サロメ対ハムレット 【R-15】ver.1.5
作 白神貴士
 
登場人物
竹阿弥(ちくあみ=道化・弾正の御伽衆)
 
氷室丸(兄ひむろまる=ハムレット)
皿姫(妹さらひめ=サロメ)
 
緋色弾正(ひいろだんじょう=二人の継父である城主)
夜須姫やすひ=二人の実母)
母衣辺安兵衛ほろべやすべえ=選篠山城の老臣、家老)
 
御笛姫(おふえひめ=オフェーリア、人質・里見七郎の娘)
天丸(てんまる=幸福の王子、人質・里見七郎の息子)
奴布佐(やつふさ=天丸の飼い犬)
里見七郎(さとみしちろう=里見の城主、禎遠・弾正と敵対)
 
豚麻呂(ぶたまろ=弾正の祝言に呼ばれた村芝居の一座)
兎麻呂(うさまろ=弾正の祝言に呼ばれた村芝居の一座)
熊麻呂(くままろ=弾正の祝言に呼ばれた村芝居の一座)
猫麻呂(ねこまろ=弾正の祝言に呼ばれた村芝居の一座)
 
闇婆(やみばば=イタコ)
骨婆(ほねばば=イタコ)
卒塔婆(そとうばば=イタコ)
 
白地小源太(しらじこげんた=牢番)
村雨主人(むらさめもんど=物見)
城兵たち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【第一場:プロローグ】
   闇の中に物見の兵=村雨主人(むらさめもんど)が一人立っている。
 
主人
 誰だ!
 この城は滅びる・・滅びるぞ・・
 
   主人、槍を構え闇を伺おうとしている間に背後の闇から、
   片手に短剣を持った腕だけが静かに伸びて主人の首を掻っ切る。 
   主人、闇の中に倒れ込む。
   闇から音楽が始まる。
   闇に舞う物の怪のような者たちがおぼろに見え始める。
 
『闇から始まる物語』
 
無から始まる宇宙に
星も日もまだない頃
赤いインクを落として
物語が始まる
 
闇の中から 風が聞こえる
謎が生み出す 吐息が聞こえる
 
闇が歌うよ 闇が匂うよ
謎に抱かれて 始まる物語
 
   舞い終えた道化じみた扮装の男が
   観客に一礼して語り始める。
 
道化(竹阿弥)
 世は戦国。これなるは、武蔵(むさし)の国選篠山(えりしのやま)の城主、
緋色弾正(ひいろだんじょう)の御伽衆(おとぎしゅう)、
道化の竹阿弥(ちくあみ)でござる。御伽衆とは、お殿様のお側近くにいて
夜となく昼となく面白おかしいお話を致す者で御座る。
緋色弾正とは先日、急の病で天に召された切支丹(きりしたん)大名、
緋色十郎禎遠(ひいろじゅうろうさだとお)の腹違いの弟。
この弾正が、急な病で亡くなった兄禎遠の正室、
夜須姫(やすひめ)を自らの側近くに迎えた事から、
この物語は始まるので御座る。
さて、この夜須姫(やすひめ)には、亡くなった禎遠との間に二人の子、
氷室丸(ひむろまる)と皿姫(さらひめ)が御座った。
 
   竹阿弥、闇に溶ける。
 
【第2場:氷室丸の居室とその付近】
   どこからか
   地獄の底から響くが如き
   陰鬱な声が聞こえてくる
 
 氷室丸・・・氷室丸・・・氷室丸・・・
我が命を奪いしものに復讐せよ・・・
我が愛を奪いしものに復讐せよ・・・
我が城を奪いしものに復讐せよ・・・
裏切り者の血で大地を覆い、我が怨みを贖(あがな)うのだ・・・
氷室丸・・氷室丸・・
 
   どことも知れぬ闇夜の国
   夢魔のしたたらせる蜜のような濃厚で淫蕩な悪夢が、
   氷室丸の脳髄を腐食してゆく。
   母と義父、誰とも知れぬ冥(くら)い影がもつれ合い誘(いざな)う、
   夜毎(よごと)の悪夢にうなされている氷室丸。
 
氷室丸
 母上ーっ!!!
 
   飛び起きる氷室丸。入ってくる皿姫。
   皿姫にすがりつく氷室丸。
 
皿姫 
 兄者!どうした?
氷室丸
 夢を見た・・・・まだ胸が躍って・・・・
・・皿姫の匂いは・・心を落ち着かせてくれる・・。
皿姫
 どんな夢だ?
氷室丸
 母上と・・・
皿姫
 ・・叔父上か・・。兄者、今だに許せぬのか。
今は戦国の世、兄が死んだ後、弟が妻を継ぐのも、
ままあることじゃ。今宵は母上と叔父上の婚礼の夜、
そろそろ許したがよかろう。
氷室丸
 わずか一月前ぞ、父上がみまかったのは・・おぞましい。
死んだ父上も、そして母上も我らも切支丹じゃ。
デウスの許す処ではない。
母上は神を捨てた.
もはや我らは、ハライソに臨(のぞ)む事はかなうまい。
皿姫
 兄者の如き外道がが天の極楽=ハライソに昇るというなら、
夜明けに空を昇るのは日ではなく月であろう。
デウスもハライソもわしは信じぬ。
ただ、わしが嫌なのは・・・叔父上のわしを見る眼じゃ。
氷室丸
 どのような眼じゃと?
皿姫
 じろじろと、わしの顔を、身体を、なめ回す如くに。
あれは白拍子か辻君か、肌を売るおなごを見る眼じゃ。
氷室丸
 弾正は獣(けだもの)よ。女と見れば抱くことしか考えぬ。
皿姫
 けれど、わしにはもっと耐えられぬ眼がある。
・・・・母上の眼じゃ。わしを・・恋敵の如くに見る・・
嫉妬に燃えあがる眼じゃ。
氷室丸
 皿姫・・・気の・・迷いぞ。
何ぞ母上が嫉妬など・・・
我ら兄妹、婚礼の準備に邪魔だとて、
このような離れに押し込められて、
もう十日も囚人の如き暮らし。
禎遠の血をひく我らゆえ、弾正の手の者に、
いつ首をはねられても、おかしくはなかろう。
今日まで生きておるのが不思議とさえ思える。
いや、もしかすると我らはもう、死んでいるのではないか?
毎日、このような事ばかり考えていては・・
気も迷うと云う物だ。
皿姫
 そのような事をしてきたのは我らが父、十郎禎遠よ。
比べれば弾正は、やさしき男。
なればこそ母上も情を通わせたのであろう。
兄者の杞憂ぞ。
ただわしは・・・
 
   どこからか、叫び声が聞こえてくる。
 
 
 迷い人よ・・・!この世とあの世の境で蠢(うごめ)く罪人共(つみびとども)よ!
終わりの日が来る・・・全ては裁かれるのだ!悔い改めよ!
・・その眼には死の天使が空を舞うのが見えぬのか!
その羽根の音が聞こえぬか・・・
皿姫 
 あの声は誰だ?
氷室丸
 この奥の土牢に捕らえられている男だ。
狂っているというが・・
あの声には聞き覚えがあるような気がしてならぬ。
皿姫
 いや、わしの耳には憶えがない・・何やら麗しい声だ。
あの声、あの申しようは、聖書に云う預言者ではないか?
末の世には現れるという・・
氷室丸
 行ってみるか?
皿姫 
 うむ。
 
   舞台奥に土牢の入り口がある。覗き込む二人。
 
皿姫
 中は暗うて何も見えぬ。声も聞こえぬぞ。
 氷室丸・・・氷室丸・・・
氷室丸
 ・・父上!
皿姫
 何じゃ?何を言うておる。
氷室丸
 今、父上がわしを呼んだ・・!皿姫には聞こえなんだか?
 
   皿姫、耳を澄ます。
 
皿姫
 わしの耳には、何も・・
氷室丸
 今はわしにも聞こえてはおらぬ。先ほど確かに・・・!
この中に父がいるのではないか?
 
