サロメ 0.99β(ヘロディアスのセリフを一部訂正…2016.3.17)
作:オスカーワイルド(仏語原本) 英訳:アルフレッド・ダグラス 日本語訳:白神貴士
【登場人物】
ヘロデ・アンティパス ユダヤの王
ヨカナーン 預言者
若いシリア人 警備隊長
チグリヌス 若いローマ人
カッパドキア人
ヌビア人
第1の兵士
第2の兵士
ヘロディアスの召使い
ユダヤ人、ナザレ人、その他
奴隷
ナーマン 死刑執行人
ヘロディアス ヘロデの妻
サロメ ヘロディアスの娘
サロメの奴隷たち
【場面】
ヘロデ王の宮殿。宴の間の上に設定された素晴らしいテラス、
何人かの兵士がバルコニーに腰掛けている。右側には巨大な階段がある。
緑青色の銅の壁に囲まれた古い水槽が左側の舞台奥に。月が冴え渡っている。
若いシリア人
今夜のサロメ様の美しさといったら…
ヘロディアスの召使い
月を見て…なんて不思議な姿…墓から蘇った女の様。
まるで死んだ女…きっと「死」を探しにきたんだ…
若いシリア人
不思議な姿だ…白銀の足を持ち黄色いヴェールを纏った小さな王女様の様だ…
小さな白い鳩の足を持った王女様…きっと踊ってらしたに違いない…
ヘロディアスの召使い
まるで死んでしまった女…恐いくらいゆっくりと動く…
(宴の間で騒ぎ声が聞こえる。)
第1の兵士
なんて喚き声だ!野獣のように吠えてるのは何者だ?
第2の兵士
ユダヤの奴らさ。いつもそうだ。お決まりの宗教論争さ。
第1の兵士
なんであいつらはそんな事で騒ぐんだ。
第2の兵士
知るもんか。いつもの事だ…パリサイ人が天使は居るというと、サドカイ派は居ないという…
第1の兵士
くだらん論争だ。
若いシリア人
今夜のサロメ様はなんて綺麗なんだ…
ヘロディアスの召使い
あんたはいつも…王女様ばっかり見つめてる。
そんな風に人を見つめるのは恐い…何か怖ろしいことが起きるかも…
若いシリア人
今夜は…凄く綺麗に見える。
第1の兵士
王は不機嫌そうだな
第2の兵士
ああ、不機嫌そうだ。
第1の兵士
何かを見てる…
第2の兵士
ああ、誰かを見てる…
第1の兵士
誰を?
第2の兵士
知るもんか。
若いシリア人
王女様は何て蒼い顔をしておいでなのだろう…あんな王女様は見たことがない。
…銀の鏡に映った白い薔薇のようだ…
ヘロディアスの召使い
もう見ちゃ駄目…
第1の兵士
ヘロディアスが王の杯に酒を注いだぞ…
カッパドキア人
あれが?あの真珠で縫い止めた黒いドレスの、髪に青いラメを振りかけた女が…
女王ヘロディアスかい?
第1の兵士
その通り。あれがヘロディアス、王の妃だ。
第2の兵士
王はワインが大好きでお気に入りが3種類ある。
一つはサモトラケ島から持ってきた奴でシーザーのマントくらい紫色だ。
カッパドキア人
シーザーを見たことがないからなぁ…
第2の兵士
別のはキプロスの街から来た酒で黄金のように黄色い。
カッパドキア人
黄金は大好きだ♪
第2の兵士
三つ目はシシリー産で、こいつは血のように赤い。
ヌビア人
俺の国の神様達は血が大好きで、年に二度は美少年と生娘を生贄にする。
それも少年50人と処女100人…だが、なかなか十分な数が揃わないから祟りが恐いんだ。
カッパドキア人
私の国にはもう神様は残ってない。みんなローマ人が放り出してしまった。
未だ山の方に隠れてるという者も居るけど、私は信じない。
三日三晩、山を探して見たけど、どこにも見つからない。
最後には大声で名前を呼んだけど出てこなかった。
…きっともう、死んじまったんだな。
第1の兵士
ユダヤ人が崇めてるのは「目に見えない」神様だ。
カッパドキア人
そりゃあ、ちょっと私には理解出来ないな。
第1の兵士
実際、奴らはその目に見えないもんだけを信じてるんだ。
カッパドキア人
全く馬鹿げてる。
ヨカナーンの声
私の後に、もっと強大な方が来られるだろう。
私なぞはその方と比べれば靴ひもの留め具ほどの価値も無いのだ。
その方が来られたら寂れた土地も歓喜し、薔薇のように咲き誇るだろう…
見えぬ目もその日を見、聴こえぬ耳も開かれる。
乳呑み児が龍の巣を暴き、髭を持ってライオンを操るだろう…、
第2の兵士
奴を黙らせろ。馬鹿げた事ばかり喚き続けている。
第1の兵士
いや、違う、彼は聖者だ。とても礼儀正しい。毎日食事の時はきちんと礼を言うんだ。
カッパドキア人
何者なんです?
第1の兵士
預言者さ。
カッパドキア人
名前は?
第1の兵士
ヨカナーン。
カッパドキア人
どこからやって来たんだい?
第1の兵士
砂漠でバッタや蜂蜜を食べてたんだ。ラクダの毛で出来た着物を革のベルトで締めていた。
そりゃあ非道いナリだったがスゲエ数の群衆があの人に従ってた。弟子も持ってたさ。
カッパドキア人
あれは…何を言ってるんだ?
第1の兵士
俺達にはわからんよ。時々凄く怖ろしい事を言うが…理解不能だ。
カッパドキア人
誰か彼を観た者はいないのかい?
第1の兵士
誰も…王が禁じてるからな。
若いシリア人
王女様は扇の後に顔を隠して…小さな白い手が鳩のように羽ばたいてる…
白い蝶のようだ…まるで白い蝶々みたいだ。
ヘロディアスの召使い
それがどうしたっていうの? あの方を見てちゃいけない…
何か非道いことがきっと起きる…
カッパドキア人
(貯水槽を見て)こりゃあ…不思議な牢屋だな…
第2の兵士
元は貯水槽さ。
カッパドキア人
古い貯水槽か…!健康に悪そうだな…!
第2の兵士
いいやちっとも…現にヘロディアスの前の旦那、王の兄の前国王は、
そこに12年棲んでいてすこぶる元気だったよ。
最後は首を絞めなきゃならないくらいにね。
カッパドキア人
前国王を絞め殺す?そんな怖ろしいことを誰が?!
第2の兵士
(でかい黒人の死刑執行人を指して)あの男…ナーマンだ。
カッパドキア人
あいつは、恐くなかったのかな?
第2の兵士
全然…王が指輪を渡したからな。
カッパドキア人
指輪?
第2の兵士
「死の指輪」だ。だから奴は怖がらなかった。
カッパドキア人
いや、でも王様を絞め殺すって…
第1の兵士
何故?王様の首だって庶民と変わらない。
カッパドキア人
…非道い話だ…。
若いシリア人
王女がお立ちになった…テーブルを離れて…表情が曇っている…こっちへ来る!…
なんて白い顔だ…あんなに蒼ざめたのを見たことがない…
ヘロディアスの召使い
見てはダメ!お願いだから!
若いシリア人
迷子になった鳩のようだ…風に揺れる水仙…銀色の花のようだ…
(サロメが入ってくる。)
サロメ
嫌だ…こんなところに居られない。
なんで王はモグラみたいな眼であんなネットリした視線を送ってくるの?
私の母様の夫なのに…一体どういう意味?…まあ…判ってるけど。
若いシリア人
王女様、晩餐はもうよろしいのですか?
サロメ
ここの空気の気持ちいいこと!やっと息が出来る。
馬鹿な儀式のどーでもいい事で罵り合ってるエルサレムのユダヤ人たち…
床にワインを撒き散らす野蛮人…いかれたファッションのけばいギリシャ人…
だんまりを決め込んだエジプト人の変なマントと長い爪…
残忍で粗野なローマ人たちの下品な下ネタ…ローマ人大っ嫌い!
