦神社で初詣を済ませ、列に並んで御神籤を引く。木の箱から数字の書かれた棒が出てくるタイプの物。

何となく予感があったが、数字は『一』。

「一」は大吉と決まっているようで、過去、大阪の法善寺、岡山の高松稲荷でも「第一番大吉」を引き当てた事がある。

どの籤にも「全ての望みが叶う」とか「世に聖人が出る」とか書いてあった割に、『凄く良いことが起こった』とも記憶していない。

そんなに酷い目にあった記憶も無いので、私自身は強運なのかも知れない。そもそもあまり神様に何かを望む事が少ない…これも幸せの証拠か。

ちゃんと信じていない人間には神様もいい加減なおみくじを当てるのかも知れないが、もし本当に望めば叶うのなら、「文明の暴挙から地球を救って、人類が平和に暮らせるようにして下さいませ」とでも祈ろう。

けど、それもまた神様任せにして良い問題では無いなぁ。


吉備津彦神社から、奥様の小学校の頃の思いで話など伺いつつ、歩いて彼女の実家へ。

奥様のご両親・お姉さまご家族とお昼ご飯を頂く。お義父さんは大病の後だが焼酎のお茶割りでご機嫌で、お義母さんをハラハラさせているが、まあ、のどかなお正月の風景。

お義父さんが「もうすぐ地球は滅茶苦茶になってしまうぞ」と言ってたのが印象に残る。質素で純朴で勤勉な人たちが労働力として支えて来た日本の繁栄は、市場として過剰な消費を必要とし、環境破壊を続けている。

もう既に根本を動かさねばならない時が来ているのに、未だに次世代へ負債を先送りし続けている。

人間が自分で、今すぐ片を付けなければならない問題なのだ。

2008年01月01日 18時35分59秒  年越し…明けましておめでとうございます

大晦日は洗濯や料理も手伝いながらで、大掃除完遂できず…離れの倉庫部屋を万能梯子など使って整理・整頓、収納容量を増やす処までで、私の電池が切れる。

K-1ダイナマイトとハッスル(ダイナマイトは良い試合もあったのに企画・構成が…そろそろ飽きられるかも。むしろハッスルに可能性を感じた)をW視聴しながら夕食と年越しソバを済ませ、「みよりのことば」パフォーマンスの編集を少しして、朝まで生テレビを子守歌に眠りについた。

明けて新年。

元日は年賀状のデザインと印刷に追われる…(遅)

ごめんなさい…出してくださった方には必ず返しますので少々お待ち下さいませ。
ネズミ年なので地球最大の齧歯類『カピパラ』をあしらってみました。

川崎に居る上の息子から嬉しい知らせが届く。
彼らにも良い一年でありますようにと祈る。


最後になりましたが、皆様、明けましておめでとうございます。
旧年中は本当にお世話になりました。
本年も宜しくお願いいたします。   m( _ _ )m

2007年12月31日 04時22分50秒   

このところで毎年参加していたのは銀仮面団のOB忘年会だったが、今年は幹事のY端氏の具合が良くないようで…

と思っていたら、先日、住宅館長から「桃太郎のからくり博物館」の忘年会開催のお知らせがあり、30日18時からN田屋栄町店に行って来た。

総勢9名参加で、しっかり飲み食い…オカルトとマジック(K山氏の妙技も)の話題が多かった。D輔氏がちくわの腕を上げていて一同驚嘆!流石は内弟子!鳥取の博物館の様子も興味深く伺う。

二階のお手洗いに行く途中で声をかけられて振り向くと、T屋氏、K藤氏、Rさんなど、バンド時代の友人たちが、やはり忘年会をしていた。奇遇。

二次会へ行かれる方もあるようだったが、「良いお年を」と一次会で失礼する。


忘年会へ行く前、来宅のY中氏に銀仮面団「満里亞の災難」のDVDマスターをお渡しする。Y音さんの手作りケーキを頂いた。有り難し。

HDDを整理しておいて、林三從さんの言葉によるパフォーマンスのAVIを取り込む。約70分×2カメラ×2ステージ…頑張ろう。

2007年12月30日 12時03分29秒  林三從さんの言葉

28日金曜日…雨の中を自転車で岡山駅へ向かう。

昨年から開かれている林三從さんの命日イベントの動画記録を依頼されたのだ。

雨で自転車の速度を上げられず1分遅れで列車に乗り損ない、まあ時間的には大丈夫だからと1時間後の列車を待つ。赤穂線は本数が少ない。

様々な思索にふけりながら時を過ごし、ようやく列車が到着したので乗り込もうと列を作ると、お隣に今日のイベントで朗読をされる岡山演劇界の大先輩F市さんが!