   皿姫、小首を傾げて氷室丸を見る。
 
皿姫
 氷室丸は父上を埋めるときおったではないか?
神父(ぱあどれ)が『灰より灰に、塵より塵に』と唱えた時に
泣いておったではないか?
氷室丸
 けれど信じられぬのよ。
まだ父がどこかに生きておるような気がしてならぬのよ。
あるいは父の霊魂が昇天できずに迷うておるのかも知れぬ。
皿姫
 そんなに気になるのなら、ここでいつまでも見張っておれ。わしはつきあいきれぬ。
 
   皿姫、立ち上がる。氷室丸、慌てて立つ。
 
氷室丸
 待て。悪かった・・確かに気の迷いかも知れぬ。
気が塞いでしもうたのよ。・・・・今宵は猿楽三昧の宴(かそうぶとうかい)、
我らも面倉(めんぐら)にて好みの面をえらぼうぞ。
皿姫
 わしと選んで良いのか?御笛姫(おふえひめ)が焦(じ)れよう。
氷室丸
 あれはねんねじゃ。お前と選べば面白かろう。
皿姫
 もう、あきたのか?
ねんねと承知で添い寝の床に、誘うたのは兄様、悪い男じゃ。
あれは弟の天丸(てんまる)同様、里見七郎との和解の人質、
輿入(こしい)れして来たわけでもあるまいに。
七郎が知れば武蔵野を軍馬のいななきで埋めて、
この城に攻め寄せて来ようものを。
氷室丸
 ふん、田舎出の何も知らぬ女童(めのわらわ)の、
囚われの夜の退屈を慰めて差し上げたまでよ。
皿姫
 おおかた氷室丸の退屈であろう。・・・
わしはつれない男は許せぬ、御笛姫と天丸を誘いにゆくぞ。
4人で面倉に行こう。
 
   皿姫、先に立って歩き出す。
 
氷室丸
 気はすすまぬが、言い出せば、聞く耳持たぬ妹を、
持ったこの身の不運とぞ、あきらめるしかなかろうな・・・。
闇婆
 運の事なら、わしらに聞け。
 
   二人、祝宴に来ていた三婆=イタコに声をかけられる。
 
骨婆・卒塔婆
 いいことを聞きたいか悪いことを聞きたいか?
皿姫
 いいことを・・悪いことなど聞きたくない
 
   老婆たち、からからと笑う。
 
闇婆
 きれいは汚い、汚いはきれい
骨婆
 この世に満つる禍津事(まがつごと)
卒塔婆
 いいことなどはどこにある?
氷室丸
 無いなら問うな。
三婆
 お若い方は気が短い・・・
闇婆
 ならば
骨婆
 これより
卒塔婆
 語ろうか・・・
闇婆
 まず氷室丸!
三婆
 氷室丸!
闇婆
 知りたき真実(まこと)を知るだろう。ついにはこの城手に入れよう
骨婆
 次に皿姫!
三婆
 皿姫!
骨婆
 皿姫は欲しいものなら手に入れよう
卒塔婆
 そして二人は!
三婆
 二人とも!
卒塔婆
 人の腹から生まれた子には倒されることはないだろう。
三婆
 いいことはこれでおしまい。悪いことはききたくないか?
皿姫
 いいことだけでよい・・悪いことなど聞きたくない
氷室丸
 真実を知るか・・・それこそわしの望むこと。
お婆、いつもの薬をくれ。
卒塔婆
 あいよ・・何の色が欲しい?
氷室丸
 夜明けの空のように燃えたぎる欲情の赤を六つ、
沈黙の夜の底を覗き込むような青を六つ、
白昼夢にとろけた脳を這い回る粘菌(ねんきん)の黄色を六つ
骨婆
 いずれも劇薬・・・飲み過ぎると命を縮めるぞえ
闇婆
 氷室丸には意味なきこと・・・いくらでもいるだけおとり。
氷室丸
 気前のいい・・いるだけとるさ。
 
   氷室丸、三つの袋から手づかみでざらざらと薬を取り、
   たもとにいれる。
   皿姫、焦れた様子で、
 
皿姫
 さあ、兄上早う!
氷室丸
 こらえ性のない妹じゃ。婆どもさらば、また会おう。
三婆
 いつか・・・硫黄の煙漂う、ずっと冥いところでな。
 
   三婆笑う。氷室丸、皿姫に近づいて
 
氷室丸
 婆どもめ!この頃は憎まれ口しかたたかぬわ。
皿姫
 婆ども何というた?
氷室丸
 地獄で会おうというたのさ。
 
   二人、舞台から去る。
 
『次は地獄で逢いましょう』
(三婆によるパフォーマンス)
 
赤い地獄で逢いましょう
唇の色褪せぬ間に
青い地獄で逢いましょう
眠りの砂の尽きぬ間に
黄色い地獄で逢いましょう
心の形溶けぬ間に
 
次は地獄で逢いましょう
砕けるほどに抱きしめて
血の出るほどにすすり逢い
次は地獄で逢いましょう
 
   三婆去る。
 
【第三場:座敷牢】
   人質の御笛姫と天丸が窓から星を見ている。
   牢番の白地小源太、槍を抱えて船を漕いでいる。
   竹阿弥影のように現れる。
   御笛姫、天丸、小源太、静止する。
 
竹阿弥
 選篠山城から川を挟んで向かい合う蔭葉城(かげはじょう)と申す城に
里見七郎重信(しげのぶ)という城主が住んでおりましたが、
過ぐる年、緋色十郎禎遠と争い、その策略に敗れて
人質を差し出し、和平の約定を結んでおりました。
人質とは数えて十二歳になる御笛姫と七歳の天丸、
重信が側室に生ませた、いたいけな二人の子供と
天丸に付いてきた巨大な犬、奴布佐でございました。
 
   竹阿弥、消える。
 
御笛姫
 天丸、天丸!あれへ、また星が流れた。おかしや、おかしや。
天丸
 今宵はもう十と二つ。よう流れます、姉様(ねえさま)。
御笛姫
 獅子の星座かい?蟹の星座かい?
天丸
 獅子の涙でございます。悲しい夢でも見ているのでしょう。
御笛姫
 そういえば、ゆうべもお前、泣いてなかったかい?
天丸
 ごめんなさい。・・泣いておりました。
母様の夢、里の夢見て目が覚めて・・
ああ、夢だったのかと思うたび、
涙がぽろぽろこぼれてまいりました。
ああ、姉様がおやすみになっている、
声をあげてはならないと、ずっと我慢をしましたが、
心が喉まであふれてしまい・・(涙)
御笛姫
 よいのですよ。天丸はやっと七つになったばかり。
親が恋しいのも当たり前でしょう。
天丸
 こうなってみれば、乳母へもやられず、
母様手づから育てていただいた恩すら、
何やらうらめしゅうございます。
御笛姫
 涙を拭いて・・。きっと近いうちに帰れましょう。
氷室丸様が約束してくださったもの。
きっと二人を帰そうと何度も約束してくださったもの。
たとえ私が帰れずとも、天丸は帰していただきます。
天丸
 近頃はとんとお見えになられませぬ。
が、姉様と添い寝できるのはうれしゅうございます
・・・一人で寝ておりますと魔がつけこむのか必ず、
物の怪が呻くような声が聞こえて、怖くてねむれませぬ。
 
   天丸、御笛姫にもたれる。御笛姫顔を赤くしている。
 
天丸
 姉様・・何やらどくどく音がします。
御笛姫
 胸の中には心の臓というものがあって、
生きてるあいだはそのように
止まることなく拍子をとっているのです。
 
   御笛姫、天丸の手を取って着物の中へ導き、
   胸に触れさせる。
 
天丸
 姉様・・!
御笛姫
 母様の胸とは違おうけど、少しは安心できませぬか?
天丸
 はい・・・暖こうございます。
御笛姫
 このまま眠りや・・
天丸
 はい・・・
 
   二人、すやすやと眠りにつく。
   氷室丸と皿姫がこっそりと入ってくる。
 
皿姫
 まあ、ここは眠りの国でもあろうこと、
・・・誰(だれ)も彼(か)も宵の口から泥のように・・・
氷室丸
 外は朝までよっぴての騒ぎだというのに静かな事よ。
よし、牢番の小源太にも、
覚めて見る、楽しい夢を見せてやろう。
 
   氷室丸、皿姫に耳打ちをするや、否応なしに手を引いて、
   牢番の白地小源太の寝ている側にやって来る。
   小源太の耳に息を吹き込み源太の背後に隠れる。
   眼を覚まし、皿姫の姿を見て驚く小源太、平伏して
 
小源太
 さ、皿姫様!申し訳ございません!
皿姫
 お前は、何をあやまる?
小源太
 昨日より、当番の者が婚礼の前祝いじゃとて飲み歩き、
二日続きの寝ずの番、ついうとうとと夢枕・・・
皿姫
 御笛姫も天丸も逃げ出すような才はない。
それより、小源太は、さぞ良い夢でもあったものか、
とろけるような顔で眠っていた。
小源太
 真に・・醒めねばよいと思うほど、麗しい夢でございました。
皿姫
 どのような夢じゃ?
小源太
 そ、そればかりは・・・
皿姫
 言わぬなら、別によい・・・
小源太
 お恐れながら・・・皿姫様の夢を・・・
皿姫
 わしを・・・どうしていた?裸にして組み敷いていたか?
小源太
 め、滅相もない!
その、おみ足に、口づける夢でございました・・
・・お許しください!
皿姫
 なんだ、つまらぬ。
小源太
 は・・?
皿姫
 この城の男は皆、わしの夢をみるらしいぞ。
 
   皿姫、靴先を小源太の顔先へ持ってゆく。
 
小源太
 ・・・??
皿姫
 履き物を脱ぐのはめんどうじゃ、このままでよいか?
小源太
 ・・・ありがたき幸せ!
 
