「演劇のつくり方」講座

講師:白神貴士の演劇史


思い起こせば、初めて舞台を踏んだのは確か9歳の頃、(女子マラソンとかで有名なローカル百貨店)天満屋岡山店の6階葦川会館で開かれた『ウルトラマンX'マス大会』でのこと、開場前、階段に並んでいた私は「ちょっと、ちょっと」とおじさんに呼ばれ、ウルトラマンのセルロイドお面を渡されて怪獣と戦う事を頼まれた総勢10名の子供たちの1人となりました。何かの都合で、肝心のウルトラマンが来られなくなったのだろうなあと思いました。

戦う相手はバルタン星人、ザラブ星人、(はんぺん状態の)ガバドンの三体の怪獣たち。早速、ステージでリハーサルをやらされました。別に殺陣がつく訳でもなく、子供たちが適当に3体と戦うのですが、問題だったのは、バルタン星人の再登場回が放映された後だったので、みんな『奴にはもうスペシウム光線は効かない、八つ裂き光輪=ウルトラ・スラッシュを使わねばならない』と知りながら、誰も正しい出し方を知らなかったことでした……。

いざ本番、お面を被った私は大好きなバルタン星人と戦うのをあきらめ、次に強そうなザラブ星人にスペシウム光線の構えで立ち向かったのですが、多くの子供ウルトラマンたちは、革靴のおじさんがヤンキー座りでトコトコ歩いている「はんぺんガバドン」に殺到し、転んでしまったガバドンがお面の小学生たちに足蹴にされている可愛そうな光景が……手持ち無沙汰なバルタン星人もお約束通り退場して、私たちの出番は終わり、使ったお面をギャラ代わりに渡されて客席に戻りました。

帰宅すると、このステージの様子がローカル・ニュースで流れていたよと教えられ、初めてのTV出演にもなったという……この体験が、(後年やってきた事の要素-舞台・プロレス・仮面・ウレタン造形・特撮-を考えると)自分の『表現方法』の原点になってしまっているのかも知れません。

私は子供の頃から好きだった『ごっこ遊び』や中学の頃、独学でやっていた『落語』、マンガを1人何役もでカセット・レコーダーに吹き込んでいた『オーディオ・ドラマ』を除けば、演劇、演技というものは高校演劇から初めて始めたのですが、其の頃から八幡船〜銀仮面団といった地元のアングラ劇団や、曲馬館、状況劇場などツアーでやって来たテント芝居に多大な影響を受け、スタニスラフスキーなど、当時主流の演劇教育にはあまり馴染んでいませんでした。高校在学中〜卒業後はロック・バンドと並行して一時、激団奈魔子というアングラっぽい劇団を演劇部の先輩たちとやってた事もあったのですが、芝居・劇団の作り方として身近に詳しく目にし、先ず参考にしたのは、当時、岡山市福泊に建てたスタジオを拠点に県内外で盛んに公演活動をしていた銀仮面団を率いる藤澤陽一さんのそれでした。

バンド関係の人脈と公募オーディションで集まってくれたメンバーで「過激な素人芝居」ブギーシアターとして1972年暮れ〜1973年初頭にかけ、ブロードウェイ・ミュージカルを原作とした生演奏ロック・ミュージカル『HAIR1983』で旗揚げし、翌年は銀仮面団的なアングラ調の(自作としては唯一の主演作)『私の大陸』を上演。この時は、全ての作品で私が作・演出を手がけるというワンマン劇団でした。

岡山市東山にブギースタジオという拠点を持った次の劇団「演劇界のパンクス」ブギー・シアター2〜3では、打って変わってメンバー各自がアイデアを出し、ジャムセッションの様に演技する事を基本に、ある年は1年間台本無しの即興公演に徹したり、作品毎に様々なスタイルの実験的な芝居を公演し、演劇手法の土台を研究していた時期でした。代表作は『後醍醐』、『TREE1〜そしてはじまり』 、そして全曲オリジナルのロック・ミュージカル『DERISOIRE』でしょうか。