西片上までの40分、今日のパフォーマンスに向けた練習のお話など伺いながらの列車の旅。F澤御大もそうだが、かくしゃくとされている事には驚かされる。

会場のWHITE NOISEに到着後、昼食を頂き、リハ。本番は15時と18時。

テキストは故・林三從さんの残された様々な(日記・メモ・手紙など)から、選ばれた言葉。それをF市さんが朗読し、就実のO本さんが踊るというパフォーマンス。F市さんの朗読ソロ、O本さんのダンス・ソロ、二人のコラボレーション、二人でダンスというパートを組み合わせた60分間を結構即興的にこなす70歳を越えたF市さんには脱帽。弓形で振って共振させる楽器を使ったりのO本先生のダンスも素敵だった。

言葉は芸術論だったり、イベントの収支についての嘆息だったり、恋文だったりの様々なもの。

パフォーマンスを観ると言うよりも、林三從さんと対峙し、言葉を聞いてるような気がした。

客席が狭いので60分、箱の上に立っての手持ち撮影は、なかなか辛かった。両肩は悲鳴を上げるし、背筋は座りたいとせがむ。

なんとかこなして無事終了…部屋の隅にローアングルで仕掛けたセミフィッシュアイの固定カメラ映像と合わせてDVDに編集する予定。

列車の時刻を教えてもらって会場を後にする。すっかり暗くなった戸外、幸い先程までの激しい雨は止んでいた。



帰宅後、機材をしまって、銀仮面団のDVD編集に掛かる。年末編成の面白いTV番組以外は邪魔する物も無く、今日30日に完成。DVDオーサリングに掛かる。2カメなので、今回初使用のICレコーダー音声とのシンクロ以外、そんなに難事業もなかったのだが、気力・集中力の減退が大きな敵。

パフォーマンスの編集をサクサク済ませて、全てのタスク(厳密に言えばもう一つ残ってるけど…これは許してもらおう)を終え、正月休みの間に「自分のやりたいこと」に掛かるのが目標…。

その間に部屋の片付け・大掃除もしたい…頑張ろう。

2007年12月26日 04時42分21秒  クリスマスの後先

23日夕方に倉吉に住んでいる座長から驚きの連絡が入った。

W本嬢が山口の車屋に車検に出していたVW風サンバーを一人で取りに行った帰りに事故に遭い、代車で帰ってきたものの勤め先で昏倒し、脳外科のある(←これは昔看護婦として勤めていた事のある母からの情報)落合病院に緊急入院した…という。

座長はちょっとパニくっていた。「猫も居るし…」と病院に行けないでいた。実際、倉吉から行くのは結構大変で列車の連絡的にはもう無理だったのかも知れない。

猫は数日食を抜かしたくらいで飢え死にはしないからと翌日でも良いから出来るだけ早く駆けつけるように勧め、私は秘宝流の社中、関係者にメールを打つ。

幸い座長は弟さんが玉野から倉吉へ駆けつけて落合へ連れて行ってくれたらしい。

私も落合病院と倉吉の交通アクセスを調べ、状況に拠っては翌日駆けつけられるように準備した。

いつもより早めに寝床に入る前に、天国のJさんに「もし来たら追い返してね」とお願いをする。倉吉では座長も頼んでいたらしい。

暗澹たる気持ちの一夜が明け、座長からメールが入った。
『8時頃目覚めた!』メールはW本嬢の快復を告げていた。

久々に清々しい快晴の空、クリスマス・イブの朝。
安堵が満ち、不安が霧のように晴れ、喜びが湧き上がった。

間もなく電話があり、本人のしっかりした声も聴けた。

倉吉で一応検査入院はするが、現状は問題ないとのこと。
本当に良かった。本人はもちろん座長の為にも。

サンバーは廃車になるらしいが、W本嬢の命が助かった事が何よりの幸い。Jさん、そしてW本嬢の無事快復を祈ってくださった皆様、本当にありがとうございました。

命を考え、人生を考え、自分の生き方・生活とかも考え直すくらいの切実な一夜だったが、意味のある時間であったのだと思った。


■クリスマス・イブは自宅で奥様の買ってきてくれた小さなケーキを食べた。奥様のクリスマス・プレゼントにと買ったサンタのデコは発送が遅れて明日の到着になった…トホホ。

■K原氏に頼まれて彼の所属する『ビター・カルテット』というコンテンポラリー・ダンスのグループの記録DVをDVDにオーサリングする。

■銀仮面団公演ビデオの編集の合間にDivXなAVCなどの動画ファイルを自在に変換できるフリー・ソフトを使い、ネット用PCに入れたPremiere ElementsでのDVDオーサリングを研究。かなり活用出来そう。