   小源太、うやうやしく履き物越しに足に接吻する。
 
皿姫
 うれしいか?
小源太
 存外の幸せでございます!
皿姫
 ならば頼みがある。
小源太
 なんなりと・・!
皿姫
 昼間、月見櫓の裏の神社に遊んだおり、赤い匂い袋を失した。
今宵の宴にどうしても欲しい。捜して来てくれぬか。
小源太
 匂い袋でございますか・・
皿姫
 小さな匂い袋じゃ、小源太なら出来よう。
月が本丸にかかるまでに持ち帰れば・・・
今度は履き物を脱いでもよい。
小源太
 承知いたしました!必ず持って帰ります。
しばしお待ちください。
 
   小源太、駆け去る。氷室丸立ち上がる。
 
氷室丸
 わしに気づきもせなんだ。心底、皿姫に迷うておる。
皿姫
 珍しくもない・・・あれ・・・小源太も運がない。
氷室丸
 なぜだ?
皿姫
 月が雲に隠れた。
氷室丸
 では、匂い袋のこと本当か?うもう云うたと思うたが。
皿姫
 わしは氷室丸とは違うて、嘘はつけぬ。
じゃが心配はするな、わしがさんざん探した小さな匂い袋じゃ、
簡単に見つかりはせぬ。
氷室丸
 ならば良いが・・足を舐めたいと思うておるような男、
犬の如くに鼻が利いたらなんとする?
皿姫
 本当に!あれは犬の生まれ変わりやも知れぬ!
 
   二人、からからと笑う。その声に天丸、目を覚ます。
   御笛姫は眠ったまま。
   氷室丸、壁に掛かった鍵束を外し、そっと鍵を開ける。
 
天丸
 氷室丸様・・・
氷室丸
 しっ・・。天丸、黙らぬと口を縫うぞ。
 
   天丸、口を押さえて黙る。
   その手が御笛姫の胸元から抜かれたのを
   目ざとく見つけた氷室丸。
   天丸を部屋の隅に下がらせて御笛姫の胸元に手を入れる。
   やわやわと揉みしだいたものか、
   御笛姫の口から吐息が漏れる。
 
御笛姫
 て・・んまる・・・何を・・?あっ!!
 
   跳ね起きた御笛姫。襟を固く合わせる。
 
御笛姫
 氷室丸様!
氷室丸
 暇(いとま)しておったな。達者でいたか?
御笛姫
 はい。来られぬ間、ただ氷室丸様を思って、
昼も夜も泣いて暮らしておりました。
氷室丸
 可愛いことを・・だがわたしが聞きたいのは真実だけだ。
国へ帰りたい想いからのお追従(ついしょう)はいらぬ。
御笛姫
 いえ、私はもう帰りたいとも申しませぬ。
ただ天丸をおかえしくださいませ・・・
今宵は満月が美しゅうございますが、わたしにとっては闇夜
・・私の月は・・氷室丸様でございます。
皿姫
 (独白)お前が思うほど燃え上がるほど、
この兄の血は氷のように冷えてゆくものを・・可哀想に・・
氷室丸
 ・・まあいい。皿姫が猿楽三昧(さるがくさんまい)に誘えというので来たのだ。
支度をせい。早く面倉に行かねば望みの面を選べまい。
皿姫
 氷室丸は鈍いのう。気づかぬか?
氷室丸
 何のことだ?
皿姫
 さあ、おいで天丸・・・良い面を選んでやろう。手をお出し。
 
   天丸を呼び寄せて手を繋ぐ。天丸、皿姫にまぶれつく。
 
天丸
 ・・皿姫様はいつも良い匂いがする。春の野の花畑のようだ。
皿姫
 御笛姫はどうだ?
天丸
 皿姫様とは違うけど・・この頃、日向のような、
良い匂いがする。
皿姫
 お前の方が氷室丸より利口かもしれぬ。
 
皿姫、天丸の頭を撫でる。氷室丸、入り口で焦れている。
御笛姫の支度が整った。
 
氷室丸
 行くぞ。
皿姫
 氷室丸。
氷室丸
 何だ?
皿姫
 御笛姫の手を。
 
   氷室丸、御笛姫の手を取って歩く。皿姫微笑む。
   四人、舞台から去る。場面転換。
 
【第四場:天守】
   婚礼の主役である弾正と夜須姫が天守に現れる。
 
夜須姫
 あれ、月が雲間から光の帯を垂らしております。
弾正
 雲に隠れて帯を解く。お前の姿のようじゃ・・・
夜須姫
 またそのような・・・恥ずかしゅうございます。
口を開けばそのようなことばかり・・
もそっと美しい物言いはできませぬか?
弾正
 これだから“獣”(けだもの)などと言うものが出るか・・・許せ。
やっとおおっぴらにお前への愛を語る事が出来る、
嬉しゅうてならぬのよ。
夜須姫
 本当に長うございました。
ちょうど氷室丸や皿姫と同じ年から・・・
弾正
 よくぞ、隠しとおした。・・この口の軽いわしがな。
夜須姫
 隠さねばきっと禎遠に、重ねて四つにされました。
弾正
 板東の地に名を轟かした豪傑、
一介の足軽頭から身を起こし城持ちになった禎遠に、
剣の腕では叶うべくもないこの弾正。
が、恋の腕ではついに負けなんだぞ。
夜須姫
 禎遠がみまかりしも天のお導き、
したが、その死の秘密は決してもらしてはなりませぬ。
弾正
 心得ておる。あの耳から血を垂れ流した恐ろしい形相、
眼に焼き付いてはおる・・・
夜須姫
 毒殺などと知られては、
弾正
 わしに疑いのかかるは必至。
その場におって気の触れた道化の竹阿弥が、
正気を取り戻しでもせぬ限り・・・
夜須姫
 禎遠は急な病で死んだものと、
弾正
 閉ざさねばならぬ口もあるということよ。
・・だが、こよいは婚礼の夜、口を閉じておっては
馳走も食えぬし、酒も飲めぬ。
・・夜須姫の口も吸えぬと、いうことだ。
夜須姫
 さんざん吸うたではありませぬか。
弾正
 これからはいつ、どこでも夫婦よ。
馴れしたしんだ寝室に新しい花を飾ってお前を抱こう。
新しい子をもうけるのも良い。
夜須姫
 その前に、氷室丸と皿姫に明かさねばならぬ秘密があるはず、
弾正
 婚礼が明けて、ゆっくりとな。今宵は・・する事が多すぎる。
 
   弾正、夜須姫を抱き寄せ、
   熟した果実のような肉体を愛撫せんとした時、
   城に仕える老臣、母衣辺安兵衛が現れる。
 
安兵衛
 お恐れながら・・・夜須姫様、
お召し替えの時刻にてござります。
 
   弾正、愛撫を止めようともせず、
 
弾正
 安兵衛・・気が利かぬにも程があるぞ。
それとも・・お前の眼には我らの姿映らぬか?
夜須姫
 殿・・・お止め下されませ。
夜須姫、恥ずかしゅうございます・・・
安兵衛
 齢(よわい)六十を越しまして後(のち)、いささか眼が弱りまして・・・・
もはや、あたりはぼんやりと紗がかかり、
桃源郷に居るごとく・・・万事が極楽でございます。
 
   弾正、苦笑して夜須姫を放す。
 
弾正
 もはや極楽往生も近いか・・・
安兵衛、隠居して日野に帰ってはどうだ?
残した家族も喜ぼう。
安兵衛
 この母衣辺安兵衛(ほろべやすべえ)、二十八の年に、
日野のお城で夜須姫様のお側護衛役を仰せつかりまして以来、
三十余年、一筋に仕えて参りました。
願わくば、この命尽きる時まで・・これまで通り
お仕えさせていただきとうございます。
夜須姫
 お前がいなくなるなど考えられませぬ。
安兵衛、どうぞ、死ぬなどと言わず、ずっと、これまで通り
・・仕えておくれ。
安兵衛
 お言葉・・嬉しゅうございます。(泣いている)
・・年のせいでしょうか、
めっきり涙もろうなってしまいもうした。お許しくだされ。
弾正
 せっかくの濡れ場を爺(じじい)の涙でびしょ濡れにしてしもうたわ。
さて、お前が召し替える間、
面でも着けて城中を見物してくるわ。
わしの悪口など耳に入ってくるのも面白かろう・・
夜須姫
 そう、なさいませ。
弾正様がどこの処女(おとめ)かと驚く程に化けて
お待ちもうしておりましょう。
弾正
 それは楽しみ・・・
 
   弾正、天守に消える。
   夜須姫と安兵衛の視線が意味ありげに出逢い、
   何事もないかのように二人も弾正の後を追って消える。
 
【第五場:面倉】
   (アドリブ進行)氷室丸たち面倉で面を選ぶ。
   氷室丸、親切めかして御笛姫と天丸に
   生成(なまな)りや弱法師(よろぼし)など不吉な面を選んでつけさせる。
   天丸疑うことを知らず、また良いと聞いたものは
   人に与えようとする徳分を持っている。
   氷室丸、姉弟してかばい合う様を目にして
   何か思いついたようだ。
 
氷室丸
 宴には間がある。”隠れ鬼”をして遊ぼう。
天丸はまだ小さきゆえ御笛姫と共に隠れよ。
天丸
 天丸は一人で隠れられます。
氷室丸
 すぐに見つかっては、捜す甲斐がないといっているのだ。
皿姫
 わしは隠れ鬼は苦手じゃ
天丸
 皿姫は良い匂いがするからすぐわかる
氷室丸
 良いところに気が付いたな。
皿姫にはこの匂い消しの薬を与えよう。
直(じき)に匂いは消える
 
