サロメ -SALOME SHOW-
SALOME 超短縮版

作:オスカーワイルド(仏語原本) 英訳:アルフレッド・ダグラス
日本語訳/補作:白神貴士


【登場人物】

サロメ        ヘロディアスの娘
ヘロデ・アンティパス ユダヤの王
ヘロディアス     ヘロデの妻
ヨカナーン(声のみ) 預言者
ナレーション(声のみ)
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NA
 紀元一世紀頃、ローマ帝国占領下のイスラエルのお話です。
 ユダヤ民族を治める王、ヘロデ・アンティパスの邸宅…その庭を望む美しいテラスで
 王妃ヘロディアスの連れ子にして、先王であるヘロデの兄の娘サロメが
 元は貯水槽だった陰鬱な牢獄を覗き込んでおります。

サロメ
 哀れな…痩せた象牙細工の人形みたいなヨカナーン…
 人の手を知らぬ原野に咲く百合の花のような白い肌、
 黄昏に染まる海から漁師がもいで来たサンゴの枝のように赤い唇を持つ預言者…
 私はお前の口にキスをしたかった…ヨカナーン、お前の口にキスをしたかった…
 なのにお前は帰っていった。この暗い牢獄の中に、深い貯水槽の中に…
 折角ナラボスに頼んで出してもらったのに…
 お前はまた歌うかしら…お前の声はまるで歌の様だ…
 スピンクスの掛ける謎の様に美しい…


NA
 牢獄の闇の中に閉じ込められている預言者ヨカナーンに恋い焦がれる…
 王女サロメの切ない想いも知らず、やって来たのは義父ヘロデと母であるヘロディアス…
 やがてヘロデは粘りつく様な視線でサロメを舐めまわしながらこう頼んだのです。

ヘロデ
 サロメ…サロメ、わしのために踊っておくれ。お願いだから…。
 今宵、わしは哀しいのだ。哀しいままだ。ここへ来たとき血糊ですべった。悪い兆しだ。
 空中に何かの羽ばたきを聞いた…何か巨大な翼の…その意味する物は判らぬが…
 何やら物悲しい。だから踊っておくれ。わしのために。頼むから。
 もし踊ってくれるのならお前の願いを叶えよう、欲しい物なら何でもやろう。
 踊るのならお前が望む物を何でもだ…例え国土の半分でも良いぞ。

サロメ
 (立ち上がり)私が望むものなら何でも下さいますか、陛下?

ヘロディアス
 踊ってはなりません。

ヘロデ
 望むものなら何でも、国土の半分でも…だ。

サロメ
 誓うのね?

ヘロデ
 誓うとも、サロメ。

ヘロディアス
 踊ってはなりません!

サロメ
 何に誓うの?陛下。

ヘロデ
 わが命、わが王冠、わが神に誓う。何であろうとお前の望む物を与えよう。
 例えそれがわが王国の半分でも…踊ってさえくれるなら。
 おぉ…サロメ、サロメわしのために、踊っておくれ…

ヘロディアス
 娘は踊りません。

サロメ
 踊ります、陛下。

ヘロデ
 娘の言葉が聞こえたろう。あれはわしのために踊るのだ。良く承知してくれたサロメ。
 踊り終えたらわしに望みの物をねだるのを忘れるな。何でも欲しい物は与えよう…
 女王にふさわしい王国の半分でも…と、わしは誓った。そうであろう?

サロメ
 誓われました、陛下。

ヘロデ
 わしは言葉に背かぬ。誓いを破ったことがない。嘘の付き方を知らないのだ。
 わしは我が言葉の奴隷…わしの言葉は王の言葉だ。
 カッパドキアの王は嘘で固めた舌を持っておる。
 真の王ではない、臆病者だし、借りた金も返さない。
 わしの大使を侮辱し、小汚い言葉を使う…だが、奴はローマでシーザーに吊されるだろう。
 吊されなくても死んで、ミミズに喰われるだろう…予言者はそれを予告しているのだ。
 …何をのんびりしてる、サロメ?