■25日になったので、パート前にATMにに寄り、引き落とし用のお金を郵貯の口座に用意しておく。

■桃太郎のからくり博物館の忘年会を30日に…との連絡が住宅館長からあった。参加を決める。

2007年12月23日 05時19分09秒  雨の土曜日…編集進める。

雨でしたし、引き籠もって銀仮面団の公演記録の編集を進めました。

基本的に2カメだし…で、5分の3くらいまで編集しました。

なつかしい方から電話があって会社を興したので、働く方を集めているとのこと、

基本♀募集なので心当たりが今ひとつなのですが

明日、お話を伺うことになりました。

2007年12月22日 08時50分18秒  長男とソバを喰う

長男は岡山本社へ時々出張でやって来る。
昨夜はビックカメラで待ち合わせ奥様と三人でソバを喰った。

自宅のBOOGIE STUDIO 4.5の窓2ヶ所にクリスマス・イルミを仕掛ける。
以前に買って居た物を流用。ささやか過ぎるので画像は載せない。

明日、奥様へのプレゼントとして買った物が届いたら
もうちょっとやってみるかな。

2007年12月19日 04時40分59秒  殿下来襲!

朝寝ている間にメールが入っていた…H殿下が岡山を通過する際に残された物。

旅行先の四国から、パートが終わった頃に岡山に…という事だったので、岡山駅の2階フロアの喫茶で殿下夫妻と旧交を温める。

神戸三宮のちんどん以来の妃殿下は結婚されて、ますます麗しくなられていた。

すっかり現役ピアニストに復帰された殿下と色々お話をして励ましても頂く。有り難し。


駅前のイルミネーションへと向かう御夫妻と別れて帰宅。

銀仮面団公演DVDの編集に掛かる。

28日・瀬戸内市のイベント撮影までに完成させたいのだが…とにかく頑張ろう。

2007年12月18日 06時18分35秒  秘宝DVD完成→銀仮面団DVDに着手

秘宝流東山社中の2006・2007玉野港フェス記録DVDを完成。
DVDを必要だろう枚数焼き、ISOとかmpegをバックアップし
AVIからHP用の静止画を(全部は使いませんが)80枚ほど
切り出しておいてファイル削除、HDDの中を整理整頓。
簡単なジャケットをデザインして印刷&ケースにセット。

銀仮面団「満里亞の災難」の全体カメラとかぶりつきカメラから
それぞれ前半をHDDにキャプチャー。


今日もパートの前に「木彫り・お面4点セット・グァテマラ・ブラジル・ケニア・朝鮮」が到着。安いのばかりだが数が多いので、もう、しまう場所が枯渇してしまいました…。

ボックスでも買えば少しは収まるかしら…大掃除不可能な部屋になりつつあります。倉庫スペースになった離れの奥の部屋へ大移動させるか…

何とかしなくては…

2007年12月17日 03時39分03秒  スナイパーK藤氏とOWF元チャンプの墓に詣でる+遺跡巡礼

朝10時迎えに来てくれたK藤氏の車に乗せてもらって、先ずは西辛川のアトミック・元成氏の眠る墓所へ。

雪の降ったあの葬儀の日はもう15年前の12月11日だったと墓碑に刻まれた文字で知る。

眺めの素晴らしいこの山腹から元成さんは奥様の暮らしぶりや娘さんの成長を見守って居るに違いない。

元成家の家紋が雀らしき鳥二羽を描いた紋であるのも何かしら縁を感じる生涯一ヒヨコの私…。


墓所を後にして吉備の中山で、K藤氏の見つけた磐(いわくら)あるいは列石のような物の在る場所を探査。線刻のある岩、亀岩と名付けられている岩の上の石と、同じ配列で並ぶ岩など、興味深い。

古代吉備文化財センターの展示を覗き、吉備の中山の反対側、我が家の奥様の実家に近い尾上車山古墳に登る。非常に判りやすい形状・サイズの前方後円墳。

車中の話の流れで亀甲の諏訪神社を訪れることに。途中で昼食を頂く。

ここの古墳群は灌木のせいで確認が困難だったけれど、鳥居をくぐった正面に復元された竪穴式住居がある奇観は面白がってもらえた。

ここは倉吉に引っ越した座長の実家の近くで、神主さん家に同級生が居たという。

非常に趣のある神社だ。

道中"色々な"考察の話をしながら15時半過ぎくらいに帰宅。

ズボンに草の実が点々とついていた。

2007年12月16日 04時21分49秒  漸く!