ブギー3が西川アイプラザをビニール幕で囲った『H・O・M』公演を最後に解散した後、玉取娘々氏を座長に次に作った劇団は一転して大衆演劇をお手本に「お客様に愛され可愛がってもらえる劇団」を目指した秘宝館昇天堂一座で、初期は公演のスタイルでも「歌と踊りのグランドショー」を挟んで2本の芝居を上演するという大衆演劇スタイルを基本としていました。旗揚げ公演はつかこうへい氏作の4人6役芝居『寝盗られ宗介』2時間半を座長1人で演じる「超一人芝居」で後年、再演もされました。

1994年には岡山県芸術祭中心公演として、合同公演『N.O.W.〜ナイト・オブ・ウォーリアーズ』を作・演出しました。色々と大変でしたが今となっては良い思い出です。銀仮面団には何度も客演しましたが、次第に他劇団への客演でも呼ばれるようになり、劇団BCG『ブレスレス』(演出も)、劇団走れメロス『半神』、劇団SOFTGEARの津山各小学校への温暖化啓蒙授業などへお邪魔しました。

秘宝館昇天堂一座は、器械体操→新体操→コンテンポラリーダンスと経験して来た踊りの専門家でもある座長が、大衆演劇・日本舞踊のエッセンスを取り入れた振付を工夫し、様々なイベントのアトラクションに呼ばれたり、うらじゃなどのダンス・コンテストで公演費用を稼いだりするような特異な劇団でした。代表作は岡山城築城400年遊楽彩に選ばれ、東京公演も行った『朱砂之雄』。内装工事前のビル・フロアに仮設劇場を建てての公演だった岡山県芸術祭選定事業『万延元年のビートルズ』(これは藤澤陽一さんに演出を引き受けて頂いた作品としても思い出深い作品です)と、最後の公演になった『信長2003』でしょうか。他県からの観客も目立った人気劇団となりましたが、惜しまれながら解散、玉取座長は舞踊の道へ進み、秘宝流東山社中を結成して、後楽園の能舞台で公演しました。湯原→米子→勝山と拠点を移し現在は小樽で御健在です。

秘宝と重なって1998年頃から密かに活動していた悪の秘密結社の傘下に誕生したのが「悪魔のように淫蕩で 天使のように美しい」をキャッチフレーズに仮面映像作品と仮面劇公演を行った、寺山修司の影響を覗わせる「大人向け匿名仮面劇団」persona blanca でした。ヌーディな大阪公演が事実上の旗揚げとなったり、秘密公演があったりのやや妖しい劇団でもありました。ここでは比較的大人しいCIRQUE DE BLANCA3"ファム・ファタール"(2012)版の仮面ミュージカル映画『SALOME』を紹介しておきましょう。

persona blancaに匿名性を確保しにくく、必ずしも官能性が必要ないオファーが来るようになって派生した(自主公演無し-安いとはいえ-オファーされてのギャラ仕事のみの謂わばプロ仮面劇団)が幻日会でした。仮面劇ならではの機動力で、本番一週間前のオファーから台本を書き、2回の稽古で本番に臨んだデビュー公演『はんざき伝説』や、秘宝時代から毎年の様に出演し、2008年にはフィナーレで、おおたか静流さんたちと共演させて頂いた『いわとわけ音楽祭』、岡山芸術回廊のパフォーマンス部門として2011〜2012に名勝・岡山後楽園の池に浮かせた仮設舞台で上演した『花交ヶ池』など、それぞれが思い出深いです。