…あんな奴らが神聖な空気をあいつらだけで吸い尽くしてるんだから…
若いシリア人
どうか席におつき下さい王女様。
ヘロディアスの召使い
何で王女様に話しかけてるのだろう?!よくない事が起きる…何で見つめてるのだろう?
サロメ
月を眺めるのは素敵!小さなコインみたい…ちっぽけな銀の花…
月は冷たくて清らかなヴァージン。処女の美しさを持ってる。そう…月は乙女。
身体を汚したこと…他の女神みたいに男に投げ与えたことなんてないのでしょうね。
ヨカナーンの声
見よ!主がおいでになる…人の子を手に…
ケンタウロスが川に潜り、ニンフらは川を出て森の枯葉の下に身を潜めている。
サロメ
あれは誰が叫んでるの?
第2の兵士
預言者です、王女様。
サロメ
預言者?王が恐れてる人?
第2の兵士
王女様、それは存じませんが、あれは預言者ヨカナーンの叫び声です。
若いシリア人
王女様、お望みなら輿を持ってこさせましょうか?夜の庭は素敵ですよ。
サロメ
あれは母様の悪口を言ってるんじゃないの?
第2の兵士
何を言ってるのやら我々には判らないのです、王女様。
サロメ
やっぱり…あれは母様の悪口よ。
(奴隷が入って来る。)
奴隷
王女様、王様が宴の席に戻るようにと仰せられました。
サロメ
戻らない
若いシリア人
恐れ入りますが、王女様…その御返事は良くない結果を招くのではないかと存じます。
サロメ
預言者は年寄りなの?
若いシリア人
王女様、戻られた方が…お連れしましょう。
サロメ
預言者は…年寄りなの?
第1の兵士
いえ、王女様、若者です。
第2の兵士
確かなことはわかりませんが、彼こそがエリアだと言う者も居ります。
サロメ
エリアって?
第2の兵士
昔、この国に居た預言者でございます、王女様。
奴隷
あの…王様への御返事はいかが致しましょう…?
ヨカナーンの声
パレスチナよ…お前を打つムチが折れたからと歓ぶなかれ。
蛇の種から鳥たちを呑み尽くすバジリスクが生まれるだろう。
サロメ
何て不思議な声!あれと話してみたい。
第2の兵士
王女様…恐らく無理ではないかと…。王はあの男と話すことをお許しになられません。
大司祭にさえ禁じておられます。
サロメ
あれと話したい。
第1の兵士
不可能です、王女様。
サロメ
あれと話します。
若いシリア人
宴に戻られた方が宜しいのではないですか。
サロメ
預言者を連れて来て。
(奴隷が出て行く)
第1の兵士
それは出来ません王女様。
サロメ
(貯水槽に向かい、覗き込んで)底の方は真っ暗…
こんな暗い穴の中にいるのはきっと怖ろしい…墓場の様…
(兵士たちに)聞いてなかったの?預言者を連れて来て。見たいの。
第2の兵士
王女様、お願いです。そのような事を我々にお申し付けにならないで下さい。
サロメ
お前達は私を焦らして楽しんでるのね。
第1の兵士
王女様、我々の命は貴女の物…けれど我々がそのお頼みに応えることは出来ません。
この事は他の誰かに…
サロメ
(若いシリア人を見て)あぁ…
ヘロディアスの召使い
ああ!何が起きようとしてるの?きっと惨い事が起きる…
サロメ
(若いシリア人に近づいて)お前ならやってくれるね?ナラボス…
お前なら私のためにやってくれる…私はお前に優しかったものね。
お前はやってくれる。けどあれを見るがいい…不思議な預言者、噂ばかりが膨らむ…
王も良く話してたけど、怖がってるみたい…お前もそうなの、ナラボス?
若いシリア人
私は恐れません、王女様。例え誰だって恐れません…
しかし王はこの貯水槽の蓋を開けることを正式に禁じて居られます。
サロメ
お前はやってくれるナラボス…そうしたら明日、輿に乗って居るときに
門の傍のイコン売りの処でお前のために小さな花を落としてあげよう…小さな緑の花を。
若いシリア人
王女様、私には出来ません…出来ないのです。
サロメ
(微笑んで)ナラボス…お前は私の為ならやってくれる…やってくれるもの。
イコン売りの橋のたもとでモスリンのベール越しにお前を観てあげる。
見つめてあげる…微笑んであげるかも…私を見て御覧、ナラボス…
判ってるはず、お前は私の望みをかなえてくれる。
お前は判ってるもの…私も判ってるの、お前は必ずやってくれる。
若いシリア人
(三人目の兵士に合図して)預言者をここへ…サロメ様の思し召しだ。
サロメ
あぁ!
ヘロディアスの召使い
おぉ…何て奇怪な月の姿…自らを葬るための経帷子を探し歩く死んだ女の手の様…
若いシリア人
月の不思議な横顔…小さな王女様みたいだ…
アンバーの瞳で、モスリンの雲越しに微笑んでいる小さな王女様みたいだ。
(預言者が、貯水槽から出てくる。サロメは彼を見て、ゆっくりと後ずさる。)
ヨカナーン
どこにいる?憎悪の杯を満たした男…
銀のローブをまとい、群衆の眼前で死ぬ運命の男は?
来るが良い、聞かせてやろう…砂漠に、宮殿に響くお前の悲鳴を!
サロメ
あれが話しているのは誰のこと…?
若いシリア人
誰も答えられません、王女様。
ヨカナーン
壁に描かれた男の姿を見つめていた女はどこに居るのだ?
色とりどりに描かれたカルディア人に欲情し、
カルディアの地に使いを送った女は?
サロメ
母のことだ…
若いシリア人
いえ違います、王女様。
サロメ
あれは母のことを…。
ヨカナーン
何処にいる?
頭に冠を腰にデカマラをそびえさせたアッシリアの隊長に身体を開いた女…
金の盾、銀の兜、リンネルに宝石を散りばめ、
強靱な肉体を持ったエジプトの若者に身を任せた女は。
行ってその憎むべき近親相姦のしとねから女を叩き起こせ。
主に道を用意する者の言葉を聴き、悔い改めるが良い。
悔い改めぬと言うなら憎悪のままに打ち据えられるだろう。
起こせ!主の手には既に扇が握られているぞ…
サロメ
あぁ!けれど、怖ろしい…あれは怖ろしい…
若いシリア人
ここに居てはなりません…行きましょう。
サロメ
あれは何て怖ろしい眼をしているのだろう…タペストリーの焼け焦げた穴、
いやドラゴンが棲みついたエジプトの洞窟のよう…
月影があてどなく彷徨う黒い湖水のよう…
もう一度話すかしら?
若いシリア人
お願いです…ここに居てはなりません、王女様。
サロメ
哀れな…痩せた象牙細工の人形みたい…銀細工の像みたい…
きっとお月様みたいに汚れがない…銀(しろがね)の月の光…
あれの肌はきっと凄く冷たい…象牙のように…
…もっと近くで見たい!
若いシリア人
いけません、王女様!
サロメ
近くで見なければ…
若いシリア人
王女様!王女様!
ヨカナーン
誰だ?私を見つめるのは…
見られてはならぬ、黄金(こがね)の瞼の下の黄金(おうごん)の瞳…
誰かは知らぬ、知りたいとも思わぬ。ここを去るまで黙っていよう。
サロメ
私はサロメ、ヘロディアスの娘、ユダヤの王女…
ヨカナーン
下がれ!バビロンの娘よ!神の選んだ者に近寄るな…
汝の母は不義の酒で大地を満たし、その罪深いよがり声は神の耳に届いている。
サロメ
ヨカナーン、もう一度…お声は美しい音楽のよう。
若いシリア人
王女様!王女様!王女様!