先程…2006玉野港フェスの東山社中を編集完成。
只今mpegにエンコード中です。

今週は主にこの編集と、ヒヨコ衣装(ぴよ吉)を劇的集団・転機与砲さんに貸し出した事…相変わらずのヤフオク中毒…などかな。

関東の旅で改善した老眼は少し戻りつつあります。

パートも画像加工の時間が長いし
家では引き籠もりなのでPC観る時間が長いし…で、悪化します。

だもんで、明日の日曜はK氏に誘われたチャンプの墓参りと遺跡研究に行って来ます。帰ったらDVDオーサリングして焼いて…銀仮面団公演に掛かりたいです。

2007年12月12日 04時27分44秒  12.9 川崎→上野→品川  +老眼が改善した理由

朝10時過ぎにホテルをチェックアウト。溝の口ノクティでお土産を買って上野を目指す。

上野公園は赤やら黄色やら紅葉が綺麗です。

先ずは上野の森美術館でシャガールに浸りました。写真も沢山あって人となりが偲ばれます。画は色彩の取り合わせが凄いです…ちょっとグラフィック系のアイデア湧きました。

それから上野動物園へ行きました…広い!
旭山にならって行動展示的な施設も増やしてるようです。
大半の動物たちがしっかり動いてくれているので色々と面白かったです。
特に虎は大サービスしてくれました…見直しました(爆)
最後は閉園時間が迫って来て急ぎ足で廻りました。
朝から閉園まで居ないと全部をしっかりとは観れませんね。
600円で一日楽しめそうです。

品川駅の本屋で内田春菊の「最近、蝶々は…」を買い、ターミナルでの待ち時間に読みました。

最初、解離性同一性障害の話として書き出した物を「不人気だったので」ホラーに変えちゃったようです…なんだかなあ…ちょっと残念な感じでした。

さて、再び高速バスで岡山に帰ってびっくりした事がありました…

老眼が良くなっていたのです!裸眼で新聞が読める!

丸三日間PCのディスプレイを観なかったせいかな?

仕事も遊びも、ほぼ同じ焦点距離の物を見つめ続ける生活は、眼の筋肉に凄く良くないのだなあ…と痛感いたしました。

2007年12月10日 22時13分19秒  12.8 品川→六本木→川崎

■朝7時過ぎに品川の京急高速バス・ターミナルへ到着。席がトイレの隣だったので、いつもほどは寝られなかったのです。奥様もちょっと寝起きが悪かったです。

■ホットドッグとコーヒーの朝食を済ませて六本木へ。まだまだどこも開いていないので、「正直しんどい」で堂本剛と加藤ローサが夜デートしていたテレ朝近くの公園で早朝まったり。

近所をブラブラ…麻布、西麻布あたり…なかなか趣のある街…とんねるずの「雨の西麻布」を思い出しながら。 何だか不思議な彫刻のあるアングラっぽい建物も…

■9時になったので奥様リクエストの53階展望室へ。エレベーター凄く静かで速いのですが、気圧が変わるので耳抜きが要ります。

東京タワーも「見下ろす」視覚…遠方ほど白く煙ってしまいますが…ミニチュアのような東京が眼下に広がります。

■同じ階に入り口のある森美術館へ。コンテンポラリーという事でインスタレーションあり、立体あり、映像あり、平面あり、デジタル・インタラクティブあり…見せ物小屋のような楽しい展覧会でした。舞台美術の参考になるアイデアも2〜3…。

■11:40からTOHO六本木シネマで、この日が命日のジョン・レノンの記録映画「PEACE BED」を観ました。

開演前には白いカーネーションを渡されてスクリーン前に設えたジョンの写真に献花しました。

「戦争ビジネス」を先祖伝来の「家業」とするアメリカ政府にとって、『NY在住の元ビートルズにして平和運動家のジョン・レノン』が、いかに厄介な存在であったかを、音楽関係者、反戦・人権活動家、元CIA諜報員、元大統領補佐官、オノ・ヨーコなどの証言と当時の映像で語るドキュメンタリー。

過激派の「ニクソン政権打倒」のシュプレヒコールより

♪All we are saying is give peace a chance♪

という大合唱の方が政府にとっては怖かった。

「誰も否定できないメッセージだから」


レノン「暗殺」の「真犯人」についてはダイレクトには語られていません。ヨーコさんの発言に匂わせる程度です。

「国外追放」と脅かされ、ショーンの子育てに専念していたジョンが再び活動を開始し、その音楽・メッセージが世界への影響力を失っていない事が確認された時点で銃殺されたジョン。

その犯人が『狂信的なファン』などではない事が、この映画を観ることで実感できると思います。

予告編(1M)↓
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD11426/27.asx

■川崎市高津のPホテルにチェックインして、お風呂に入ったり、ゆっくり過ごし、偶然ホテルのハス向かいだったフランス料理のお店で今回の旅の主目的である会食へ。

ワインを選び、料理に鮑やら帆立やらウニやらの出てくる高級レストランは初めてでしたし…プロ野球の球団を持っていたような大企業の要職に在った方とお話するのも初めてでしたので緊張もしましたが…気も遣って色々話を振って頂いたので、まずまず和やかに…。