   氷室丸、青い丸薬を渡す。
 
皿姫
 これが匂い消しであったかのう・・・飲むのか?
氷室丸
 水が入り用か?
皿姫
 いらぬ。
 
   皿姫、飲んでしまう。
 
氷室丸
 用意は整うた。わしが年長ゆえ、まず鬼をしょう。
皆早う隠れよ。真っ先に見つかったものは罰を受けねばならぬ。
 
   氷室丸、両手で目を覆う。御笛姫と天丸、
   何故かふらふらしている皿姫、隠れるために散る。
 
氷室丸
 色は匂へど 散りぬるを
 我が世誰ぞ 常ならむ・・
 
   氷室丸、指の間から様子を見る。
   そっと振り向いて
   皿姫がふらふらと納戸に隠れるのを確認すると、
   声をフェード・アウトさせながら御笛姫と天丸を追う。
 
氷室丸
 憂いの奥山 今日越えて
 浅き夢見し 酔ひもせず・・ん
 
   人質の二人は、天丸の飼い犬『奴布佐』の犬小屋
   (といっても馬小屋ほどある)に入って行く。
   後をつけて入る氷室丸。
   三人が姿を消した後に
   白地小源太が通りかかる。
 
小源太
 俺の鼻が人一倍利いて匂い袋をかぎ当てたのは良いのだが、
帰ってみれば皿姫様どころか、御笛姫と天丸も消えてしまった
・・一体どうすれば良い物か。何とか三人を探し出して、
戻っていただかぬと首が飛んでしまうわ・・。
いかんいかん、一人で牢番をしている間に
独り言を言う癖がついた。心の中が垂れ流しになってしまう。
ん・・・!皿姫様の良い匂いがするような・・・
 
   小源太、鼻を空中に突きだし、くんくんと匂いを嗅ぐ。
 
小源太
 うっ・・・・!何じゃこの匂いは!
天丸の犬の奴布佐が小便を垂れおったか!
・・こりゃたまらん・・・ひとまず退散する事にしょう・・・
 
   小源太、退場する。
 
【第六場:犬小屋の中
   犬小屋の中、藁など積んである中に
   巨大な犬=奴布佐がうずくまっているが、
   つと立ち上がる。御笛姫と天丸が入ってきたのだ。
   尻尾を振る奴布佐。
 
天丸
 シッ・・・!鳴いちゃだめだよ奴布佐。ここに隠れさせてね。
御笛姫
 梁に登れば見つかるまいが、天丸が登れまいし・・・
天丸
 姉様、奴布佐の後ろなら、きっと大丈夫ですよ!
 
   二人、奴布佐の背後に隠れる。奴布佐うずくまる。
   氷室丸が入ってくる。
   奴布佐、尻尾でそれとなく二人に知らせる。
   氷室丸あたりを見回して、大声で
 
氷室丸
 見つけたぞ!
 
   思わず立ち上がってしまう御笛姫と天丸。
 
氷室丸
 かかったな。
天丸
 なんと、・・・氷室丸様は賢うあられます!
氷室丸
 お前達に知恵が足りぬのよ。
さて、捕まった罰を受けるのはどちらだ?
御笛姫
 私が先に見つかりました。
天丸
 いえ、私が先に・・
御笛姫
 私の方が背が高いのじゃ、先に見つかった道理・・
氷室丸
 御笛姫、こちらへ・・
 
   氷室丸、御笛姫を座らせる。
 
氷室丸
 背と腹、どちらだ?
御笛姫
 背を・・
 
   御笛姫をくるりと後ろ向きにするや
   着物を引き下げ背を剥き出す。
   奴布佐が唸る。
 
天丸
 奴布佐・・!静まれ。
氷室丸
 この罰は、転び切支丹遊びとする。
わしの言うとおり、後をついて言うのじゃ。
天丸は眼を開き、耳を澄ませ。決して閉じてはならぬ。
御笛姫
 ・・はい。
 
   氷室丸、唱えながら鞭をふるう。
   天丸、必死で耐えている。
 
氷室丸
 苛苦(せめく)を受くる間はイエスの御受難(ごパッション)を目前(もくぜん)に観(かん)ずべし。
神(デウス)を初め奉り、聖母(サンタマリア)、諸々(もろもろ)の天使(アンジョ)、聖者(ペアト)、
天上より我が戦を御見物なされ、天使(アンジョ)は冠を捧げ、
我が魂の出づることを待ちかねたまふと観ずべし。
この砌(みぎり)に及んでは神(デウス)より格別の御合力あるべければ、
深く頼もしき心を持つべし。
亦(また)、叶ふに於いては其道(このみち)に有逢(ありあ)ふ人々の
魂(アニマ)の徳となるべき題目を少しなりとも言ふべし
 
   天丸、泣きながら叫ぶ。
   御笛姫突っ伏して失神している。
 
天丸
 許して!姉様を許してください、
私に罰を与えてください!
私が居るばかりに屋根裏に登れなかったのです。
見つかったのは天丸のせいでございます!
氷室丸
 麗しい姉弟愛・・・ほとほと感じ入ったぞ。
お前を鞭打つ事はしまい。だが、罰は罰・・
・・その護り袋は綺麗ではないか。見せてくれぬか。
天丸
 これは母様(かあさま)が昔・・
氷室丸
 見せてくれぬか。
天丸
 ・・はい。
 
   天丸、護り袋を渡す。
 
氷室丸
 ・・気に入った。もろうておく。
 
   氷室丸、懐に入れる。
 
天丸
 あ・・・
氷室丸
 これはお前への罰・・その扇子は?
 
   天丸、おずおずと差し出す。
 
氷室丸
 麗しい・・
天丸
 それは姉(ねえ)・
氷室丸
 もらっておく。これはこらえ性なく気を失うた御笛姫の罰。
しかし、まだ鞭の数が足らぬ・・・
もう、わしの目にとまるような物はないかの・・・
なければ姉様を叩かねばならぬ。困ったのう、天丸。
これは罰じゃから力を弱めるわけにもいかぬ。
これ以上叩けば、肉は裂け、骨が砕けて・・
姉様は死んでしまうやも知れぬのう・・・
 
   氷室丸、じろじろと天丸を見る。
 
氷室丸
 おう、あったあった。
ここな一対の黒々と美しき光を放つ宝玉・・・
どうする?天丸、この両目を差し出せば、
姉様を叩かずとも済む。しかしな・・目を失えば、
お前はもう、姉様の顔も母様の顔も見ることは出来ぬのだ・・
姉様を叩いてくださいと頼むなら、お前は許してやるし、
扇子と護り袋も返してやろう。どうだ?
天丸
 どうぞ、この目をお取りください。
姉様をお助けください。
氷室丸
 遊びで云うておるのではない。
・・・目をえぐれば死ぬほど痛いぞ。
もし、お前が痛みに泣けば、やはり姉様を叩かねばならぬ。
天丸
 天丸は、どんなに痛くても泣きませぬ。
氷室丸
 声を漏らしてもいかぬ。
天丸
 決して漏らしませぬ。
氷室丸
 そこまで云うなら仕方がない。
お前がどうしてもと望むなら・・
天丸
 はい。天丸の両目をお取りください。
天丸も武士の子、死んでも声はもらしませぬ!
 
   氷室丸、天丸の目に指を当てぐっと押す。こらえる天丸。
 
氷室丸
 行くぞ。
天丸
 はい!
 
   氷室丸、一気に天丸の両目をえぐり取る。
   姉のためと我慢する天丸。
   立ち上がり、激しく鳴きたてる奴布佐。
   氷室丸、えぐった両目の後に藁を詰め込み布で巻く。
   布が見る見る真っ赤に染まってゆく。
 
天丸
 鳴くな!静まれ・・・!奴布佐。天丸は大丈夫だ。
 
   奴布佐、鳴き止む。
   氷室丸、包帯を巻き終わって、
 
氷室丸
 ・・よくぞ我慢した。これで御笛姫は救われたぞ
天丸(痛みをこらえ)
 姉様、よろしゅうございました・・
氷室丸
 お前と姉様を御殿医師の良庵のところに運ばねばな。
さてどちらから運ぶかな?・・天丸。
天丸
 姉様を先にお運びください。お願いいたします。
氷室丸
 相分かった。奴布佐に乗せて行こう。
天丸、奴布佐に言うてくれ。
天丸
 奴布佐、氷室丸様を私だと思って指図に従うておくれ。
姉様を運ぶのじゃ。
 
   氷室丸、御笛姫に猿ぐつわをし仮面を付ける。
   御笛姫気が付く。
   氷室丸、御笛姫を仰向けに奴布佐の背に縛り、
   外へ連れ出す。
   犬小屋の入り口に下卑た村芝居一座4人がいる。
 
熊麻呂
 これは、大胆な趣向・・・奴婢(ぬひ)にしては白い肌のおなごよ
・・羞恥に桜色に染まった肌と、犬の毛色との対比が
一段と映えて、仮装と云わず緊縛芸術(ボンデージ・アート)としても
一級品の出来映え!よほど心得のあるお方とお見受けする。
よければこの長田熊麻呂(おさだくままろ)、弟子入り願いたい!
猫麻呂
 おおっ、このように足を広げて縛られとったら
裾が割れて丸見えでねえか!!辛抱たまらんのお!
 
