恋の鬼 ver.0.70β 原作・今昔物語 作:白神貴士
藤原明子(染殿の后)
侍女 椿
文徳天皇の幻
気塞ぎの神
真済聖人=恋の鬼
当麻の鴨継
老狐
藤原良房(明子の父、太政大臣)
清和天皇
太陽
月
僧達(3名)
・+*米*+・+*米*+・+*米*+・+*米*+・+*米*+・+*米*+・
三十路半ばを過ぎたりと云えど
その美しさは夜空の月のように輝いて
染殿の后(先帝文徳天皇の后、明子)が侍女を前に琴を弾いている。
ふと振り返ると廊下に愛しい帝が微笑んで立っている。(侍女には見えていない)
何年振りのお渡りであろうと帝に向かい居ずまいを正して笑みを漏らす。
が、今は亡き(子を次の天皇としたい良房と対立し暗殺された)帝の姿は幻と消え、
庭に秋風が吹くばかり…
誰の目にも見えない気塞ぎの神が座っている后に近づき
その首に馬乗りになる。
后、頭を垂れて動けなくなる。
簾が降りる。
金剛山の岩の上に座り修行中の聖人のところへ
背中に斜めに荷物を括り手甲・脚絆、旅装束の勅使、当麻の鴨継(かもつぐ)が出向き
断る聖人を口説き落として御殿に連れてくる。
鴨継と、使わした后の父、藤原良房(太政大臣)が見守る中、
簾の前で聖人が祈祷を始めると傍らに座っていた侍女がたちまち正気を失い
泣きわめき何かに憑かれた様に叫びを上げながらあたりを走り廻る。
聖人、祈祷の力でこの侍女を呪縛し、さらに真言を続けると、
侍女の懐中から老狐が飛び出し、どうと倒れた。
聖人が勅使に狐を捕らえさせ縄に繋いで、二度と人に憑かぬようこんこんと説教し
解き放つと、どこかへ消えていった。
御簾の中、后に取り憑いていた気塞ぎの神、いつの間にか消えている。
后が普通に戻った様子を見て 大臣は喜び、聖人に食事を運ばせる。
酒を勧めるが聖人はこれを断る。
大臣はこの事を早速天皇に奏上するために去る。
侍女が膳を持って下がり、そこには几帳の中の后と聖人のみ…
后の目(だけ)に再び先帝・文徳天皇の幻が見える。
先帝は几帳の垂れ絹を持ち上げる。先帝に向かってにじり寄る后。
夏のこととて涼しの単衣のみの肩がはだけ、あられもない姿で幻に微笑みかけるが
その視線の先には聖人が座っている。
聖人、思わず后を見つめ、その美しさに魂を奪われる。
精神力を振り絞り、己が目線を后から引き離して数珠を取ろうとするが、
耐えきれず数珠を千切ってしまう…
几帳を出て今まさに先帝に抱かれようと腕を差し伸べた后…突然幻は消え、
そこには目をギラギラとさせた聖人が立っている。
慌てて逃げようとする腰の辺りにとりつく聖人…
几帳の中へと逃げる后に抱きついたまま倒れ込み、垂れ絹が下がる。
果物を載せた膳を持って侍女が帰ってくる。
聖人が見あたらず、ただならぬ気配に几帳を覗くや、
慌てふためいて助けを呼びに去る。
地の底から響くような楽の音が鳴り
几帳の外で先帝の幻が舞う…妖しく舞ながら去ったと同時に
几帳を開けて衣をはだけ上半身裸、魂が抜けて惚けた顔の聖人が出てくる。
几帳の奥で后が泣いている姿が見える。
侍女に呼ばれて駆けつけた鴨継、呆けたままの聖人を縛に付け
篭に閉じこめる。侍女は后を衣で隠す。
良房、文徳と明子の長男である清和天皇と共に現れる。
鴨継、篭の中の聖人が低い声で唄っているのに気付く。