話が順調に進めばお正月あたりに嬉しいお知らせが出来る予定…この件の詳細は今しばらくお待ち下さいませ。

2007年12月07日 04時20分22秒  古代人になって…

パートを終え、タヂカラオ用衣装を持って新屋敷のONIビジョンへ向かう。住宅館長の依頼で鳥取砂丘に今月オープンする「鳥取大砂丘 自然のふしぎ&からくり館」用の映像撮影。

館長が未だ倉敷を出てなかったので軽く腹ごしらえをしておこうと、商工会議所近くのスーパーに入ると…安い!お弁当が全て税抜き250円!量はいらないので一番ご飯の少な目だったヒレカツ弁当を購入。缶のカフェオレと足しても300円ちょっと。後で奥様に聞いたところでは、結構「安い」と評判のお店ではあったらしい。

ONIビジョンの食堂でお弁当を平らげ、担当のNさんとお話をしながら館長を待つ。Nさんはミル・クラウンズを大変気に入って下さっている様子…私も嬉しくなる。

館長が到着してカンペを自筆。私はミズラを付けて古代人となりスタジオで撮影。短いセリフが5つほどだったのでサクサクと終了。現地で撮影のテープと合わせての編集について打ち合わせる館長・Nさんにご挨拶をして帰宅。

オープンしたら一度行ってみなくちゃなあ…鳥取県はもう20年近く前の「裸の大将」のロケで行って以来になります。あ、待てよ…高松稲荷の「日蓮上人幻想伝」用に日本海の波を撮影に行った時に通ったかも…。
はっきり覚えてない…

2007年12月05日 02時05分59秒  劇団・銀仮面団「満里亞の災難」撮影

日曜日昼過ぎに天神山文化プラザへ。「満里亞の災難」最終回を記録するためのセッティング。

一応3カメも可能なようにテープ用意したが、現場でTRV900が録画できない状態に…ご臨終。当初予定通り、HC3で全体を押さえ、セミフィッシュアイを装着したGS100で手持ちかぶりつき撮影とする。GS100を前線に出したのはズーム速度の遅い側が広かったから…HC3はそういうところが、やはり廉価版っぽい。

いろいろと私の読み違い・勘違い・不注意もあって前日の偵察が役に立ってないこと甚だしい撮影だったが、何とか上手くクリアしてるかな?年齢と共にこういう一発撮影は辛くなって来る…いつまで引き受けられるかな…自分自身が納得出来なくなったら止めようと思う。

ヤフオクで入手した某模型をH嬢への、バーボンを劇団の皆様への差し入れとする。

打ち上げにも誘われたが…編集中のものを完成させないと、この編集にも掛かれないし…で、自室ヒッキーの道を選ぶ私だった。

2007年12月02日 01時27分14秒  「満里亞の災難」初回を偵察に征く

天神山文化プラザで明日の最終回を撮影する「満里亞の災難」(劇団銀仮面団)の初回を偵察に行く。

カメラは構えずに、夏に準備が遅れて出来なかったPCM録音のみテストする。カメラ・セッティングも考える…2カメか3カメか…TRV900にも最後の御奉公をさせてみるか…。

芝居自体は昔、私自身が客演した「サイレント・ナイト」のリメイクなので、セリフを聞く度に記憶が蘇る珍しい体験をした。自分の出たものはビデオも観ていないので、とにかくなつかしかった。

ある種、現代史の裏面を描くポリティカルな作品であり、こういう作品を上演する劇団は末永く活躍して欲しいと個人的に願ってやまない処である。

2007年11月30日 02時22分37秒  デスペラードでアコースティック・LIVE

20時前にデスペラードに到着。

スナイパーK氏に「誰か判ります?」って紹介されたのは…20年くらい前、自主コンサート団体『ダイナマイト大衆音楽会』で人気NO.1バンドだった「いたずらぼうず」のボーカル、C氏だった。