   熊麻呂、猫麻呂をはたく。
   豚麻呂と兎麻呂はただ、呆然としている。
 
氷室丸
 この中に衆道を仕込んだ盲の稚児がいる。これも奴婢の身分。
今夜は無礼講ゆえ、煮るなと焼くなと、存分に楽しまれよ。
 
   言い捨てて去る。
   四人顔を見合わせてから中に入る。やがて、くぐもった
   天丸の悲鳴が聞こえてくる。
   氷室丸、振り返る奴布佐の縄を引き、微笑んで去る。
 
【第七場:納戸】
   皿姫、納戸の中で目覚める。
 
皿姫
 ここはどこ?氷室丸・・!
 
   起きあがった皿姫、思い出せない。
   ゆっくりとあたりを見回す。
 
皿姫
 ・・そうか。隠れ鬼だ・・
 
   突然、納戸の戸が開き、仮面を付けた弾正が入ってくる。
   思わず、後ずさる皿姫。
 
弾正
 何やら声がしたと思えば皿姫ではないか?
こんなところで何をしておる?
皿姫
 ・・叔父上こそ・・。
弾正
 祝宴が始まる前に、お忍びで城内を視察しておるところ。
・・ちょうど良い。父娘(ちちこ)二人で話す機会もなかった。
 
   弾正、戸を閉める。
 
皿姫
 もう行きます。
弾正
 まあ、待て。・・なぜお前はわしを嫌う?
皿姫
 叔父様は母様の夫。
娘の私をそのような目でご覧になるのは納得がいきませぬ。
弾正
 ・・率直な意見じゃ。そのような・・とは、
わしはどんな目で見ておると言うのだ?
皿姫
 春をひさぐ女を眺める殿方のような目で・・ございます。
弾正
 それは・・勘違いじゃ。これは美しい物を讃える眼差(まなざ)し。
そのように淫らなものではない。お前は若く美しく、魅力的だ、
頭も良い、男が求める物を全て備えておる。
わしとて、お前に惹かれる気持ちがないとはいわぬ。
だが、これはあくまで父としての愛じゃ。
父として、お前を抱きしめ、父として手をひいたり、
膝に乗せたりしてやりたいのじゃ・・わかるであろう?
皿姫
 もはや、そのようなことが嬉しい年ではありませぬ。
 
   弾正の脇をすり抜けようとした皿姫、弾正に捕まる。
 
弾正
 待て。わしの本当の気持ちがわからぬというか?
今少し話して聞かせよう。
父としてお前には分かって欲しいのだ。
お前は禎遠の前で舞うたという・・
わしにもお前の舞を見せて欲しいのじゃ。
皿姫
 母様に言いつけますぞ!
 
   一瞬、ひるんだ弾正をふりほどいて、
   納戸の外へ飛び出して行く皿姫。
   弾正、残り香を吸い込んで。
 
弾正
 良い匂いだ・・
 
   場面転換。
 
【第八場:馬屋】
   氷室丸が御笛姫を連れて
   城中引き回しをしようと歩いていると
   誰もいないはずの馬屋から、
   母の声が漏れるのを聞く。
 
母の声
 声を小そうと言われても・・
これが最後の逢瀬に成るかも知れぬと思うとのう・・
幸い、ここは誰も通らぬ場所・・・。
 
   氷室丸、御笛姫と奴布佐を舞台袖に隠して戻ってくる。
   馬屋に足を踏み入れ
 
氷室丸
 母上!そこにおられるのか?
 
   数十秒の沈黙の後、
 
夜須姫
 氷室丸、こちらへおいで
 
   母が馬屋の中に姿を見せる。側による氷室丸。
 
氷室丸
 母上。
夜須姫
 お前はこの結婚に不服があるそうですね。
安兵衛から聞きました。
氷室丸
 はい。父が死んで一月あまり、
喪服の黒も目に馴染まぬまま叔父上とのご結婚、
私でなくとも、納得のいかぬという者はたくさんおりましょう。
母上が叔父上にだまされておるとかおらぬとか、
母上と叔父上が情欲に狂うて父を暗殺したとの噂まで
流れております。
夜須姫
 そのような事!根も葉もない出鱈目です!
氷室丸
 はい、私もそう信じております。
これはきっと何か思うところがあって、
母上はこう、されているであろうと・・。
実は、今日、父の声を聞いたのです。
夜須姫
 禎遠の声とな!?
氷室丸
 はい、あれは確かに父の声・・
母上、父上は生きていらっしゃるのではないのですか?
何者かを欺くためにしておられることではないのですか?
母上・・・土牢に入れられているのは一体どなたです?
夜須姫
 土牢に近づいてはなりませぬ!決してなりませぬ・・
この事については、後日、弾正と私から改めて、
全ての真実を教えましょう。ただ、氷室丸・・
緋色禎遠は確かに死にました。
そして、今、お前達の父は緋色弾正、私の愛する夫です。
禎遠の声などと・・・気を確かに持ちなさい。
 
   夜須姫、心配そうに。氷室丸の袖を持とうとする。
   その時、背後に戸口に逃げ出そうとする気配を感じた
   氷室丸、母の腕を振りきって振り向き短剣を投げる。
 
氷室丸
 曲者!
 
   氷室丸の投げた短剣は急所に刺さって、
   逃げだそうとした母衣辺安兵衛の命を奪う。
 
氷室丸
 これは安兵衛・・母上!一体、どうした事です!?
夜須姫
 気が違うたか、氷室丸!なぜ安兵衛を・・・
氷室丸
 気が触れたは、母上の方じゃ・・
 
   混乱した氷室丸とびだして行く。
 
夜須姫
 これは、どういう罰じゃ・・いや、わかってはいる。
長い間の罪に、ようやくデウスの審判がくだされたのだ。
わたしはどうすれば良いのだ・・この罪にとって
唯一の慰めであった息子が首切り役人をつとめようとは・・。
だが、私はこうして生きている・・
あの子を息子だと思っている男はもう一人残っている。
明日の事を考えよということだろうか?
神(デウス)よ・・教えたまえ。あなたはどうなさるおつもりなのか!
 
   暗転。
 
【第九場:犬小屋】
   氷室丸、急いで犬小屋に戻ってくると
   天丸が虫の息で倒れている。奴布佐、ほえる。
   御笛姫、奴布佐の上から天丸を見る。
 
天丸
 奴布佐・・?氷室・・丸様・・・・ね・・・え・・様は・・ご無事・・ですか・・・
 
天丸、微笑んだまま、気を失う。
 
御笛姫
天丸に何をされた!?
ひどすぎる・・・私をを好いてくれたと思うていたのに・・
氷室丸は悪魔じゃ、じゃが・・その悪魔を嫌いになることも、
もう・・私には出来ないのです・・
氷室丸
 何故じゃ?この期に及んで、わしに何の未練がある?
尼寺へ行け!男なぞ皆悪魔と知れ!
御笛姫
 いやです!お側におります!
氷室丸
 ・・ようし、その未練、断ち切ってやろう。
 
   氷室丸、奴布佐の口に赤い丸薬をひとつかみ投げ入れる。
   奴布佐、飲み込んでしまう。
 
氷室丸
 これはとめどなく欲情を引き出す薬、婆は人だけでなく、
牛でも馬でも狂ったように雌を求めると言うておった。
弟の飼い犬と番(つご)うて夫婦(みょうと)となるがいい。
犬畜生の妻ともなり、犬の子でも孕めば、
もはや大それた望みは持つまい。
行け奴布佐。そこにさかりのついた雌犬がおる!
 
   奴布佐、息が荒くなる。
   氷室丸の顔と御笛姫の顔を交互に見て、
   ゆっくりと御笛姫に歩み寄る。
   迫ってくる奴布佐にすっかり動転する御笛姫。
 
御笛姫
 お止めください!お止めください!
わたくしには・・・ああーっ!!・・・・・・(気が違う)
うふふふふふふ・・・氷室丸様・・・
すっかりたくましくなられました。それでこそ我が夫・・・
あなたの仔をたくさん生みましょう。
八匹も生めばよいかしら・・・あら、どうしよう・・・
お乳が足りませぬ。え、なあに?
お前はもう雌犬になったのだから乳などじきに生えてくる?
・・・よかった・・・氷室丸様、天丸も・・・
親子姉弟、仲良う・・・末永く暮らしましょうね・・・
氷室丸
 気が狂ったか・・・このまま生かすも不憫なこと。引導を渡してやろう・・
 
   奴布佐の背中に天丸を押し上げ、
   自らも這い上がった御笛姫に刀を抜いて迫る氷室丸。
   奴布佐、刀を噛み、首を振ると氷室丸飛ばされる。
   奴布佐、御笛姫を背に乗せ、悠然と姿を消す。
   呆然と尻餅をついていた氷室丸、
   捨て鉢に笑い立ち上がる。
 
氷室丸
 ちっ!畜生の浅ましさよ。せいせいしたわ。どうなとなれ!
 