サロメ
話して!話してヨカナーン、私がどうすればよいのか。
ヨカナーン
ソドムの娘よ、近寄るな!
その顔をベールで覆い、その小さな頭に灰を撒いて、砂漠へ行け!人の子を探せ!
サロメ
人の子?それは誰?お前のように美しいの…ヨカナーン?
ヨカナーン
我が前から去れ!我が耳にはこの宮殿に死の天使の羽根音が聞こえるのだ…
若いシリア人
王女様、どうか、もう中へ!
ヨカナーン
神は何故ここへ剣(つるぎ)を持った天使を遣わされたのだ?
この宮殿で誰を捜しているのだ?奴が銀のローブを着て死ぬ日は未だ来ぬはず…
サロメ
ヨカナーン!
ヨカナーン
誰だ?
サロメ
ヨカナーン!私はお前の身体に焦がれている…お前の肌の白いこと…
人の手を知らぬ原野に咲く百合の花のよう…お前の肌は白い…
ユダヤの山々に降り積もる雪のよう…アラビアの女王の庭を飾るバラも、
木の葉に光る夜明けの最初の一歩も、海に映える月の乳房も…
この世にそれ以上白い物はない…その肌に触れさせておくれ…
ヨカナーン
下がれ!バビロンの娘!この世の罪悪は女がもたらすもの…我に語るな。
この耳に聞こえるのはただ、神の言葉のみ…
サロメ
お前の体は気持ちが悪い…恐ろしい病のようだ。
毒蛇がうねる漆喰の壁、サソリが巣を作っている漆喰壁のよう…
忌まわしい偽物…気持ちが悪い。
私が夢中なのは、ヨカナーン、お前の髪…
エドム地のブドウの樹から下がる黒ブドウの房のように黒い髪…。
山賊や獅子が姿を隠すレバノン杉の日陰のよう…。
長く暗い夜の闇、月が隠れ、星が逃げまどう夜さえ、お前の髪ほど黒くは無い…
この世にお前の髪ほど黒い物はない…
触らせておくれ…私に触れさせておくれ。
ヨカナーン
ソドムの娘下がれ!我が身に触れるな!神の寺院を汚すな!
サロメ
お前の髪は恐ろしい。ほこりを被った泥沼…頭上に置かれたイバラの冠…
首に巻き付いたウミヘビの結び目のよう…わたしの愛しているのはそんな髪ではない…
欲しいのはお前の唇…ヨカナーン…
象牙の塔に巻いた緋色の帯のよう…ナイフで斬った完熟ザクロ…
タイヤの庭園に咲く薔薇より赤いザクロの花だって、そんなに赤くは無い。
王の出陣を告げ、敵を震え上がらせるラッパの雄叫びだって、そんなに赤くない。
お前の唇は、葡萄を踏みワインを作る者たちの足より赤い。
寺院に棲み、司祭にエサをもらう鳩の足より赤い。
ライオンを殺めて森から出てきた狩人の足より赤い。
お前の唇は黄昏に染まる海から王のために漁師がもいで来たサンゴの枝のように赤い!
モアブの鉱山のヴァーミリオン、ペルシャ王の弓に塗られる赤紫…
お前の唇ほど赤い物はこの世にはない…
お前の唇にキスをするよ。
ヨカナーン
ならぬ!バビロンの娘!ソロモンの娘よ!断じて!
サロメ
私はキスするよ、ヨカナーン…お前の口に。
若いシリア人
王女様!ミルラの庭のように端正で、鳩の中の鳩であらせられる王女様!
もう、この男と話すのはおやめ下さい!そんな言葉をかけないで下さい!
耐えられません!…王女様…そんなことを…
サロメ
ヨカナーン、お前とキスしたい…
若いシリア人
ああぁ!(自ら命を絶ってサロメとヨカナーンの間に倒れる)
ヘロディアスの召使い
…このシリアの若者は命を絶ちました…未だ年若い隊長は…
私の友達は自殺してしまいました…
私が香水の箱と銀のイヤリングをあげた青年は死んでしまいました…
ああ…何か不吉なことが起きると彼は言ってなかっただろうか?
私も言ったはず…その通りになってしまった。
月が死すべき者を探していたのに、それが彼だとは思わなかった…
なんで月から隠してあげなかったんだろう…
洞穴にでも入れておけば月に見つかる事は無かったのに…
第1の兵士
王女様…隊長が自殺いたしました。
サロメ
お前の口にキスさせて、ヨカナーン
ヨカナーン
ヘロディアスの娘よ、怖ろしくはないのか?
死の天使の羽ばたく音が聞こえると私は言わなかったか?
実際に死の天使がやって来はしなかったか?
サロメ
キスを、させて…
ヨカナーン
姦淫の娘よ、ただ1人、お前を救う事が出来る方がいらっしゃる。
私が語ってきたお方だ。行ってその方を探せ。
ガリラヤの湖に浮かぶボートの上で弟子に説教をなさっている。
岸辺に膝を折って、お名前を呼べば誰の処へでも来て下さる。
足下にひれ伏して罪の赦しを乞うがよい。
サロメ
唇を…キスをさせて…
ヨカナーン
呪われている!近親相姦の母を持つ娘よ、お前は呪われているぞ!
サロメ
お前の口にキスをするよ、ヨカナーン
ヨカナーン
もう観まい…お前は呪われている、サロメ、呪われたのだ…
(ヨカナーン、水槽を降りる)
サロメ
お前の口にキスをするよ、ヨカナーン、お前の口に…
第1の兵士
この死体をどこかへ始末せねば。王を煩わさぬように…この自殺死体を隠そう。
ヘロディアスの召使い
彼とは兄妹のようだったけれど、私にとっては兄妹よりも親しい人だった…
小さな箱いっぱいの香水をあげた…瑪瑙の腕輪も…いつも彼の手首に嵌っていた。
夕方にはよく川の畔を散歩して…アーモンドの木の下で、彼の国のことを教えてくれた。
彼の声はいつも低くて、フルートの音色の様…川に自分を映して眺めるのが大好きで…
私は嫌だって言ったけど…
第2の兵士
そうだな。死体を隠さなければ…王には見せられない。
第1の兵士
まあ、こっちへは来ないと思うが…預言者を怖がってテラスには出て来た事がない。
(ヘロデ、ヘロディアスたちが入って来る。)
ヘロデ
サロメは?王女はどこだ?何故、私が命じたのに戻らぬ…おお!そこにおったか。
ヘロディアス
あの娘を観てはなりません!いつも観てばかり!
ヘロデ
今宵の月は不思議な姿をしておる…そう見えぬか?
まるで狂った女の様だ…恋しい男を探してうろつきまわる真っ裸の女の様だ…
雲たちが衣を掛けようとするが女はそうさせぬ…裸身を中空に曝して…
酔った女のようによろめきながら雲間をすり抜けてゆく…
あれは恋人を捜しているのだ…そう思わぬか?
ヘロディアス
いいえ。あの月はまるで…月の様です。それだけのこと。
さあ中へ。ここには用はありません。
ヘロデ
わしはここへ居る。マナッセ、絨毯を敷け。
松明を点けて象牙とジャスパーのテーブルを持て。
ここは空気が良い。客人とワインを飲もう。
シーザーの代理人を持てなすのだ。
ヘロディアス
それが理由じゃないくせに…
ヘロデ
いいや、ここは気持ちの良い風が吹いているぞ…来なさい、ヘロディアス、
客人たちがお待ち…おっと!滑った…血だ!なっ何だ、気味が悪い!
何でこんなところに血が流されたのだ!…し、死体もあるではないか!
ここにどうして死体があるのだ?
お前達は、わしがエジプト王の様に
客に飯も喰わさずに死体のミイラを自慢する男だとでも思っているのか!