その言葉を聞き取るや顔色を変え、大臣に報告、大臣は天皇に奏上する。
3人、篭の側で耳を澄ますと聖人の歌が聞こえてくる…
死ぬが良かろう 死ぬのが良い
死して妄念 鬼となり 戸抜け 壁抜け 御簾を抜け
お后様に寄り添うて 骨になるまで抱いて寝よう
お后様を抱(いだ)き締め 灰になるまでまぐわんと
灰になるまでまぐわんと
灰になるまでまぐわんと
天皇、良房に耳打ちをする。良房、鴨継に告げる。
鴨継、聖人を篭から出して、元の金剛山へ連れて行く。
激しい雨の中 神に仏に祈る聖人
しかし胸に湧くのは后への燃えるような想い、
死ぬが良かろう 死ぬのが良い
焦がれて死んで 鬼となり 戸抜け 壁抜け 御簾を抜け
お后様に寄り添うて 骨になるまで抱いて寝よう
お后様を抱(いだ)き締め 灰になるまでまぐわんと
灰になるまでまぐわんと
灰になるまでまぐわんと
聖人、何事かを決意して穏やかな顔になり
結跏趺坐してぴくりとも動かなくなる。
「太陽」と「月」が何度も巡る。
聖人、見る見る痩せさらばえて、岩の後にどうと倒れ込む。
と、そこから身の丈3mはある巨大な鬼が現れる。
身は裸で、頭はざんばら髪。身の丈は十尺(二米八十糎)ばかり、
肌は漆を塗ったように黒く、目は金の椀を入れたように燃え輝く。
耳まで裂けた口には剣の如き鋭利な牙が生え唇からのぞいている。
人に生まれ 五欲を断つが 御仏に
なり損のうて 鬼に成りける
鬼、金剛山を下りて、ゆっくりと
殿中で琴を弾く后の方へ歩み寄る。
后、琴を弾く手を止めて鬼の方を見る。
后の目には愛しい先帝の姿が浮かぶ。
侍女の目には先帝は見えず、しかし鬼ははっきりと見える。
怖ろしさに腰を抜かし衣を被って震えている侍女の傍らを通り過ぎる鬼。
先帝・鬼と共に御簾の中、几帳の内へと入る后。
衣から顔を出し、そっと几帳に近づいて様子を窺う侍女…
ぬっと出てきた鬼と鉢合わせをしそうになって死んだ振りをする侍女。
鬼いずこかへ消える。
「それからは毎日…」
「お后様はまるで愛しい御相手のように…」
「鬼は鴨継を呪う言葉を…」
「鴨継はたちまち狂い死ぬ有様…」
清和天皇と大臣に奏上する侍女。
大臣、侍女、高貴な僧たちを連れて后を訪ねる清和天皇。
理趣経を読経する僧達。
侍女が几帳を開けるとしどけない姿で眠っている后
高僧の一人が后の全身に経文を書いて行く。
書き終えて几帳を閉め、経文に加わる。
たいら〜きんこ〜う ふこ〜うしんじ さんまやけ〜え〜
大樂金剛 不空眞實 三摩耶經
じょうしがぶ〜ん〜
如是我聞
い〜し〜ふぁきゃふぁん せいしゅしゅしょう いっせいじょらい きんこうかち さんまやち
一時薄伽梵 成就殊勝 一切如來 金剛加持 三摩耶智
いとくいっせい じょらいくぁんでい ほうくぁんい さんかいしゅ
已得一切 如來灌頂 寶冠爲 三界主
いしょういっせい じょらいいっせい ちち ゆきゃしさい
已證一切 如來一切 智智 瑜伽自在
のうさくいっせい じょらいいっせい いんぺいとうしょうしょう しぎょう
能作一切 如來一切 印平等種種 事業
よぶしん ぶよいっせい しゅうせいかいいっせい いげんさくぎょう
於無盡 無餘一切 衆生界一切 意願作業
かいしってんまん しょうこうさんせい いっせいししんぎょいぎょう きんこうたーいひろしゃだじょらい