   氷室丸、何喰わぬ顔で外へ出ると、
   氷室丸を捜して皿姫が現れる。
 
皿姫
 何やら、すっかり寝てしもうた・・二人はどこだ。
氷室丸
 お前は寝てしまうし、あまり連れ出しておってばれても
まずいゆえ牢に戻した。あれだけ遊んでやれば良かろう。
皿姫
 そうだな・・氷室丸、汗をかいておるぞ
氷室丸
 牢まで天丸と駆け比べをした。
皿姫
 今日はやさしいのだな兄者、雪が降るぞ
氷室丸
 ・・無礼講じゃ。さあ宴に急ごうぞ。
遅れると継父上(ちちうえ)の機嫌が悪かろう。
 
   暗転
 
【第十場:城中の広場=祝宴の席】
闇に明かりが灯り
   竹阿弥が現れる。
 
竹阿弥
 神をも恐れぬ氷室丸の乱行(らんぎょう)によって里見家よりのの人質、
御笛姫は気が違い、天丸は両眼を失うて生死も分からぬ有様。
この夜、これから先、氷室丸と皿姫を、どのような真実、
どのような運命が待ち構えているのでござろう。
月は中天にありといえども四方より、
妖しき黒雲が、選篠山の城を圧し包もうとする中、
緋色弾正と夜須姫の婚礼の宴が始まったのでござる。
 
   弾正と夜須姫が中央奥にその両側に氷室丸と皿姫が
   並んでいる。
   音楽と共に余興の舞が始まる。
 
『かごめ』
(三組の鶴と亀によるパフォーマンス)
籠女 籠女
籠の中の鳥は
何時何時 出遣る
夜明けの晩に
鶴と亀が つうべった
後ろの正面 誰
 
   三組の鶴と亀が舞う、
   美しくも、極めて官能的な「かごめ」の舞い。
   終わって・・鶴亀退場。
 
弾正
 次は・・・皿姫、お前が舞うてはくれぬか?
兄に話は聞いておったが一度も、
そなたの舞い姿を見たことがない・・
婚礼の夜の無礼講じゃ、
“薄絹の舞(うすきぬのまい)”を舞うて見せよ。
夜須姫
 なりませぬ。娘にそのような舞を舞わせようなど、
正気の沙汰とも思われませぬ!
今のお言葉、お取り消しください。
弾正
 たびたび舞わせようと云うのではない。
ほかならぬわしと、そなたの母との婚礼の夜・・
ただ一度、今宵だけは無礼講じゃ・・二度とは頼まぬ事・・
皿姫!城中の家来が居並ぶ中で、
わしに恥をかかせようというのか!
 
   皿姫、そっぽを向いている。
 
夜須姫
 皿姫、踊ってはなりませぬぞ!
弾正様は酒に酔うてご自分でも何を言われておるのか
分かっておられぬのじゃ・・
氷室丸
 私が母上と舞いましょう・・。
 
   氷室丸、母の前に進み出て狂歌(きょうか)を謡い舞う。
   母・夜須姫を連れて舞わせ、
   抱きしめ遊女(あそびめ)のように扱い、最後には突き飛ばす。
 
氷室丸
 我(われ)を捨(す)てん
 乱(らん)は理(り)も無(な)く 論(ろん)枯(か)れる
 夜毎(よごと)揶揄(やゆ)する 世(よ)もままよ
 魔(ま)に魅(み)いられし 眼(め)も胸(むね)も
 星(ほし)降(ふ)る部屋(へや)に 春(はる)ひさぐ
 馴(な)れにし主(ぬし)の 寝屋(ねや)の闇(やみ)
 誰(たれ)が罪(つみ)とて たちまちの
 すり替(か)えさせし 幸福(しあわせ)に
 気(き)も狂(くる)わじか 虚仮(こけ)と化(か)す
 愛(あい)に飢(う)えたる女(おんな)こそ
 母上(ははうえ)あなたで ・・ござります!
 
   夜須姫、転がって足がむき出しになる。
   その股間に扇を投げる氷室丸。
 
夜須姫
 氷室丸が・・狂うた・・・誰か!助けてたも!
 
   氷室丸、近寄り手を貸して立たせる。
 
氷室丸
 これは座興が過ぎました。
只今のは一休禅師の作られし狂歌。
かりそめの浮き世の恋をいましめたもの・・
他意はございませぬ。これは祝言の座興、無礼講とは
弾正様のお言葉でございましょう、許されませい。
 
   弾正、ひときわ大きく手を叩く。一同、ぱらぱらと続く。
 
弾正
 いや、迫真の演技!まことに狂うたかと思うたわ・・
誉めてとらす。氷室丸、天晴れなり!
 
   眼は笑っていない。
   氷室丸、一瞬視線を絡ませて頭を下げ、下がる。
 
弾正
 次の出し物じゃ!早くせい・・・
 
   やおら出てきたのは、何やら大きな布に包まれた物を
   運んできた田舎臭い二人組。動物の仮面。
   天丸をひどい目に遭わせた者達。
 
豚麻呂
 おらたちの一座はいつも面倉で練習しとったで
『面倉(めんぐら)劇団』と呼ばれて・・そうろう。
兎麻呂
 今宵は晴れの舞台で、張りきっとるで・・そうろう。
豚麻呂
 幕開けも、まもなくで・・そうろう。
兎麻呂
 2、3分で・・そうろう。
豚麻呂
 いや、もう待てないで・・そうろう。
兎麻呂
 んじゃ、いっちゃうか・・そうろう。
豚麻呂
 行かせてもらうで・・そうろう。
兎麻呂
 はい、いった!
 
   兎麻呂が布を剥ぐと、“壁と物見台”(ベランダ)を着込んだ
   百合重姫(ジュリエット)役の巨大な熊麻呂(脚立を竹馬のように
   使って歩く)と、花を手にした小柄な百姓の留男(とめお)役の
   猫麻呂が居る。
   甘い音楽が流れる。百合重姫、壁とベランダごと踊る。
 
豚麻呂
 ここはとある大家のお屋敷の庭。
百合重姫
 ああ、留男・・・おお、留男・・・
どうして、お前は留男なの?
その名前を捨てることは出来ないのかしら・・・
バラの花を別の名前で呼んでみても
甘い香りは失せないだろうに・・・
 
   留男、百合重姫を駆け上り、ベランダに至る。
 
留男
 おらだ、留男だ。来ただよ。
別に何でもええから、早よベッチョしょ、
な、早よベッチョしょ!皆が起きるから・・な!
 
   百合重姫、留男を叩き落とす。
 
留男
 &%$#!?*+・・・・・・
 
   留男、頭を打っておかしくなり、こてんとひっくり返る。
   慌てる豚麻呂、兎麻呂。
 
豚麻呂
 こら!熊麻呂!何て事すっだ!話しがブチ壊しでねえか!
百合重姫(熊麻呂)
 豚麻呂、台本よおく読んでけろ。おら、深窓(しんそう)の御姫様だ。
あげな、下手な夜這いみてえなのは相手にしねえだ。
 
   兎麻呂と豚麻呂、台本を出してきて検討を始める。 
   (小声風)
 
兎麻呂
 どこで、おかしくなっちまっただ?
豚麻呂
 確か・・・若殿の衣装が無えから、
百姓にしちまおうてことになったべ。
兎麻呂
 おうおう、身分違いの恋もええべさ、とか言って・・
豚麻呂
 おらのせりふどうする?って聞かれたから、
おめえは百姓だから、まんまでええべさ・・・ちゅうて
兎麻呂
 それだ!
豚麻呂
 で、若殿の衣装はどうして無くなっただ?
兎麻呂
 去年、役をやった川下の清六が、洗って乾かそうとして
燃しちまっただ・・・
豚麻呂
 そうだ、清六のせいだ。・・そら、言っとかねば。
(大声で)ああ・・・おらたちの一座が今さっき
しくじったように見えたかもしんねえけど、
あれはここにおるもののせいではねえ。川下の清六のせいだ。
だから、気にせんでくろ。(兎麻呂に)で、どうするっぺ?
兎麻呂
 おめ、去年やったべさ。出来っぺよ?
豚麻呂
 おらは後半だけでよ・・前半は隣村の末吉だっぺ。
兎麻呂
 あ、んだ。んだなっす。男っぷりがええちゅうて、
カカアがサインもらうちゅうて末吉の家まで付いていっただよ。
三日も帰ってこなんだから、まあ、サインちゅうのはえらい
時間のかかるもんじゃと思うとったらよ。
なあ、サイン飾ったおかげで9年もさずからなんだ子宝に
恵まれてなあ、十月十日で玉のような赤子が生まれただ。
ほんにサイン様々だでよ。
豚麻呂
 ・・幸せな男だでや・・
兎麻呂
 しまった、おら家(え)の話しでねえ・・芝居の続きだで!
豚麻呂
 しかたねえな。おら、覚えとるせりふだけ言うから、
そこまではおめが口で皆の衆に、講釈たれるだよ。
兎麻呂
 (大声で)えー、そこで、この恋するわかも
(台本が風に飛ばされる。)・・と強力わかもと・・・
留男と百合重姫・・・ええ、ごほん、手引きした坊さんが・・
確かいて・・・で、ええと(客を思いっきり指さして)
人殺しー!で・・運命の慰み者になって・・・・・・・・・・
(振り返って小声で)まだか?おら、いっぱいいっぱいだ。
豚麻呂
 おめの話は、どこまで行ったかわからね。もうええ。
最後だけやって幕引きだっぺ。
 
   豚麻呂、留男の胸元から小さな薬瓶を取り出すと、
   百合重姫に駆け上がる。
 
豚麻呂
 おらが留男だ。さあ、とっとと毒を飲むだ。
 
   もみ合う。
 
百合重姫(熊麻呂)
 やめねか!それは留男の飲む毒薬だ!
おらの飲むのは死んだようになる薬、
それは死ぬ薬だ。おめが飲め!
 