第1の兵士
陛下、それは我々の隊長です。
あなたが3日前に親衛隊の隊長に任命された若いシリア人です。
ヘロデ
殺せと命じた覚えはないぞ。
第2の兵士
自ら命を絶ったのです、陛下。
ヘロデ
何故だ?親衛隊の隊長にまでしてやったのに!
第2の兵士
陛下、理由は判りませんが、自らの手で命を絶ちました。
ヘロデ
合点がいかぬ…だが、ローマの哲学者は自殺するとも聴いた…
チグリヌス、本当か?ローマの哲学者は自殺するのか?
チグリヌス
まあ、中には居ります、陛下。
ストア派という野蛮な全く馬鹿げた奴らですが。
ヘロデ
わしも馬鹿げた事だとは思う。
チグリヌス
ローマ中の笑い者です。
皇帝も奴らを風刺する狂歌を書かれ、市内に貼り出されました。
ヘロデ
ほぉ!奴らを風刺する狂歌を?皇帝は素敵だ、何でも出来るんだな…
しかし、このシリア人が自殺したとは…とても美しい男だったのに残念だ。
物憂い眼をしていた…そうだ、奴はサロメを物憂い眼で観て居った…
きっと、奴はサロメを見つめすぎたのだ。
ヘロディアス
そんな人、他にも知ってる。
ヘロデ
これの父は王だった。わしはそいつをそいつの王国から叩きだした。
これの母は女王だったが…ヘロディアス、お前が奴隷にした。
だからこそ、これを隊長にしてやったのだが…死んでしまうとは残念だ…
おぉ、何故お前達は死体を放り出しているのだ?
どこかへ持って行け!わしは観たくない…運び出すのだ。
(死体は運び出される)ここは冷える。風が吹いて居るぞ。風が吹いておろう?
ヘロディアス
いいえ、風など吹いてはおりません。
ヘロデ
わしは風が吹いていると言っているのだ…風に乗って羽ばたきの音が聞こえる…
巨大な羽根の音だ…聞こえぬか?
ヘロディアス
何にも(笑)
ヘロデ
聞こえなくなった…だが、確かに聞こえた、風に吹かれて行ってしまったか…
いや、また聞こえた!聞こえぬのか?ほら、あの羽ばたくような音だ!
ヘロディアス
何も聞こえませぬ。あなたがオカシイのです。さあ中へ戻りましょう。
ヘロデ
わしはまともだ。お前の娘こそ死の病に罹っている。あんなに蒼ざめたのは初めてだ。
ヘロディアス
あれを観るなと申しております。
ヘロデ
ワインを注げ。(ワインが運ばれる) サロメ、ここへ来てわしと飲め。
これはシーザー自ら送ってくれた逸品だ。
その小さな赤い唇をひたしておくれ…私が残りを飲み干そう。
サロメ
喉は乾いておりません、陛下。
ヘロデ
何と答えたか聴いたであろう、お前の娘が。
ヘロディアス
正しいふるまいです。なぜいつもあれを見つめるのですか?
ヘロデ
フルーツを。(フルーツが運ばれる) サロメ、ここへ来てフルーツを食べなさい。
わしは果実に残ったお前の歯形を見るのが大好きだ。これをちょっと噛じりなさい。
残りは私が食べるから。
サロメ
お腹は空いておりません、陛下。
ヘロデ
(ヘロディアスに)お前が娘をどうしつけたか見るが良い。
ヘロディアス
私も娘も由緒正しき王家の血筋です。あなたのお父様みたいに…
あなたのお父様はラクダ曳きで、生まれた時から由緒正しい追い剥ぎの家系…!
ヘロデ
この嘘つきめ!
ヘロディアス
何が真実か、あなたが一番御存知のはず。
ヘロデ
サロメ、来て隣に座りなさい。お前に母親の玉座をやろう。
サロメ
疲れてはおりません、陛下。
ヘロディアス
あれの礼儀正しいこと(笑)
ヘロデ
わしにアレを持て…あれ?なんであったか…あ!思い出した…
ヨカナーンの声
時は来た!預言は成就する…その日は近い。
ヘロディアス
あやつを黙らせて下さい。あの声は聴きとうない。
いつも私を目の敵にして嘲るのです。
ヘロデ
お前のことは言ってなかったぞ。あれは偉大な預言者だ。
ヘロディアス
預言者など信じませぬ。誰が未来を語れましょう?誰も知りませぬ。
あやつは私を侮辱しています。でも…あなたはあやつを恐れてる。
ええ、あなたは、あの男を怖がっておいでです。
ヘロデ
奴を恐れてなどおらぬ。誰も恐れるものか。
ヘロディアス
いいえ、恐れてないのならなぜ、半年もユダヤ人にあやつの身柄を渡さないです?
あんなに要求されたのに。
ユダヤ人
その通りです。陛下、奴を我々の手にお渡し下さる方が良いのです。
ヘロデ
この問題は終わっている。答えは既に告げた。奴は渡さん。
あれは聖者、神を見た男だ。
ユダヤ人
ありえません。預言者エリア以来、神を見た者はおりません。
エリアが面と向かって神に会った最後の男です。
それからずっと、神はお隠れになったままなので、禍いが地に満ちているのです。
別のユダヤ人
預言者エリアが本当に神を見たのかさえも、誰も知らぬこと…
もしかしたら神の影を見ただけかも知れぬ。
三人目のユダヤ人
神は隠れてなど居られぬ。どの時代、どの場所にも居られる。悪の中、善の中にもだ。
四人目のユダヤ人
そのようなことを口にするな。危険な教義だ。
アレキサンドリアあたりからやってきた教義、
割礼もしていないギリシャの異邦人の哲学だ。
五人目のユダヤ人
いや誰も神のなされようを語ることは出来ぬ。神の道は暗くて定かではない。
ひょっとしたら我々が悪と呼ぶ物が善で、善と呼ぶ物が悪かも知れぬ。
我らに出来るのは神の意志の前に頭を垂れることのみ…
神は強大なお力を持っておられる。
一片の弱さも許さぬ神ならではの強さを。
第1のユダヤ人
それは正しい。本当に神は凄まじい。
とうもろこしをバラバラにする如く強きも弱きも粉々にしてしまわれる。
しかし、この男は神を見たことはあるまい。預言者エリア以来誰も見てないのだ。
ヘロディアス
そいつら黙らせて!聞いてるだけで疲れる。
ヘロデ
だが、わしはヨカナーンこそ真の預言者エリアだと聞いた。
ユダヤ人
ありえません。預言者エリアの時代から300年も経っているのです。
ヘロデ
誰かがこの男こそエリアだと言ったのだ。
ナザレの男
まさしくあの方こそが預言者エリア様です。
ユダヤ人
いやいや、エリアではありません。
ヨカナーンの声
その日は近づいた…最早、手の中にある。救世主の足音が山の嶺から聞こえる…
ヘロデ
どういう意味だ?救世主とは?
チグリヌス
シーザー様の謳い文句でございます。
ヘロデ
しかし、シーザーは、ユダヤになど来ておられぬ。
昨日、わしはローマからの手紙を受け取ったが、何も書いてはなかったぞ…
おお、あなたは、冬の間ローマにおられたのだ…
チグリヌス、何か聞いてはおられぬか?
チグリヌス
そのことについては何も。
ただその言葉は確かにシーザーの謳い文句のひとつです。
ヘロデ
しかしシーザーは来ないだろう。痛風がひどくて足が象みたいにむくんでるそうだ。
おクニの事情もある…ローマを離れればローマを失う。来るまい。
此処へ来るのをどのくらい楽しみにしてるとしても…来るとは思えんな。
第1のナザレ人
それはシーザーの事ではございません。預言者はそんな事は言っておりません。
何と?シーザーの事じゃないのか?
第1のナザレ人
はい。陛下。
ヘロデ
では、一体誰のことを言ったのだ?