うわー…なつかしひ。わたしゃいまだに彼らのオリジナル曲くちずさめるのだが…ひろみん氏とも旧交を温めていたC氏、バンドやろうとしてる様子。楽しみである。

さてステージで印象に残った3組は「どぜうごっこ」「煩悩頭」「きんたんめん」

YOUTUBE→ http://jp.youtube.com/watch?v=ab1gYOmEpa4

福生から法事で帰ってきたモッズ氏率いる煩悩頭は…何か…「もっと行けるだろ!」って思ってしまいました。

最後にやった収録曲とかは悪くなかったのですが…全体に「この曲を聴いてもらいたいんですぅっ!」という気合いがもっと欲しかった気がします…贅沢かなぁ。

2007年11月29日 12時28分48秒  火〜水 覚え書き

■玉野2007DVDジャケットをデザイン→印刷。

■AVIから静止画を切り出しておいてHDD整理。

■玉野2006を取り込み(60分×3カメ)。

■久しぶりにTUTAYAへ…大日本人をDVD借り、丸尾末広×乱歩の「パノラマ島綺譚」連載のコミック・ビームと、セロのネタばらしをしている裏モノジャパンを買う。

2007年11月27日 08時14分11秒  東山社中2007玉野DVD完成

ようやく今年の玉野港フェス分の編集を終え、DVDオーサリングして、チェックしたり、焼いたり、バックアップしたり…デフラグしたり。

次は昨年分の取り込み…銀仮面団公演も近づいて来たがこれで伸ばすと際限が無いので今回は優先させてもらおう。

PCが働いている間にニコ動、youtubeなどで今日は懐かしいフォークを中心に視聴する。加川良や早川義夫、フォーク・クルセダーズも懐かしいが圧巻は故・高田渡さんだ。晩年は元より、20そこそこくらいの映像もあり嬉しかった。

ニコ動で観る時は「どんなコメントがついてるかな?」の楽しみもあつのです。

2007年11月26日 01時55分09秒  Jさん一周忌『偲ぶ会』

京極屋さん、座長、貫吉さん、私の4名でJさんのお母様の処へ行って来ました。

1Fが喫茶店だった建物をリフォームした立派なお宅で、インフィニティだとかBMWとか4台が並ぶ駐車場、ダルメシアンとパピヨン(じゃなかったかしら?)が居ました。

Jさん実家の物より少し小さめで薔薇の花も彫ってある位牌も用意されてました。

お盆には未だ出来てなかった実家のお墓も立派なのが建ってました。

仕出し料理は想像できないくらい豪華なのを頂きました。




あ〜…でも微妙に切ない想いがあるのです。

Jさんの生きてきた人生の意味を考えると…

もちろん残された我々がどう生きるかはJさんに関係ないし

およそ、弔いも法事も残された者の為にあるのだが。

Jさんの挫折を苦悩を哀しみを渇望を…思うと

美味しいだろう料理も味が判らなかったのです。

2007年11月24日 10時16分48秒  23日の行動

■倉敷の〒ATMでヤフオクのパルル送金(送料込1090円のインドネシア仮面)

■桃太郎のからくり博物館勤務。
「大阪から広島へ用事があったのですが雑誌で見て面白そうだなと寄りました。いやー楽しかった…今日のメインです。」というお客様。キュレーター冥利でございます。

■帰宅。一周忌関係の連絡後沈没。

■12.8溝の口のホテルWEB予約をやりかけるが「チェックイン時刻」がはっきり判らなかったので、妻にもう少し予定を詰めてもらってからとする。

■やんぼう氏がピンと来てなかったのでペパーのmp4から「マビキ団」のDVDを作成。premiere elementsのDVD機能でやってみる。elementsとは言え、我が家のpremiereでは最新バージョン…結構使えるソフトだなぁ。

■iiyama(マウス)がDVDエンコードして焼いてる間に動画用VAIOで秘宝・玉野を進める。もうちょっと…

2007年11月23日 02時02分29秒  盲獣

増村保造監督の1969年度作品「盲獣」のDVDがアマゾンから届く。

江戸川乱歩の原作だが、この映画は「増村監督の盲獣」であって乱歩じゃないなぁ…と思った。ちょっとピュアなタッチの仕上がり。特に後半は全然違う。

時代の申し子だった若き日の緑魔子は素敵だ…ちょっとピーターにも似ている。


■パート前にATM→郵便局で引き落としの準備をしておく。今月も無事。有り難し。
ただ、そろそろヤフオク依存症を改善せねば…。

■昨日から日曜のJさん一周忌のお母様主催の「偲ぶ会」参加呼びかけ&詳細連絡をしている…。心情としては、ちょっと控えめに。

■玉野港フェス編集、広場のステージ分を終えて、商店街のステージ分へ移る。prmiereから直にMPEGが書き出せる事に今更気付いたりする。まあ、今までDVテープ書き戻しもやって来てたのだが。ぼちぼちやめようかな…と思う。DVDメディア以外が必要になる事態はめったにないので。
8mmフィルム→VHS→video8→Hi8→DV(→HDV)と溜まって来たテープを整理する必要があるけれど…そんな暇が作れるかしら。

2007年11月22日 04時18分05秒  ペパーランドのLIVEへ行く

パートが終わって、そのまま北へ向かう。

岡山ペパーランドで19時開演のLIVEに(同級生の娘さんの)飛登幸嬢とマビキ団が出る。
中でもマビキ団の河原龍峰さんはHPの掲示板などで数年前から誘って下さっていて、予定が合わないのを心苦しく思っていたので、今回ようやく…という心持ち。

フォークからロック、パンク、オルタネイティブまで8組を詰め込んだこの日のLIVEは結局23時30分まで掛かった…私のヤワな耳の限界を超える大音量の物も半分くらいあったので今も耳鳴りがしている。