サロメ
 私の奴隷が香水と七枚のベールを持って来て、
 私のサンダルを脱がせてくれるのを待っております。

ヘロデ
 裸足で踊るのか!いいぞ。それは良い。
 小さな足は白い鳩のようだろうな、樹の処で踊ればきっと白い小さな花のように…
 いやいやいや!あれは血の上で踊ろうとしている!血だまりが出来て居る…
 血の上で踊ってはならぬ!縁起が悪い!

ヘロディアス
 あれが血の上で踊るのがどうだというの?もっと罪深いことを考えてる癖に…

ヘロデ
 わしが何を?…おぉ!月を見ろ!深紅に染まった!まるで血のような色だ…
 あぁ!預言が真実になろうとしておる…月が血の色に染まる…そう預言してなかったか?
 皆が聞いたはずだ。今や、月は血のように赤い、見えぬのかあれが?

ヘロディアス
 ええ、ええ、よーく覚えてますとも。
 …『そして星々はイチジクの実のように降る』だったわね?
 『太陽は真っ黒になり地上の王達は畏れおののく』…
 少なくともたったひとつだけは預言が的中したわね…『地上の王達は畏れおののく』。
 さあ、中へ入りましょう。あなた、病気よ…ローマで『ついにイカレた』って噂されるわ。
 さあもう入るの。わたしの言うことが聞けないの。


ヨカナーンの声
 エドムから来るのは何者だ。ボズラから来るのは何者だ…
 誰が衣を紫に美しく染め、全能の偉大なる者として歩いて来るのか…
 何故その衣が深紅に染まるのか…

ヘロディアス
 入りましょう。あの声聞いてると頭が変になりそう。
 あんなのが叫び続けてるのに、しかもあんな衣裳で、あなたのギラギラした眼の前で…
 あの娘を踊らせはしません!

ヘロデ
 座ってろ、我妻、我が王妃。大した事じゃない…
 とにかく踊るまでは中には入らぬ。サロメ、踊ってくれ。

ヘロディアス
 踊らないで。

サロメ
 準備が出来ました…陛下。
 

サロメは7枚のヴェールのダンスを踊る


ヘロデ
 素晴らしい!素晴らしいぞサロメ!
 (ヘロディアスに)お前の娘がわしのために踊った踊りを見たろう。
 おいでサロメ、こちらへおいで。褒美をとらさねば…
 わしの魂はお前の踊りを見て歓喜に打ち震えた…!その礼をせねばならぬ!
 わしは今こそ、そなたの魂が欲しがっているものを『何でも』与えよう…
 何を待ち望んでいるのだ?申してみよ…

サロメ
 (跪いて)私が持ってきて欲しいものは…銀のお盆に載せた…

ヘロデ
 (ちょっと当てが外れた感じに笑って)銀の盆に載せた…?
 発想がチャーミングではないか。流石、ユダヤ一美しい娘の云うことは違うぞ…
 可愛らしいサロメや、お前が銀の盆に載せてもらいたい物とは何だ?
 云ってごらん。何でも大丈夫、私の宝はお前の物だ…何が欲しい?

サロメ
 (顔を上げ)ヨカナーンの首。


銀の盾の上に載ったヨカナーンの首を背後から取り出すサロメ。
ヘロデは、マントで顔を隠し、ヘロディアスは笑顔で扇を使う。



サロメ
 あぁ…ヨカナーン、お前はこの口にキスをすることを許さなかった。
 良いとも…今、私はキスをするよ。この歯で熟した果実のように噛んでやる…
 お前の口にキスをするよ、ヨカナーン…そう言ったでしょ、言わなかった?
 いえ、言った…あぁ、キスするよ…
 何で私を見てくれないの、ヨカナーン?その目はあんなに怒りと軽蔑で燃えていたのに、
 今は閉じられている…何で閉じているの。目を開けて。瞼を持ち上げて、ヨカナーン!
 何で見ようとしないの?私が怖い、ヨカナーン?だから見ようとしないの?