第1のナザレ人
メシアが出現したのです。
ユダヤ人
メシアなど来ておりませぬ。
第1のナザレ人
いいえ来られました。あちこちで奇跡を起こして居られます。
ヘロディアス
ほーほっほっほっほほ!奇跡を信じるなんて…私はもう見飽きたわ。(お付きに)扇を。
第1のナザレ人
その方は本物の奇跡を起こされます。
ガラリヤの小さな村の婚礼で水をワインに変えました。
また、カペナウムの門の前で座っていた二人のレプラ病みを、
ただ触れるだけで治してしまいました。
第2のナザレ人
いやそれは違う、カペナウムで癒したのは二人の盲人だ。
第1のナザレ人
いいや、レプラだ。だが盲人も癒している。
山の上で天使と話しているのも目撃されている。
サドカイ人
天使など居るものか!
パリサイ人
天使は存在します…だがその男が話したなんて信じられません。
第1のナザレ人
その方が天使と話すのを大群衆が目撃しております。
ヘロディアス
もう沢山!馬鹿げた話はおやめ!お前達はみんなイカレテルわ!(お付きに)扇は!
(お付きは慌てて扇を渡す)お前達は夢想家らしいけど…夢など許しません。
夢を見るのは病人だけ。
第2のナザレ人
そうだ!ジャイルスの娘の奇跡もある。
第1のナザレ人
そうだ、あれは確実だ。誰も文句は言えまい。
ヘロディアス
キチガイ共…月を見つめすぎたのね…黙るように命令して!
ヘロデ
ジャイルスの娘の奇跡とは何だ?
第1のナザレ人
ジャイルスの娘は死にました。その方は娘を蘇らせたのです。
ヘロデ
なんと!死者を蘇らせたのか?
第1のナザレ人
はい陛下。死者を蘇らせました。
ヘロデ
そんな事はさせておけない。そんなことを許す訳には…誰も死者を蘇らせてはならぬ。
その男を見つけて禁じなくては…今どこに居るのだ?
第2のナザレ人
陛下、その方はどこにでも居られますが、見つけるのは難しいかと。
第1のナザレ人
今はサマリアかと。
ユダヤ人
サマリアに居るのなら見つけるのは容易いこと、メシアはサマリア人では無いのだから、
呪われたサマリア人たちは寺院にお供えもしない者達です。
第2のナザレ人
サマリアは数日前に離れたとか。
私が思うに、その方はエルサレム近辺に居られるはずです。
第1のナザレ人
いや、そんな処には居られない。私はエルサレムから来たのだ。
この2ヶ月間、そんな話は出てなかった。
ヘロデ
どっちでも良い!とにかく奴を見つけ出して申しつけるのだ。
王であるヘロデが『死者を蘇らせる事だけは許さぬ』と命じていると。
水をワインに変えようがレプラや盲人を治そうと、奴がやりたければ構わない。
だが、死者を蘇らせるのだけは誰にも許さんぞ。死者が帰って来るなどとんでもない話だ。
ヨカナーンの声
おお!惨き者よ!娼婦よ!…黄金の瞳と煌めく瞼を持つバビロンの娘よ!
神はこう言われた…群衆を向かわせ石礫で逝かせよ…と。
ヘロディアス
あれを黙らせて!
ヨカナーンの声
主の剣でその女を刺し貫き、盾の下に押し潰さしめよ! と。
ヘロディアス
まあ、外聞の悪いことを!
ヨカナーンの声
これは神が地上から全ての邪悪なる物を一掃せんがためなり。
世の女がこの憎むべき行いを真似せぬように…と。
ヘロディアス
あれが誰のことを言ってるのか聞こえてるでしょう?
誰があなたの妻なのかあいつに思い知らせてやって!
ヘロデ
あれはお前の名前は出しておらん。
ヘロディアス
それがどうしたの!あれが罵り続けているのが誰か知ってるでしょ!
私はあなたの妻よ!違うの!
ヘロデ
正真正銘の妻だとも…美しく気高いヘロディアス…そして…兄の妻でもあったのだ。
ヘロディアス
彼の腕から私を奪ったくせに。
ヘロデ
実際、わしは兄より強かったからな…そのことについては話さない方が良い。
わしは話したくない。預言者が罵るのもそれがため…。偶然が巻き起こした不幸だ。
…わしらはこんなことを話している時ではない。
気高いヘロディアスよ、我々はゲストを忘れておる。最愛の人よ私の杯を満たしておくれ。
ホー…!ワインを満たした銀の杯、ガラスの杯がある。この杯をシーザーに。
ローマの方たちもいらっしゃる。シーザーに乾杯。
全員
シーザー!シーザー!
ヘロデ
お前の娘を見たか、あんなに蒼ざめている…
ヘロディアス
青ざめようが赤ざめようがあなたに関係ないでしょ?
ヘロデ
あんなに蒼いのは見たことがない。
ヘロディアス
あ・れ・を・見ない・でったら!
ヨカナーンの声
その日、太陽は髪の毛のように黒く、月は血のように紅くなるだろう…
天の星々はイチジクの実の様に地上に降り注ぎ、王達は畏れおののくだろう…
ヘロディアス
あぁ!あぁ!そんな日が来るなら見てみたいもんだわ!
月が血のように紅くなり、星はイチジクの実のように地上に落ちる…
まるで酔っぱらいの戯言!あの声が我慢できない!聞くのも嫌!黙らせて!
ヘロデ
いいや…何を言っているのかは理解できぬが、あれはなにかの前兆かもしれん。
ヘロディアス
前兆だなんて…ただの酔っぱらいの戯言よ!
ヘロデ
あれが酔うたのは神のワインかも知れぬ…
Hヘロディアス
何のワインだって!神のワイン?
どこの葡萄畑で取れて、どこのワイン・プレスで見つかるの!
いいかげんなこと言うんじゃないわよ!
ヘロデ
(この間、ずっとサロメに気を取られている)チグリヌス、ローマに居られた時、
皇帝はあの事について話されたかな…?
チグリヌス
何の事ですか、陛下。
ヘロデ
何の事だと?おぉ…そなたに尋ねたのだな…何を尋ねたか忘れてしまった…
ヘロディアス
またあの娘を見てる…見ないで!見るなと言ってるでしょ!
ヘロデ
お前はそれしか言わぬ…
ヘロディアス
もういっぺん言いましょうか。
ヘロデ
ところで、ユダヤの奴らが盛んに話していた寺院修復の件だが…何かしてやるのか?
聖域の覆い布(ベール)が無くなったとか…そうじゃなかったか?
ヘロディアス
それはあの者達の自作自演です!
誰もがてんでんばらばらに面白くも無い事を喚くだけ…
もうこんな処にいたくない。
さあ中へ!
ヘロデ
そうだ…わしのために舞ってくれ、サロメ。
ヘロディアス
踊らせませぬ。
サロメ
陛下、踊りたくありません。
ヘロデ
サロメ、ヘロディアスの娘よ、
わしのために踊れ。
ヘロディアス
やめて。
あれを放っておいて。
ヘロデ
わしが踊れと命じているのだ。サロメ。
サロメ
踊りません、陛下。
ヘロディアス
(笑いながら)何と「従順」なこと!
ヘロデ
…踊ろうが踊るまいがわしには関係ない。今宵、わしは幸せなのだ。
幸せすぎる位だ。こんなに幸せだった事は今だかってなかった。
第1の兵士
陛下は憂鬱そうだ…そう見えないか?