   熊麻呂、豚麻呂に飲ませようとする。
   豚麻呂、もみ合ううちに耳を押さえて悲鳴を上げる。
 
豚麻呂
 何するだ!耳に入っただ!
 
   豚麻呂、バランスを崩して百合重姫から転げ落ちる。
   失神して大の字になる。
 
百合重姫(熊麻呂)
 後を追う私に一滴も残してくださらなかったのね。・・
 
   ナイフに語りかける。
 
百合重姫(熊麻呂)
 この体をおまえの鞘に・・・
 
   自らの胸を刺して死ぬ。残された兎麻呂、困惑する。
   猫麻呂はすでに逃亡している。
 
兎麻呂
 あー・・・・・・・・・・・かくて、留男は・・・・
耳から毒を流し込まれて死んだ。おしまい、おしまい。
 
   かすかな拍手が雰囲気を察して止まる。
   弾正、憤然と席から立ち上がり、声をかける。
 
弾正
 面倉劇団とか申したな?
兎麻呂
 へへー直々のお言葉もったいねえ事で・・・そうろう。
弾正
 この物達の喉に、焼けた油を流し込み、
両手両足を鎚で砕いて、盥に乗せ海に流せ
・・二度と芝居など出来ぬようにしろ!
兎麻呂
 ・・なして、そげな事になるだ?!
おらたち、祝言の芝居をしに来ただけだで・・・
そら、できはちっと悪かっただども。
弾正
 祝言の演目とも思えぬ!耳から毒を入れて城主を殺すなど
不吉の極み・・・おおかた、どこぞの大名に頼まれて
祝言を呪いに来た輩に違いない。連れて行け。
 
   弾正、夜須姫を連れて憤然と席を立つ。
 
兎麻呂
 うんにゃ!殺されたのは城主でねえ!留男だ・・・・
だから許してくんろ!悪かっただ・・・駄目かや?困畜生!
おらあ、ほうびがもらえると思っただが・・・
みんな一人残らず罰をもろうただ!
見込み違えもええとこだっぺ。あー・・・・・!
 
   城兵、槍で4名を追い立てて行く。
 
氷室丸
 とんだ間違いが、思わぬ真実を連れてくる事がある・・
これもデウスのお導きか!確かな証拠が耳に飛び込んできた。
皿姫
 婆の予言の通りか?
氷室丸
 鍵は土牢だ!行くぞ!
 
   二人土牢に向かう。
 
【第十一場:土牢】
   照明が暗くなり、道化の竹阿弥が現れる。
 
竹阿弥
 こうして運命に導かれるまま、
二人は手を取って、暗い土牢の中へ入っていったので御座る。
 
   竹阿弥、仮面を被って座る。格子が降りてくる。
   氷室丸、牢の鍵を開ける。
 
皿姫 
 暗うて何も見えぬ・・これでは探しも出来ぬ。
氷室丸
 じき目が慣れる。僅かの辛抱じゃ。
皿姫 
 ・・・おお、あの者か?!
仮面男
 我が眠りを破るのは何者ぞ!
氷室丸
 まず、うぬが名乗られい。
仮面男
 名は・・・わからぬ。
皿姫 
 わからぬと?
仮面男
 何も判らぬ。名も素性も生い立ちも・・覚えが無い。
氷室丸
 では、何故此処にいる?誰にいれられた?
仮面男
 気が付いたらいた・・なぜかはわからぬ。
皿姫
 ・・お前は神の声を聞く者。
この世の外、神の国から降りて来たのではないか?
その背中に翼は無いのか?
仮面男
 いつからかこの胸の内に響く声がある。世を救えと教える声がある。
わしはただ、それを伝えておるに過ぎぬ・・・
皿姫 
 ・・素敵じゃ。お前のような男には出会うたことが無い。
お前の声はわしの心を酔わせる・・もっと近くで見たい・・
背中に触らせておくれ。その白い翼に・・・
 
   皿姫、男に触れようとする。
 
仮面男
 寄るな。黄金の眼の娘、ゴモラの娘よ。
その眼で清らかな者達の心をまどわすな!
汚れたる手で神の子羊に触れるな!
皿姫
 わしの眼が何色に見えるかは知らぬ。
この眼が人を惑わすこともわからぬ。
じゃが、この身は誰にも触れさせておらぬ。
清らかなままじゃ・・・
お前に触れさせてくれ・・
仮面男
 触れるなソドムの娘。汚れたるもの・・汝の血は汚れている。
何となれば汝が母の淫蕩なるがゆえに・・
氷室丸
 母の・・と、いうたな。
仮面男
 我が夫を殺せし男と寝所を共にして
悦びのうちに夫を忘れ去りし故に・・
氷室丸
 叔父上が、父上を殺したというのか!!
仮面男
 そうだ・・耳から毒を流し込まれたのだ・・
氷室丸
 何故判る?何故知っている!
その事は叔父と父以外に知る者はないはず!
仮面男
 ・・・・
皿姫
 神の声じゃ!お前に触れさせておくれ・・
氷室丸
 ・・・あなたは、父上ではないのか!
 
   皿姫、びくっと手を引っ込める。
 
皿姫 
 氷室丸!何を言う!その眼で亡骸を見たろうに!
氷室丸
 あれは影武者の亡骸やも知れぬ・・
母上が後をも追わずおめおめと生きておるのが解せぬ。
何か次第があるのではないかと思うておった。
皿姫
 ではこれが真(まこと)の父だというのか?
わしが初めて見初めた男を・・
氷室丸
 父は影武者を身代わりにして、自らは影武者を装い、
気が触れたを演じて、ここに入れられたのかも知れぬ。
母と謀(はか)って弾正を欺(あざむ)き、時を待っている・・・
そうではありませぬか?父上!我らに真実を教え、
御味方に加えてください!
仮面男
 ・・・わしには何も判らぬ。覚えがない。
だが・・・そなたたちの声には聞き覚えがある。
氷室丸
 われらを年若きゆえに危険から遠ざけようとされてか。
あるいは何かの拍子に、本当に記憶を失われたのか?
どちらにしても父上に違いはあるまい・・・
皿姫
 わしにはそうは思えぬ。これは父では無い。
父はこのような声ではない
 
   牢の入口より声がする。弾正の声。
 
弾正 
 誰じゃ!土牢の内に足を踏み入れた者は。
即刻出てこい。この土牢入ること許さぬ!
皿姫
 兄者!どうしよう?
氷室丸
 ・・・・このままでよいのか。それとも、良くないのか。
それを神に問われているのだ。・・・考えがある。
 
   氷室丸、皿姫ともども牢から出て戸を閉め、
   鍵を掛けようとする。
   竹阿弥が格子に取り付いて、
 
竹阿弥
 わしを殺しに来たのだ!
氷室丸
 なんと・・!そのような事が・・
皿姫
 今宵は婚礼の夜。祝言を血で汚すとも思われぬ。
竹阿弥
 あの壁を見よ!『我が喜びの極まれし夜に囚人を殺す』と
書いてある・・
氷室丸
 わたしの眼には、見えぬ・・
 
   氷室丸と皿姫、土壁に寄る。
 
皿姫
 ただ土の壁のもろくも崩れたる様(ざま)・・お前の眼の迷いじゃ。
竹阿弥
 ならば幻か・・・おお・・こうして鍵の掛けられた牢の中
なれば、逃げ出す事もかなわず、生(い)くるも死ぬも弾正の
心持ち次第・・・気の病にでもかかったのか・・・
ふふふふふ・・・
氷室丸
 父上・・おいたわしい。心を強くもたれよ。
今から外の義父(ちち)と談判をする。
皿姫
 どのように?
 