 この舌…毒を放つ赤い蛇の様だったのに、もう動かない、喋らない、ヨカナーン…
 この赤マムシはあんなに私に毒を吐きかけたのに…不思議ね…
 どうしてこの蛇は動かなくなったの?…お前はなんだったの、ヨカナーン…
 お前は私を拒絶し、侮辱した。理不尽に、売春婦のように罵った…
 サロメ、ヘロディアスの娘、ユダヤの王女を!
 それも、もう良い、お前は死んだが私はこうして生きている。
 お前の首は私の物…好きなように出来る。
 犬に投げてやることも…空の鳥にくれてやることだって出来る

 あぁ、ヨカナーン、ヨカナーン…お前は私が世界でたった1人愛した男だった。
 他の男共は全部大っ嫌い!嫌悪しか感じなかった…でも、お前は美しい…
 銀の台座に載った象牙の柱のようなその身体…
 それは白銀の百合と鳩たちが満ち満ちた庭園の様…象牙の盾で飾られた銀の塔…
 その身体ほど白い物はこの世になく、その髪ほど黒い物はこの世になく、
 その唇ほど赤いものもこの世になかった。

 お前の口は不思議な香りをふりまく香炉、
 お前を見ていると聴いたことの無い音楽を聴いているようだった…
 あぁ…どうしてお前は私を見てくれなかったの、ヨカナーン?

 お前は細い手と冒涜の言葉でマントの様に顔をくるんでいた…
 その目にはお前の神の姿しか見えなかったの?そう、お前は神を見ていた…
 けれど、私を、私を見ようとはしなかった…見ていたら恋をしたはず…私はお前を見た。
 そして愛してしまった。おぉ、どんなに愛したことか…今でも…ヨカナーン。
 私はお前だけを愛している…

 わたしはお前の美しさに乾き…お前の身体に飢えている、
 ワインと林檎では満たすことは出来ない。どうすればいいの、ヨカナーン?
 洪水も大海も私の情熱を潤すことは出来ない…私は王女だった、だがお前に軽蔑された。
 私は処女だった、だがお前は奪った…
 純潔だった私の身体をお前は恋の炎で包んでしまった…
 あぁ!あぁ!どうしてお前は私を見てくれなかったの?見ていたら愛してくれたはず…
 そう、私を愛してくれたのに…愛の神秘は死の神秘より大きいもの。

ヘロデ
 あれは化け物だ…お前の娘は。良く聴け、あれは化け物だ。
 事実、あれのやったことは大きな罪…まだ良く判らぬ『神』に対する犯罪だ。

ヘロディアス
 私は娘と共に喜んでおります…あれはよくやりました。
 ここで見ていてやりましょう。

ヘロデ
 (立ち上がり)おぉ!兄の妻だった女が何か語っておる…
 来るのだ!こんな処に居られるものか。
 来いというのに。必ず怖ろしい禍が降りかかってくる…
 マナッセ、イサッカー、オジアス、灯を消せ。わしは見たくない。
 あんな惨いものを見たくない…灯を消せ!月を隠せ!星を隠せ!
 宮殿に隠れよう。ヘロディアス、わしは心底怖ろしくなってきた。


松明が消える。星も光を失い、黒雲が月を覆って舞台は暗くなり王は階段を上り始める。


サロメの声
 あぁ!…キスしたよ、ヨカナーン…お前とキスをしたよ。お前の唇は苦い味がする。
 これは血の味かしら…それとも恋の味かしら。恋は苦い味がするというもの。
 でも、そんなことは何でもない、何でもない…
 私はお前とキスしたよ、ヨカナーン、私はお前の唇にキスしたよ…


月の光が一筋サロメに落ち、彼女を照らし出す。


ヘロデ
 (振り返りサロメを見て)その女を殺せ!


暗転。サロメが兵士達のの盾で押し潰される音。



【幕】