第2の兵士
ああ、憂鬱そうだ
ヘロデ
わしが幸せでないはずがない。
シーザー、世界の盟主、万物の支配者がわしを愛していて、一番貴重な贈り物をくれる。
わしの仇敵であるカッパドキアの国王をローマに召喚すると約束してくれた…
そのままローマで十字架に掛けてくれるかも知れん…
彼はそうしたいと思えば何でも出来るのだからな。シーザーはこの世で最高の権力者だ。
だからこそ…わしはハッピーだ。とってもハッピーだ♪こんなにハッピーなことはない。
誰にもこの幸福は壊せないのだ。
ヨカナーンの声
その者は王座に座るだろう。
その者は赤と紫の服をまとい、手に持った黄金の杯を冒涜で満たすだろう。
そして主の使わした天使はその者を打ち倒し、ミミズの餌にするだろう…
ヘロディアス
あなたのことをどう言ってるかよく聞いてごらんなさい。
ミミズの餌になるって言ってるわよ。
ヘロデ
それはわしの事ではない。あれはわしに逆らった事はないのだ。
おおかたカッパドキアの国王の話だろう…わしの敵だからな。
ミミズに喰われるのは奴だ。わしのことではない。
ただ、妻の事…兄の妻を娶ったのは罪だと…それは正しいのかも知れぬ。
事実、お前は石女(うまずめ)、わしの子を孕まぬのだからな。
ヘロディアス
あたしが石女?あたしが?
あんたがそれを言うの?いつも私の娘ばっかり眺めているあんたが!
いつも娘が踊るのをやらしい眼でみてるあんたが!はっ!あんた馬鹿?
あたしはサロメ産んでるでしょ!あんた子供ないでしょ?
あんたが抱いた奴隷で子供産んだのいないでしょ?
あんたが『種なし』なの!あたしじゃなくて!
ヘロデ
静まれ!お前は石女なのだ。
お前はわしの子を産めない、それはこの結婚が本当の結婚ではなく近親相姦であり、
悪魔がもたらしたものだからだと…本当かも知れぬ、わしは怖い。
そう思えることが…だが、今はそんなことを話す時ではない。
今宵わしは楽しい気持ちだったのだ。事実、楽しい。満ち足りているのだ。
ヘロディアス
もう結構…今夜は随分あなたに笑わせてもらったわ。そのつもりでなくても…
でも、もう遅い。中へ入りましょう。夜明けには狩りに出るのをお忘れなく。
シーザーのお使いの方たちにいいとこ見せてあげるんでしょ?違うの?
第2の兵士
王は憂鬱そうだ。
第1の兵士
ああ、そう見える。
ヘロデ
サロメ…サロメ、わしのために踊っておくれ。お願いだから…。
今宵、わしは哀しいのだ。哀しいままだ。ここへ来たとき血糊ですべった。悪い兆しだ。
空中に何かの羽ばたきを聞いた…何か巨大な翼の…その意味する物は判らぬが…
何やら物悲しい。だから踊っておくれ。わしのために。頼むから。
もし踊ってくれるのならお前の願いを叶えよう、欲しい物なら何でもやろう。
踊るのならお前が望む物を何でもだ…例え国土の半分でも良いぞ。
サロメ
(立ち上がり)私が望むものなら何でも下さいますか、陛下?
ヘロディアス
踊ってはなりません。
ヘロデ
望むものなら何でも、国土の半分でも…だ。
サロメ
誓うのね?
ヘロデ
誓うとも、サロメ。
ヘロディアス
踊ってはなりません!
サロメ
何に誓うの?陛下。
ヘロデ
わが命、わが王冠、わが神に誓う。何であろうとお前の望む物を与えよう。
例えそれがわが王国の半分でも…踊ってさえくれるなら。
おぉ…サロメ、サロメわしのために、踊っておくれ…
サロメ
陛下は誓われました。
ヘロデ
誓った。
ヘロディアス
サロメ!踊る気なの!
ヘロデ
王国の半分、それが女王にふさわしい…サロメ、もし王国の半分を望むなら…
お前は女王としてふさわしい…あぁ!ここは寒いな。氷のような風が吹いているぞ。
また…羽ばたきが聞こえる。テラスの上空で巨大な黒い鳥が羽ばたいているような…
だが、何故見えない…なんて凄まじい羽根の音だ…
羽根が凄まじい寒風を吹き付けているのだ…おや…冷たいというより熱くなった…
喉が詰まる、水をかけろ!雪を喰いたい…マントを緩めろ、早く!早く!…
いや、脱がせてくれ…頭の花輪が焼けるようだ…薔薇が燃えている!
額が焦げる!(髪飾りを外してテーブルに投げる)
おぉ!これで息が出来る。何て花びらが紅いのだ!布についた血の赤い染みのようだ。
いや、そうじゃない…全てが何かのシンボルに見えるのはマズイぞ…
人生が恐怖で一杯になってしまう。
『布についた赤い血の染みは綺麗な薔薇の花びらのようだ』うん、この方が良い。
…いやいや、こんな事を言いたいんじゃない…今、わしは幸せなのだ。
幸せに過ごしているのだ。それともわしには幸せになる権利がないのか?
お前の娘はわしのために踊ってくれる…踊ってくれぬのか?サロメ?
約束してくれたよなぁ?
ヘロディアス
娘は踊りません。
サロメ
踊ります、陛下。
ヘロデ
娘の言葉が聞こえたろう。あれはわしのために踊るのだ。良く承知してくれたサロメ。
踊り終えたらわしに望みの物をねだるのを忘れるな。何でも欲しい物は与えよう…
女王にふさわしい王国の半分でも…と、わしは誓った。そうであろう?
サロメ
誓われました、陛下。
ヘロデ
わしは言葉に背かぬ。誓いを破ったことがない。嘘の付き方を知らないのだ。
わしは我が言葉の奴隷…わしの言葉は王の言葉だ。
カッパドキアの王は嘘で固めた舌を持っておる。
真の王ではない、臆病者だし、借りた金も返さない。
わしの大使を侮辱し、小汚い言葉を使う…だが、奴はローマでシーザーに吊されるだろう。
吊されなくても死んで、ミミズに喰われるだろう…予言者はそれを予告しているのだ。
…何をのんびりしてる、サロメ?
サロメ
私の奴隷が香水と七枚のベールを持って来て、
私のサンダルを脱がせてくれるのを待っております。
(奴隷が香水と七枚のベールを持って来て、サンダルを脱がせる)
ヘロデ
裸足で踊るのか!いいぞ。それは良い。
小さな足は白い鳩のようだろうな、樹の処で踊ればきっと白い小さな花のように…
いやいやいや!あれは血の上で踊ろうとしている!血だまりが出来て居る…
血の上で踊ってはならぬ!縁起が悪い!
ヘロディアス
あれが血の上で踊るのどうだというの?もっと罪深いことを考えてる癖に…
ヘロデ
わしが何を?…おぉ!月を見ろ!深紅に染まった!まるで血のような色だ…
あぁ!預言が真実になろうとしておる…月が血の色に染まる…そう預言してなかったか?
皆が聞いたはずだ。今や、月は血のように赤い、見えぬのかあれが?
ヘロディアス
ええ、ええ、よーく覚えてますとも。
…『そして星々はイチジクの実のように降る』だったわね?
『太陽は真っ黒になり地上の王達は畏れおののく』…
少なくともたったひとつだけは預言が的中したわね…『地上の王達は畏れおののく』。
さあ、中へ入りましょう。あなた、病気よ…ローマで『ついにイカレた』って噂されるわ。
さあもう入るの。わたしの言うことが聞けないの。
ヨカナーンの声
エドムから来るのは何者だ。ボズラから来るのは何者だ…
誰が衣を紫に美しく染め、全能の偉大なる者として歩いて来るのか…
何故その衣が深紅に染まるのか…
ヘロディアス
入りましょう。あの声聞いてると頭が変になりそう。
あんなのが叫び続けてるのに、しかもあんな衣裳で、あなたのギラギラした眼の前で…
あの娘を踊らせはしません!
ヘロデ
座ってろ、我妻、我が王妃。大した事じゃない…
とにかく踊るまでは中には入らぬ。サロメ、踊ってくれ。
ヘロディアス
踊らないで。
サロメ
準備が出来ました…陛下。
(サロメは7枚のヴェールのダンスを踊る)
ヘロデ
素晴らしい!素晴らしいぞサロメ!