皆悉圓滿 常恆三世一切 一時身語意業 金剛大毘盧遮那如來
さいよよっかいたくぁい しさいてんのきゅちゅ いっせいじょらい しょうそゆうしょ きっしょうしょうたん
在於欲界他化 自在天王宮中 一切如來 常所遊處 吉稱歎
たいまじてん しょうじょうかんさく れいたくそうばん びふうようげき
大摩尼殿 種種闕 鈴鐸諸ヲ 微風搖撃
しゅまんえいらく はんまんげっとう じいそうげん
珠鬘瓔珞 半滿月等 而爲莊嚴
よはっしゅうく ちほさっしゅうく そい きんこうしゅ ほさんばかさ くぁんしさい ほさんばかさ
與八十倶 胝菩薩衆倶 所謂 金剛手 菩薩摩訶薩 觀自在 菩薩摩訶薩
きょこうそう ほさんばかさ きんこうけん ほさあばかさ ぶんじゅしり ほさんばかさ
虚空藏 菩薩摩訶薩 金剛拳 菩薩摩訶薩 文殊師利 菩薩摩訶薩
さいはっしんてんぼうりん ほさんばかさ きょこうこ ほさんばかさ さいいっせいま ほさんばかさ
纔發心轉法輪 菩薩摩訶薩 虚空庫 菩薩摩訶薩 摧一切魔 菩薩摩訶薩
よじょしとう たいほさっしゅきょうけい いじょうじいせっぼう そちゅうこうせん ぶんぎこうびょう
與如是等 大菩薩衆恭敬 圍繞而爲説法 初中後善 文義巧妙
しゅんにちえんまん せいせいけっぱく せいっせいほうせいせいくもん そい
純一圓滿 C淨潔白 説 一切法C淨句門 所謂
びょうてきせいせい くしほさい よくせん せいせい くしほさい しょく せいせい くしほさい
妙適 C淨 句是菩薩位 慾箭 C淨 句是菩薩位 觸 C淨 句是菩薩位
あいはく せいせい くしほさ(い) いっせいしさいしゅ せいせい くしほさい
愛縛 C淨 句是菩薩位 一切自在主 C淨 句是菩薩位
けん せいせい くしほさい てきえい せいせい くしほさい あい せいせい くしほさい
見 C淨 句是菩薩位 適ス C淨 句是菩薩位 愛 C淨 句是菩薩位
まん せいせい くしほさい そうげん せいせい くしほさ(い) いしたく せいせい くしほさい
慢 C淨 句是菩薩位 莊嚴 C淨 句是菩薩位 意滋澤 C淨 句是菩薩位
こうべい せいせい くしほさい しんらく せいせい くしほさい しょく せいせい くしほさい
光明 C淨 句是菩薩位 身樂 C淨 句是菩薩位 色 C淨 句是菩薩位
せい せいせい くしほさい きょう せいせい くしほさい び せいせい くしほさい
聲 C淨 句是菩薩位 香 C淨 句是菩薩位 味 C淨 句是菩薩位
かいこ いっせいほうしせい せいせいこ ふぁんじゃはらびた せいせい
何以故 一切法自性 C淨故 般若波羅蜜多 C淨
きんこうしゅ じゅくゆうぶんし せいせいしゅっせいく ふぁんじゃりしゅ だーいしほていとうちょう
金剛手 若有聞此 C淨出生句 般若理趣 乃至菩提道場
いっせいかいしょう きゅうはんだつしょう はっしょうげっしょう せっこうせきしゅう ひっぷたよ
一切蓋障 及煩惱障 法障業障 設廣積習 必不墮於
ちぎょくとうしゅ せっさくちょうさい しょうべっぷなん じゃくのうしゅち じつじっとくしょう
地獄等趣 設作重罪 消滅不難 若能受持 日日讀誦
さーくいしい そくよけんせいしょう いっせいほうへいとう きんこうさんまち よいっせいほう
意思惟 即於現生證 一切法平等 金剛三摩地 於一切法