飛登幸嬢は一曲目をトリオ、後は弾き語り。

TERA・ARTで初めて拝聴したときにホー!と感心したのだが、この方は詩にオリジナリティがあって面白い。詩をもっともっと磨いていって独自の世界を確立して欲しい…と勝手に思う。

Vo.ギターとリード・マンドリンのマビキ団は古強者なので演奏のエフェクターの掛け方といい、放送禁止用語を並べた歌があったり、一筋縄では括れない。
高田渡、中川五郎から後期の早川義夫が頭を掠めるフォークの世界は、現在では貴重な物に思える。

いわとわけ音楽祭に出たい…と言って下さった。有り難し。実行委に諮ってみよう。

慶子さん、能勢老師にご挨拶をして辞去。
帰宅して遅い夕食をとった。

今回はmp4のSANYOのCA-65で撮影してみた。
SDHCだとカード読まないし…と思ったが、本体がカード・リーダーに成ることに気が付いた。マネーセービング…。

照明のせいだろうが、精細感よりは雰囲気・色味のカメラかな?
室内だとフィルムっぽい色調だな。ま、MOVのZ3もそういうところはある…60iじゃなくて30pって事かな。

2007年11月21日 04時46分32秒  ビッグカメラに行って買った物…

朝、早めに起きて奥様と開店日の駅前ビッグカメラに行く。

奥様はついでに来月頭の関東遠征用にバスの予約をするはずが、お金をおろすのを忘れていたので両備には寄らずに直行。

広いので品揃えは凄そう…人が多かったのであまりしっかりとは見なかった。

レジにも並んで買った物は照明売り場の隅っこにあった『電球ソケットとスイッチ付きのコード』と『レセプタクル』各2。LED照明用に欲しかった物。

こういう物を置いておいてくれるお店が意外に無いのです…。

自転車族の私には最寄りの家電量販店として頼もしい存在なのでカードも作った。

帰りに奥様が食品を買ったドレミの街もクーポン配って集客していた。
駅前地区に「特需」が起きるかは…「駐車場」がどう転ぶか…小さな物と配達しか無いでっかい物は問題無いだろうけど。


睡眠不足でパート中も眠かったので、帰って夕食を食べてから猫さんと一緒に仮眠を取った。

電話で起きるとJさんのお母様、25日に一周忌の集いを開きたいとのお話…邑久へは行きにくいらしい。

住宅館長に連絡して25日の勤務を外して頂く。申し訳ない。

お母様は、劇団のお友達にも…との事だったが期日が迫っているのでどうかな…。


久々にBOOGIE STUDIOのHPをいじる。

ひよこちんどんのHPに記事を更新。調べてみたらメールが旧アドだったり、リンクが古かったり、直し忘れている…これはお仕事も来ないわ…色々と修正する。

悪にいわとわけの記事も上げてなかったので作っておく。去年分も未だなのだが画像の準備出来ていた今年のを先ずアップ。


秘宝のDVD未編集分も1カメで作業量の少ない今年の玉野から掛かっている。秘宝HPの全面リニューアルもやろうとしているのだが、もうちょっと掛かりそう…申し訳ない。

2007年11月19日 05時00分11秒  日曜日

日曜は午前中に、先日割れて届いたDMX LED ライトの交換品が到着。
トラブルも誠実に対応してくれればまあ文句はありませぬ。

昼から燃ん生師匠と画伯さんのワークショップをお手伝い。
ガムラン系駄楽器セットを連れて行く。盛況だった。
第一部はビデオとカメラを両手で操り大変だった。
ちゃんと撮れて無い処もあるはず…ごめんなさいね。

今、東京で「笑美期限」というお笑いユニットでも活動している
人見梨沙嬢が出ている マンガ原作ものの「ファミリーレストラン」
というドラマのDVDを観る。

ゆるくホノボノとしたコメディ…この中の「サラサラ・マンゴー」というエピソ−ドでクラブ帰りの女の子二人連れの一人を演じているのが(秘宝時代の芸名で「星飛登美」。)

2007年11月17日 08時14分32秒  OWFファイティング・ヒストリー(BGM『サロメ1980』) 02:38

前回の日記でも紹介の1980〜90年代に主宰していたアマチュア・「プロ=スタイル」・レスリング団体の記録動画を試験的にダイジェストしてみました。

YOUTUBE  http://youtube.com/watch?v=nKDLu3_9Uuw

私が覆面や素顔でファイトしております。さてどいつでしょう?(笑)

VHS録画時代があまり入ってないなど、レスラーも大会も取りこぼしが多々ありますがご容赦下さいませ。

BGMは演劇やOWFを始める前にやっていた「舞妓(ブギー)」というバンドの代表作「サロメ1980」…作詞・作曲・歌をやっております…こちらも音程がフラット気味でW恥ずかしいです。