(ヘロディアスに)お前の娘がわしのために踊った踊りを見たろう。
おいでサロメ、こちらへおいで。褒美をとらさねば…
わしの魂はお前の踊りを見て歓喜に打ち震えた…!その礼をせねばならぬ!
わしは今こそ、そなたの魂が欲しがっているものを『何でも』与えよう…
何を待ち望んでいるのだ?申してみよ…
サロメ
(跪いて)私が持ってきて欲しいものは…銀のお盆に載せた…
ヘロデ
(ちょっと当てが外れた感じに笑って)銀の盆に載せた…?
発想がチャーミングではないか。流石、ユダヤ一美しい娘の云うことは違うぞ…
可愛らしいサロメや、お前が銀の盆に載せてもらいたい物とは何だ?
云ってごらん。何でも大丈夫、私の宝はお前の物だ…何が欲しい?
サロメ
(顔を上げ)ヨカナーンの首。
ヘロディアス
おぉ!良く言ったサロメ!
ヘロデ
ならぬ!…なるものか!
ヘロディアス
良く言った!それでこそ我が娘…
ヘロデ
ならぬ…ならんぞサロメ。そんなことを望んではならぬ。母の言葉に耳を貸すな。
いつだってお前に邪悪なことを吹き込むのだ…従ってはならぬ。
サロメ
これは…私の考えです。
私自身の歓びのために銀の盆に載せたヨカナーンの首を下さいまし。
あなたは誓いました、ヘロデ。
王としての誓いをお忘れなく。
ヘロデ
覚えている。神に誓った…よく覚えて居る。
だがサロメ、頼むから、他の物を願ってくれ。王国の半分なら与えよう…
けれど今しがたお前の可愛らしい唇で願った物だけはやめてくれ。
サロメ
ヨカナーンの首を下さいませ。
ヘロデ
ならぬ!それはやれぬ。
サロメ
あなたは誓いました、ヘロデ。
ヘロディアス
そう。あなたは誓い、皆が聞いています。皆の前で王が誓ったことです。
ヘロデ
騒ぐな女!お前と話してはおらぬ。
ヘロディアス
我が娘はよくぞヨカナーンの首を所望してくれたものです。
あやつがどれほど私を中傷し、口に出せぬ様な言葉を浴びせて来たことか…
娘よ、あきらめぬよう…王は誓われた…神に誓ったのです。
ヘロデ
黙れ!何も言うでない!…サロメ、お前は頑固者ではないよなぁ…
わしはいつもお前には優しくしてきた…お前を愛してきた。
…もしかすると愛しすぎたのかも知れぬが…
そんな物は望むな。酷い物だぞ。わしに願うには怖ろしすぎる。
そう、冗談であろう。切断された人間の首を見たいなどとは普通思わぬ。
乙女が眼にしたいと思うような物ではない…
どんな喜びがあるというのだ?喜びなどあるはずがない。
ならぬならぬ、望んではならぬ…まあ聞け。…わしはエメラルドを持っている。
シーザーの配下が送ってくれた大きな丸いエメラルド…見たら眼が離せぬようなものだ。
シーザーはサーカスに持っていって見せ物にしたというが、わしのはそれより大きい。
世界最大のエメラルドだ…それをやろう。どうだ?それなら望めばすぐにやる。
サロメ
私が欲しいのは…ヨカナーンの首。
ヘロデ
…聞かぬ、聞いてもおらぬ…わしを苦しめるな、サロメ。
サロメ
ヨカナーンの首!
ヘロデ
駄目だ、駄目だ、それは駄目だ。わしを悩ませるな…わしがお前を見つめすぎたからか?
そのせいか?たしかに今夜はお前をずっと見つめていたとも。お前が美しすぎるからだ。
その美しさが哀しいくらいわしを悩ませるのだ。お前を見つめすぎていた。
いや、もう二度とお前を見まい。もう何も目にすまい。人が目にするような物は何も。
鏡だけが見せてくれよう、我々の仮面を…ワインを持て!喉が乾く。
…サロメ、サロメ仲良くしてくれ。お前のことを思うと…
何だ?わしは何を言いたかったのだ?あぁ、思い出した!
…サロメ、もっと傍においで。わしの話が聞こえるように。
サロメ、お前はわしの白い孔雀達を知っているね。
庭のサルスベリと糸杉の間を歩いているあの美しい孔雀たちだ。
嘴が金色に輝いているのは餌として黄金を与えているからだ…足は紫に染まり、
鳴き声は雨を知らせ、尾を広げた姿を月が照らしているのは、まるで天国のようだ。
2羽が2羽ずつ連れ添って糸杉と黒サルスベリの間を散歩している…あれは奴隷を連れているのだ。
時に木々を横切って飛んだり、草に休んでいたり、泉を囲んでいたり…
あれほど素敵な鳥たちはこの世にはいない、シーザーも持ってはおらぬ。
あれを50羽やろう…白い孔雀たちの中のお前は白い雲に囲まれた月の様に美しいだろう…あれをやろう、100羽全部。
世界中にこんな孔雀たちを持っている王はわしの他にいるまいが、わしは全部お前にあげよう。
ただ、わしの誓いを許して、お前の唇が願った物だけはあきらめてくれ。
(カップのワインを飲み干す)
サロメ
私にヨカナーンの首を!
ヘロディアス
我が娘ながらよく云った…孔雀なんぞと馬鹿らしい話。
ヘロデ
静まれ!猛獣の様に喚くな。そんな風に叫ぶな…勘に触る。黙れと云っているのだ!
…サロメ、自分が何をしようとしているのか考えるのだ…
よく考えろ…おそらくこの男は神が遣わした聖者だ。
神がその指で触れた男だ。あの悪口も神がその口に詰め込んだもの…
砂漠でも宮殿でも、神は常にこの男と共に居るのだ。
確かだとは言えぬが、そうかも知れぬのだ…
この男が死ねばわしに禍が降りかからないとも限らない…
実際、奴が死ぬ日には誰かに災いが降りかかると預言している。
それは誰の上に?…わしの上ではないのか?可能性はあるぞ!
思えば、わしはここへ来たときに血で滑った…わしは空中に羽ばたきを聞かなかったか?
これらは前触れではないのか…他にもあったのであろう。
わしは気付かなかったが、きっとあったはずだ。
わしに禍が降りかかるとは思わぬか、サロメ?
わしの云うことをもう一度聞いてくれ。
サロメ
ヨカナーンの首を下さい!
ヘロデ
あぁ!お前はわしの云うことを聞こうとせぬ!まあ落ち着け…わし自身はどうだ?
落ち着いているとも…聴いてくれ。わしは素晴らしい宝石を隠している…
お前の母親も知らぬ処にだ。四列に真珠を並べた首飾りを持っている…
まるで月を銀の光で繋いだ如き美しさ、数十の月を黄金の網で絡め取った様だ。
女王の象牙のように白い胸の上こそ本来の棲み家、
これをつければ女王としてふさわしい美しさになろう。
アメジストもある…赤ワインのように濃いのとロゼのように薄いのと。
トパーズは三種類、虎の目のイエローと、山鳩の目のようなピンク、猫の目のグリーン…
氷のように冷たい炎をいつも燃え上がらせているオパールは
影をも恐れるような哀しい男の心で出来ている。
死んだ女の眼球ほどもあるオニキス、月の満ち欠けと共に変化してゆくムーンストーン、
花のように青く卵くらい大きいサファイヤ…
神秘を潜ませ、月が静かに映る海のような青だ。
橄欖(かんらん)石、エメラルド、玉髄(ぎょくずい)、ルビー、赤縞瑪瑙 、ヒヤシンス石
…全部お前にやろう…もっと他にもあるぞ。
インドの王が持っていたオウムの羽根で出来ている四枚羽根の扇、
ヌミディアの王が送ってきたダチョウの羽の衣裳、
女性には見せられぬクリスタルも持っている、
若い男が見るとアレが腹を叩くような代物だ。
螺鈿の箱に入れてある三粒のトルコ石は、額に当てると幻が見え、
それを持った手で触れば石女に実りをもたらす…
どれも偉大な宝物だ。すべての上をゆく価値がある。しかし、これでも全部じゃない。
黒檀の金庫には、まるで純金のリンゴのような琥珀カップを二つ持っている。
敵が毒を注ぐと銀色に変わる優れ物だ。
琥珀で出来た金庫には、ガラスでこしらえたサンダルが入っている。
セレル族の土地で作られたマント、
ユーフラテスのほとりから来たヒスイとザクロ石で飾られたブレスレット…
これ以上何かを望むのか、サロメ?欲しい物を云うが良い。私はそれをとらせよう。
お前が望む物なら何でも与えよう。たった一つの物以外ならな…
我が財産の全てを与えても良い…たった1人の男の命を救うためなら…
司祭のマントでも聖域のベールでも、剥ぎ取ってお前に与えよう…
ユダヤ人たち
おーぉ!