かいとくしさい しゅよぶりょう てきえいくぁんぎ いしゅうりくたい ほさっせい くぁきとくじょらい
皆得自在 受於無量 適ス歡喜 以十六大菩薩生 獲得如來
しゅうきんこうい しふぁきゃふぁん いっせいじょらい たいしょうけんしょう さんまや
執金剛位 時薄伽梵 一切如來 大乘現證 三摩耶
いっせいまんたらち きんこうしょうさった よさんかいちゅう ちょうふくぶよ いっせいぎせい
一切曼荼羅持 金剛勝薩捶 於三界中 調伏無餘 一切義成
しゅきんこうしゅ ほさ ばかさ いよちょうおん び しぎこおき いびしょう さしゅさ
就金剛手 菩薩 摩訶薩 爲欲重顯明 此義故熙 怡微咲 左手作
きんこうまんにん ゆうしゅちゅうてき ほんそ たいきんこうさく ゆうせい せっ たいらきんこう
金剛慢印 右手抽擲 本初 大金剛作 勇進勢 説 大樂金剛
ふこう さんまやしん
不空 三摩耶心
僧達が競い合い次第に熱を帯び速度を上げる経の中程で、后、几帳より静かに現れる。
読経止む。
「夜が明けたようです」
「お目覚めになられましたか…御様子を皆が心配しておりましたが
お元気そうで安心いたしました。」
天皇、涙ぐんでいる。
胸を張る僧達…
「久し振りですね」
「はい。随分とお目に掛かってないような気がいたします。
子供の頃、良房の家に預けられ、母様が恋しくて泣いた日の事を想い出しました…」
「あなたは帝(みかど)となられたのです。涙を見せてはなりませぬ。」
后、天皇に近づき、袖で涙を拭うが
天皇の目からは新たな涙が湧いて出る。
部屋の隅から巨大な鬼がぬっと姿を現す。
后と視線を合わせて几帳の内へ。
パッと后の顔が華やぎ、いそいそと几帳の中へ消える。
鬼と后の笑い合う声が洩れ
天皇言葉もない、一同呆然としている。
はっと気付いた僧達、慌てて読経を再開する。
笑い声が静まり読経の声が高まる。
鬼が几帳から顔を出し僧達を睨みつける。
読経が乱れ、もつれ、僧が一人ずつ這うように逃げ出す。
最後に残っていた僧も鬼が一歩踏み出すと飛ぶように逃げる。
僧達、部屋の隅に固まって震える。
天皇、鬼を睨んでいる…鬼、ゆっくりと天皇の前へ進む。
必死の思いで踏ん張っている天皇を鬼は静かに観ている。
しどけない姿の后が几帳から現れて艶っぽく鬼に絡みつく。
鬼の手が優しく后の体を這い、見せつけるように衆目の中で睦み合い始める。
侍女が恐怖のあまり大臣の衣にすがりついていたのを振りほどき
大臣が刀を抜こうとするのを天皇押しとどめる。
天皇の目にはいつの間にか実の父=先帝が鬼と后の間で
愛しい妻を抱きしめているのが映っている。
妖しくも美しい惑乱の時間が過ぎて
先帝の姿は今、天皇の眼前にある。
鬼が立ち上がり、几帳の中へ消えると后も後を追う。
先帝、舞いながらいずこともなく去ってゆく。
天皇、うなだれ、肩を落として悄然と歩み去り、大臣、侍女、僧達が続く。
【完】
この物語の裏には息子を天皇にする為とは云え、夫の文徳天皇を実の父良房に暗殺され、
清和天皇の皇太后として隔離されて暮らす明子の寂しさがあるように思えてならない。
聖人を鬼と化して睦み続けさせたのは明子の中の空虚か文徳天皇の怨霊か…
藤原氏の専横を良しとしない民の気持ちの反映が生んだ物語とも言えそうだ。