アメリカにもOWFというインディ団体あるみたいです…
動画観た限りでは負けてないと思う…(爆)

2007年11月16日 06時39分54秒  覆面レスラーだった頃

昔「スマトラ・キッド」とか「ザ・サラマンダー」というリング・ネームで覆面レスラーやってました。

80年代初頭〜約10年くらい主宰していた、アマチュアのプロ・スタイル・レスリング団体「OWF」での話です。

設立当時プロは2団体のみで、それ以外には学生プロレスやアマチュア・プロレスしか無かった時代でした。

通常はリングではなくマット(3m×3m〜4.2m)のみで試合してました。
演劇の練習場として、ブギースタジオを、実際にビル2Fの20坪を借りて運営していた頃です。
マットは丸めて立てて材木の芯を入れ、サンドバッグ代わりに蹴ってました。

福山大学で学生プロレスをやっていたアトミック元成と、劇団の殺陣で受け身には自信があった私が、郵便局の仕分け作業中に出会ったのが発端ですが、
例え真似事でも『プロレス』の看板を汚してはいけない、本当に強くなくてはいけないと、まずは格闘技的な実力を磨く事にしました。もちろん筋力・柔軟性も鍛えましたし、様々な格闘技を研究しました。

大阪のアマチュア・プロレスの老舗JWA関西をルポしたり、全国の団体に資料・写真を送ってもらったりしてアマチュア・プロレスを特集した「SABAORI」という雑誌も(1号限りですが)発行しました。

日本原から来襲するUWF好きの自衛隊レスラーとも戦いました。
プロレスの「ブック」についての理解が足りなかったので、「攻め」と「受け」とか「ダメージの表現」はあるもののセメント(真剣勝負)に近い、アドリブと体力・気力で勝敗の決まる試合をやってました。

岡山の芦原会館で副代表をやったりアメリカでマーシャルアーツの試合をした事もあった同級生のS島氏にレクチャーを受けたり、

アマレスでインターハイへいった運動神経は抜群のポニー・ザ・モッズが中国武術の防具付きフルコン大会に出場したり(この時は、四国で武勇会という中国武術の団体を率いていて格通にも登場したK師範が、事前にスタジオに来て色々と技を見せてくれました)、

初期にはコンサート、学園祭や商店街等でも試合してましたが、主催試合は太田洋行の小さなホールを借りたり、銀仮面団ビル、ペパーランドでも試合をしました。ペパーでは120kgの現役柔道選手との柔道着マッチ(もちろんガチです!)の相手をしようというレスラーが居なくて、首を痛めていた私が仕方なくやって完敗したり…勝てるとは思わなかったけど、負けてみると結構悔しかったです。

錬成会のS師匠の空手サークルとも合同練習や技術交流(まだ完全に総合というジャンルが確立してない頃で)異種格闘技の対抗戦やったり…銀仮面団ビルでの試合をSB(大阪プロレスの村濱や、『バキ』のモデル・平のやっていたシュート・ボクシング)岡山ジムの会長が観に来ていて、この時のメインイベントで最後の第3ラウンド終了直前にTKO勝利を収めたS師匠の一番弟子、F岡氏は後にSBでプロになりました。

後期はエンターテイメントな路線に比重が変わっていったのですが、練習日に、皆で関節技の新技開発とかやってるのは本当に楽しかった…。

ペパーでの大会がニュースで流れたり、KSBの朝の番組でスタジオに小さなリングを組んでくれて生放送でミニ試合をしたりもしました。

上の息子は私が手解きしてから、SBのジムへ通い、今も関東でキックのアマ大会に挑戦したりしてます。

私は、もう今では殺陣もあんまりやりませんが、youtubeやStage6で格闘技関係の動画とか観ると、ついダウンロードしちゃいます。

ペパーの遊会で地元の総合の選手のレクチャーがあった時にはオモプラッタ(ブラジリアン柔術の技)の入り方を教えてもらったり…やはり血が騒ぐし、興味はあります。暇が出来たら柔術とか合気道系でも習ってみようかしら…



ちょっとアイデアがあって昔の試合ビデオとか色々観たので思い出して書いてみました。やっぱり好きなんです…

2007年11月14日 05時49分15秒  ビーナス

いわとわけ「伝説」部分(IWATOWAKE&UZUME)の映像を編集したDVD-R4枚を7-11でメール便発送した帰り道。

東の空の低いところに暁けの明星=金星が浮かんで、これから太陽が昇る空を照らしていた。

子供の頃から星を観るのが好きだった。
星達は昔なじみでずっとそこにいるが、
私はこんなに年をとってしまったなぁ。

そんな事を想う。

双方の都合が合わなくて座長たちとの『Jさん一回忌の集い』が流れる。

Jさんも星の王子様のようにどこかの星に還っていったのだろうか?
そこでは薔薇の花が待っていてくれただろうか…