2016年、私事で迷惑をかけそうでしたので、やむなく、persona blancaと幻日会を解散し、劇団運営からは距離を置くことになった私に、戯曲の相談に乗って欲しいと声を掛けて下さったのが、(2003年に誘って頂いて秘宝の玉木さんたちと一緒にダンサーとしてモスクワで踊る機会を頂いた事もある)和太鼓チーム『beZen鼓空』の代表、乙倉さんでした。岡山で桃太郎の話の元になったとされている「温羅伝説」をネタに韓国文化芸術団のチョヨンヒさん、ポリネシアン・ダンスのKYOKOさんたちと公演を打ちたいので……というお話で賀陽という岡山の地名が昔は「加夜国」というクニがあった事に由来し、それは朝鮮半島に有った『伽耶』という鉄の生産が盛んだった国に繋がり……という事も教わり、二人でイメージを膨らませるうちに、乙倉さんの原作で私が戯曲・脚本を手掛ける事になりました。一般社団法人おいでんせぇ岡山の逢澤さんに主催に加わって頂き、スタッフ・役者さんを集め総勢100名規模の野外劇として、2018年RSKバラ園、2019年吉備津神社で公演され、それぞれ千名のお客様に観て頂いた岡山市芸術祭企画提案事業・古代史ファンタジー『KAYA-温羅の伝説』では、2018年が脚本・監修、2019年が戯曲・記録撮影を担当いたしました。

この他にも、反戦運動体「岡山ピースアクト」の為に、故・塚越正男氏の撫順戦犯管理所での体験を描く『担白〜塚越正男の語った戦争』、千田夏光氏原作『従軍慰安婦KEIKO』、ブラックコメディ『独裁者2008』、私に「死の商人」という言葉を教えてくれた石森章太郎氏の漫画「サイボーグ009」へのトリビュート『9』(東京公演本番初日に3.11東日本大震災に遭遇するという忘れがたい作品でもあります……)の4本の戯曲を書き、何度か出演・演出も致しました。

大塲真護さん(企画on岡山)に声をかけて頂いてルネス・ホールのこども夏休み企画で、民族楽器生伴奏や照明や映像、装置をしたり、関美能留氏の演劇の映像製作&上映、末原拓馬氏の子供たちとの公演の生効果音+音効をやったり、バンド時代から銀仮面団のスタッフは良くやってたりで、自分の劇団も含め、規模はともかくで考えれば、大体一通りのスタッフワークも経験しています。

また、演劇以外ではTV「裸の大将」シリーズの下津井(スマトラ・キッド名で漁師役)、鳥取(宮崎美子さんを襲って中島陽典さんに殺されかける暴漢役)。「あぐり」(田中美里さんや松原智恵子さんを乗せる人力車夫役)「失われし時を求めて」(樫山文枝と小林稔侍の息子役)など、映画では井筒和幸監督・緒形直人主演「東方見聞録」にも石倉三郎さんに叱られる兵士役で出演いたしました。地元製作のTVせとうち「ドラマX」(土曜深夜の30分枠で一年間続いた多彩なドラマ・シリーズで、私がブッキングを担当して岡山の様々な役者さんに出て頂きました)、OHKONIビジョンのふるさとドラマでは(NHKBSの番組でも紹介された『家族』の秋・冬編で)主演も致しました。

社会公民教科書の表紙にも使われた、らくがき一斉消去運動のローカルヒーロー「らくがき戦隊ケセルンジャー」の脚本・演出・衣装・小道具・HP製作を担当したり、社会人プロレス団体『OWF』 、着ぐるみチンドン・バンド『ひよこチンドン柏屋』などを主宰したり、ウレタン造形作家として5m蜘蛛3m鬼  、桃太郎のからくり博物館の看板人形など多数を製作しました。

最近、映像作家としては、鈴木忠志さんの早稲田小劇場から舞踏へ進んでフランスで40年間活躍されていた古関すまこさん、チェコでも美術館に収蔵されているシーレの人形で有名な宮崎郁子さんと舞台ギャラリーでコラボする事が多くなっております。



『演劇のつくり方』講座 事始めの記



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