   氷室丸、皿姫に何事か耳打ち、
   皿姫、何事か決心をしたようにうなずく。
   竹阿弥に
 
皿姫
 何も心配する事はない。待っておれ。
竹阿弥
 ならば心配はせぬ。待っておろう。・・ささ早く・・
 
   皿姫・氷室丸去る。竹阿弥、格子を放すと戸が開く。
   竹阿弥が牢から出ると、格子は消える。
   竹阿弥、仮面を取って、
 
竹阿弥
 こうして皆は牢を出たのでござる。
 
   竹阿弥、消える。
 
【第十二場:土牢の外】
   土牢をでた氷室丸と皿姫の所へ、
   弾正と夜須姫が一同を引き連れて現れる。
 
弾正
 皿姫ではないか・・・。氷室丸!
皿姫をこのような危うい場所へ連れ出したのはお前の仕業か!
夜須姫
 氷室丸は素直な良い子じゃ。その様なことなど・・
おおかた、皿姫が無理を云うたに相違有るまい。
のう、氷室丸、そうであろう?
弾正
 いやいや、可愛い皿姫が言いつけに背くものか。
これは、氷室丸が仕業よ。皿姫、正直に言うてみよ。
夜須姫
 皿姫じゃ。お前様の前では色目を使うても、陰へ回れば・・
弾正
 馬鹿な事を・・・この顔を見い。
バテレンの拝む聖母=ビルゼン・マリアの様ではないか。
 
弾正、皿姫の顔を愛でる。
   平伏していた氷室丸、顔を上げて・・
 
氷室丸
 叔父・・いや、父上・・これには子細が御座います。
弾正
 子細とな。申して見よ。
氷室丸
 今宵は目出度き婚礼の夜。
よって囚われ人の特赦をお願い出来ませぬか。
夜須姫
 その牢の者をか?成らぬならぬ!
その者はワラワの悪口ばかり云いたてるのじゃ!
弾正
 その通り。わざわざ土牢に閉じこめたほどの男よ。
むざむざ、出すわけには行かぬ。
氷室丸
 では、私ではなく、皿姫の願いならば・・
弾正
 何、皿姫の・・
皿姫
 はい。この皿姫の願いを聞いて貰えましたなら、
この席で、かねてお父様ご所望の、紗(うすぎぬ)の舞いを
皆と共に舞いましょう。
夜須姫
 皿姫!なりませぬ!そのような淫らな舞い・・・
弾正
 ・・・よし!許す。まず舞うてみよ。
夜須姫
 弾正様!
弾正
 許す!舞え!
 
   皿姫、紗の舞いをバックダンサーズを引き連れて舞う。
   氷室丸、舞いに見とれている弾正に背後から近づく。
   
氷室丸
 弾正!地獄へ堕ちよ!
   
   脇差しを抜いて襲うが、
   弾正に取り押さえられる。
 
弾正
 たわけ者!気が違うたか!
氷室丸
 父を殺し、母を盗んだは悪魔の所業!許さぬ!放せ!
弾正
 何だと・・・?お前の父は
 
   弾正の背後に現れた仮面男、弾正に斬りつける。
   弾正かわしざまに仮面男の首をはねる。
 
氷室丸
 父上ーっ!
 
   氷室丸の刃が背後から弾正の胸板を貫く。
   何度も貫く。
   弾正、首を絞める。氷室丸の動きが止まる。
   夜須姫、悲鳴を上げて、弾正の背後から弾正の両腕を
   外させようとする。
   失神しかけていた氷室丸、最後の力を振り絞って
   脇差しを弾正に突き立てる。
   その刃は夜須姫をも貫いてしまう。知らずに刃をこじり
   空気を入れる氷室丸。
   夜須姫の声にならない叫び。
   弾正の手がゆるみ、その身体がゆっくりと倒れる。
   両手を付き、咳き込む氷室丸・・・その視界に母の着物が!
   慌てて這い寄り、抱き起こす氷室丸。
 
夜須姫
 ・・氷室丸・・お前が悪いのではない・・すべて、私が悪いのです・・母を許しておくれ・・お前は何も・・・・
   
夜須姫、事切れる。
 
氷室丸
 母上!ははうえぇー!!
 
氷室丸、狂ったように母の口を吸い、頭を撫で回し、
母の胸をはだけて心の臓に息を吹き込もうとする。
が、耳をつけても鼓動は聞こえて来ない・・・
 
氷室丸
 はぁ・・・・母上・・・・・・
   
すがりついて泣く氷室丸。
ようよう、よろよろと立ち上がった視線の先に
   竹阿弥の首を捧げ持つ皿姫。
   道化の丸襟が銀の大皿のように見える。
 
氷室丸
 皿姫・・・父上の・・・面をとれ!
 
   皿姫、仮面を取ると竹阿弥の顔が現れる。
 
皿姫
 おう・・
氷室丸
 これは・・・なんとしたことぞ!
 
   竹阿弥の首が目を開ける。
   皿姫、悲鳴を上げて手を離すが、
   首は浮かんだままで、にやりと笑う・・
 
竹阿弥
 牢の鍵、かたじけない。わしの名は竹阿弥(ちくあみ)。
緋色弾正(ひいろだんじょう)に滅ぼされし土蜘蛛(つちぐも)の裔(すえ)よ。
弾正が禎遠(さだとお)を毒殺するように仕向けたのも、わしの手柄。
逃げ損ねて狂人のふりをしておったのが怪我の功名、
最後にしくじり黄泉(よみ)の旅路も、弾正を道連れにする事が出来た。
・・・これが、わしの最後の幻術(まやかし)じゃ。
知らせによって
まもなく、里見七郎(さとみしちろう)の大軍がこの城にやってこよう。
悪く思うな!
 
   竹阿弥の首が眼を閉じると同時に、
   花火が中天高く打ち揚がる。
   台上に落ちた首を抱き締める皿姫。
   首を見つめていたが、ゆるゆると顔を近づけて、
   口づけをしようとする。
 
氷室丸
 皿姫!気でも違うたか!それは、仇の首ぞ!!
皿姫
 そうとも・・・美しい首じゃ。
これこそ、わしの欲しかったもの・・
それが、わしの腕の中にあるのじゃ。
兄者もわしもどうせ長い命ではない。
好きな男の口を吸うて何が悪かろう・・・なあ首よ。
お前はわたしのことを好いてはくれなんだ・・
じっと見つめてさえくれなんだ。
今は、わたしが好きなだけ、お前を見つめているよ・・
お前の綺麗な顔を見つめているよ。
死はすでに、その瞼を縫うてしもうたのか・・
赤い蝮のように動いて切ない言葉を吐いたその舌はうなだれて
青ざめた唇にはもう、わたしの口を吸う力は残っておらぬのか?・・
お前は信じなんだが、わたしの肉体は清らかに閉じられたままだ。
誰一人・・・この唇に触れた者すらおらぬ。
あの好色な叔父上や兄上さえ・・さあ、触れておくれ・・
お前にくちづけするよ・・(接吻する)
・・お前の口は苦い味がした。恋は苦い味がするという・・・
これは、恋の味なのか・・・・・それとも死の味なのか・・
どちらでも構いはせぬ。わたしはお前にくちづけをしたのだから。
お前はもうわたしのものなのだから・・・
皿姫、首を愛撫し、おのが胸に押し当てる。
悪魔が憑いた如くに狂乱の様子を見せる。
 
氷室丸
 皿姫・・やめろ・・やめろーっ!!!
 
   氷室丸、刀で斬りつけようとする。
が、斬られたのは間に飛び込んだ白地小源太!
 
小源太
 皿姫様・・・これを・・・
 
と、匂い袋を差し出す小源太、
袈裟懸けに斬られ、血に染まっている。
受け取られる事もなく地に倒れて息絶える。
呆然とそれを見ている氷室丸・・・
   突如、闇に唸り声が聞こえ、現れた奴布佐が
   後ろから氷室丸の首を食いちぎる。
   里見七郎、御笛姫、天丸を伴って現れる。
   死者・亡霊達も甦り見つめる中、
   首の無い氷室丸、ゆっくりと事切れる。
   供の者が広げる旗の前に立つ七郎。
 
里見七郎
 緋色弾正は滅び、緋色禎遠立ちし時より、この武蔵の野に
長い苦難の時を与えた邪悪な戦乱も終わろうとしている。
これより弾正の領地は、我が子天丸が治めん。
怨念渦巻く選篠山の城を廃して、朝日のあたる丘の上に
新たなる城を築こう。
わが里見家の太陽の下、この大地に平和が甦る時が来たのだ。
最後の一揉みじゃ!者共続けぇー!
 
一同、客席へと去る。ただ一人御笛姫が、
城の方向を振り返る。
 
御笛姫
 氷室丸・・・
 
   竹阿弥の首を抱き締めた皿姫、
あやしげな吐息をもらしている。
御笛姫を迎えに来た里見七郎、皿姫を見咎める。
 
里見七郎
  あの女を殺せ!
   
槍が皿姫を十文字に貫く。皿姫貫かれたまま息絶える。
   遠く人馬の雄叫び、軍勢の響きが大きくなる。
   暗転。竹阿弥の首にスポットがあたる。
 
竹阿弥
 こうして選篠山の城は滅んだ。もう誰もおらぬ。
 残るは静寂(しじま)のささやく音だけ・・・
 
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