サロメ
私にヨカナーンの首を!
ヘロデ
(椅子にへたりこんで)
望みのものをとらせろ!あの母にしてこの子ありだ。
(第1の兵士が近づく。 ヘロディアスは王の指から死の指輪を外し、
兵士はそれを処刑人に渡す。死刑執行人は怖がっている。)
誰か私の指輪を取ったのか?右手に死の指輪がはまっていたはずだ。
誰が私のワインを飲んだ?わしのカップはワインが満たしてあった。
誰が飲んだのだ!…ああ!きっと災難が降りかかるだろう。
(死刑執行人が水槽を下りてゆく)
一体、何のためにわしは誓いをたてたのだ…これからは、王として宣誓などすまい。
破れば怖ろしい事が起こり、守れば、それも怖ろしい…
ヘロディアス
娘は本当に…よくやりました。
ヘロデ
…よくない事が起きるに違いない。
サロメ
(水槽を覗き込み、耳をそばだてて)音がしない。何も聞こえない…
どうしてあの男は叫ばないのだろう?もし誰かが私を殺そうとしたら、私なら叫ぶ…
抵抗して、許さない…殺して、殺して!ナーマン殺すの!そう云ったでしょ…
駄目…何も聞こえてこない。静か。ひどく静かなまま…あ!何か…地面に落ちた!
落ちた音が聞こえた…何?処刑人が刀を落としたの?怖がってたもの、あの奴隷…
刀を取り落としたのね。あの奴隷じゃ無理…兵士を行かせなきゃ…
(ヘロディアスの召使いを見て合図する)
ここへおいで。お前は死んだ男の友達だったはず、違う?…未だ死人が足りない。
行って兵士達に下りるように伝えて。私が頼んだ物を持ってくるようにと。
王が約束したのだもの…あれは私の物。(召使いは後ずさる、今度は兵士に向かって)
兵士たち!こちらへ。水槽の底へ下りてあの男の首を持ってきて。
陛下、あなたの兵隊たちにヨカナーンの首を持ってくるように命じて!
(巨大な黒い…死刑執行人の腕が、銀の盾の上にヨカナーンの首を載せて貯水槽から迫り上がる。
サロメはそれを受け取る。ヘロデは、マントで顔を隠し、ヘロディアスは笑顔で扇を使う。ナザレ人らは跪いて祈り始める。)
あぁ…ヨカナーン、お前はこの口にキスをすることを許さなかった。
良いとも…今、私はキスをするよ。この歯で熟した果実のように噛んでやる…
お前の口にキスをするよ、ヨカナーン…そう言ったでしょ、言わなかった?
いえ、言った…あぁ、キスするよ…
何で私を見てくれないの、ヨカナーン?その目はあんなに怒りと軽蔑で燃えていたのに、
今は閉じられている…何で閉じているの。目を開けて。瞼を持ち上げて、ヨカナーン!
何で見ようとしないの?私が怖い、ヨカナーン?だから見ようとしないの?
この舌…毒を放つ赤い蛇の様だったのに、もう動かない、喋らない、ヨカナーン…
この赤マムシはあんなに私に毒を吐きかけたのに…不思議ね…
どうしてこの蛇は動かなくなったの?…お前はなんだったの、ヨカナーン…
お前は私を拒絶し、侮辱した。理不尽に、売春婦のように罵った…
サロメ、ヘロディアスの娘、ユダヤの王女を!
それも、もう良い、お前は死んだが私はこうして生きている。
お前の首は私の物…好きなように出来る。
犬に投げてやることも…空の鳥にくれてやることだって出来る
あぁ、ヨカナーン、ヨカナーン…お前は私が世界でたった1人愛した男だった。
他の男共は全部大っ嫌い!嫌悪しか感じなかった…でも、お前は美しい…
銀の台座に載った象牙の柱のようなその身体…
それは白銀の百合と鳩たちが満ち満ちた庭園の様…象牙の盾で飾られた銀の塔…
その身体ほど白い物はこの世になく、その髪ほど黒い物はこの世になく、
その唇ほど赤いものもこの世になかった。
お前の口は不思議な香りをふりまく香炉、
お前を見ていると聴いたことの無い音楽を聴いているようだった…
あぁ…どうしてお前は私を見てくれなかったの、ヨカナーン?
お前は細い手と冒涜の言葉でマントの様に顔をくるんでいた…
その目にはお前の神の姿しか見えなかったの?そう、お前は神を見ていた…
けれど、私を、私を見ようとはしなかった…見ていたら恋をしたはず…私はお前を見た。
そして愛してしまった。おぉ、どんなに愛したことか…今でも…ヨカナーン。
私はお前だけを愛している…
わたしはお前の美しさに乾き…お前の身体に飢えている、
ワインと林檎では満たすことは出来ない。どうすればいいの、ヨカナーン?
洪水も大海も私の情熱を潤すことは出来ない…私は王女だった、だがお前に軽蔑された。
私は処女だった、だがお前は奪った…
純潔だった私の身体をお前は恋の炎で包んでしまった…
あぁ!あぁ!どうしてお前は私を見てくれなかったの?見ていたら愛してくれたはず…
そう、私を愛してくれたのに…愛の神秘は死の神秘より大きいもの。
ヘロデ
あれは化け物だ…お前の娘は。良く聴け、あれは化け物だ。
事実、あれのやったことは大きな罪…まだよく判らぬ神に対する犯罪だ。
ヘロディアス
私は娘と共に喜んでおります…あれはよくやりました。
ここで見ていてやりましょう。
ヘロデ
(立ち上がり)おぉ!兄の妻が何か語っておる…来るのだ!こんな処に居られるものか。
来いというのに。必ず怖ろしい禍が降りかかってくる…
マナッセ、イサッカー、オジアス、灯を消せ。わしは見たくない。
あんな惨いものを見たくない…灯を消せ!月を隠せ!星を隠せ!
宮殿に隠れよう。ヘロディアス、わしは心底怖ろしくなってきた。
(奴隷たちは松明を消す。星も光を失い、黒雲が月を覆って舞台は暗くなる。王は階段を上り始める)
サロメの声
あぁ!…キスしたよ、ヨカナーン…お前とキスをしたよ。お前の唇は苦い味がする。
これは血の味かしら…それとも恋の味かしら。恋は苦い味がするというもの。
でも、そんなことは何でもない、何でもない…
私はお前とキスしたよ、ヨカナーン、私はお前の唇にキスしたよ…
(月の光が一筋サロメに落ち、彼女を照らし出す。)
ヘロデ
(振り返りサロメを見て)その女を殺せ!
(兵士が突進し、その盾でサロメ、ヘロディアスの娘、ユダヤの王女を押し潰す)
【幕】
注:これは英語版のテキストから2012年1月に白神貴士が翻訳したものです。
BOOGIE STUDIO
[参考]この翻訳を元に作られた仮面ミュージカル・ムービー「SALOME」
http://www.youtube.com/watch?v=tRc0Tbu7_9A